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『「介護時間」の光景』(76)「緑とピンク」「駅のホーム」。9.27.

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。


 いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして記事を、書き続けることができています。

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。個人的な経験にすぎず、細切れの記録になってしまいますが、それでも家族介護者の理解の一助になれば、と考えています。

 今回も古い話で申し訳ないのですが、前半は、14年前の「2007年9月27日」のことです。
 後半に、今日、「2021年9月27日」のことを書いています。


2007年の頃

 1999年から介護が始まり、2000年に、母は転院したのですが、私は病院に毎日のように通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けていました。

 様々な葛藤がありながらも病院に通い続けて、何年かたった頃、母の症状は安定し、病院への信頼が高まってしばらく経った、2004年の頃、母はガンになりました。手術もしてもらい、一時期は症状も落ち着いていたのですが、2005年に再発し、もう積極的な治療もできなくなりました。

 その後は、外出も増やし、旅行へも行きました。
 2007年の春頃は、明らかに体調が下がってきていました。
 覚悟をしなくてはいけないようなことを病院のスタッフから言われるようになってから、また時間が経ちました。

 そして、5月14日に母は亡くなりました。

 それから、さまざまな手続きもあり、時間は過ぎ、同時に、妻の母(義母)の状況が下り坂になり、介護負担が重くなりました。母が亡くなった頃は、介護をする人が一人になるし、何か自分のことができるかもと思いましたが、妻一人で、義母を介護すると、過労死してしまうように思い、二人での介護を継続することにしました。

 同時に、家族介護者の心理的な支援が必要ではないかと思い、自分がその役割をできれば、と考えました。そのために、臨床心理士の資格を取得しようと思い、大学院の進学が必須と知り、その入試の勉強も始めたのが、秋頃だったと思います。

 その当時の記録です。

2007年9月27日

緑とピンク

 次の駅にもうすぐ着く。
 電車から駅ビルの壁が見える。
 ピンクの地に緑の縦のラインが入っている。

 まだ動いている車内の窓から見ていると、その緑のラインのところに、時々、ホームの柱などが、わりとピタッとはまったようになる瞬間がある。

 そうすると、ピンクの地に緑のラインだったのが、茶色とか白のラインに変わったようにも見える。

 動いている中で、一瞬のことだけれど。


駅のホーム

 もうすぐ目的の駅に着く。
 ホームが見えてきても、すぐには止まらない。

 ホームの上の様々なもの。いろいろな人が、通り過ぎていく。
 それも、少しずつスピードが落ちていくから、だんだんはっきりと見えてくる感じがして、そして最後は完全に止まる。

 考えたら、ホームが見えてから止まるまでのデータというか、情報って、けっこう膨大なはずだから、それを新鮮に伝えられないだろうか、などとホームに降りてから考えている自分がいる。

 この7年間、ずっとこの同じ駅に来ていたけど、そんな事を考えた事はなかった。
 それだけ余裕が出来たのだろう。自分が薄情な感じがした。

                 (2007年9月27日)

口座解約の手続き

「病院の最寄りの駅の地方銀行の口座を作ったのは、母の入院する病院への支払いのためだった。
 その解約手続きをする。
 この何ヶ月か、母が亡くなった後の、金融機関への手続きをしてきたが、ここが最後になる。

 それが終わって、歩道橋を上っていったら、とても青い空。
 白いボソボソした雲。
 とてもいい天気。

 いろいろな縁が終わっていく。
 関係がなくなっていくことだけが増えていく。

 そういえば、ここに来るまでに、自分が生まれて育った街を通る。
 そこは何十年ぶりかで再開発をしていた。

 駅前の古くからの商店街は、住んでいた頃は、家族で何度も来ていた。
 その古い商店街は、まとめて、取り壊されて、大きいスーパーまで更地のようになっていて、その地域が、自分の記憶の中よりも、はるかに狭い。

 母親は、この街に、結婚してから移り住んで、私も生んで育てて、その頃からあった商店街がずっとあったのに、それもなくなった。

 そういえば、今年、植木等も亡くなった」。


 その後も、義母の介護を続け、その合間に勉強を続けた。2009年の受験は失敗し、翌年の2010年に大学院に入学できた。2014年には臨床心理士の資格を取り、同じ年に、仕事として「介護者相談」を始めた。2018年には、義母が亡くなり介護も終わった。昼夜逆転のリズムが直るまでに思った以上の時間がかかったが、そのうちにコロナ禍になった。


2021年9月27日

 随分と涼しくなった。
 また台風が発生し、金曜日には、関東地方に最も近づく、という天気予報が出ていて、強い風や雨への不安が、再びふくらむ。

 それでも、今日は、天気がよくて、空も高く、雲も秋になってきている。
 歩いて行くから、半袖にして、そこに上着を着て、ちょうどいいくらいだった。

ボランティア

 今日は、月に一度のボランティアの日だった。

 大学院終了後の2013年、家族介護者への個別の心理的支援を始めたかったのだけど、仕事そのものがなかった。それでも、ボランティアから始めようと思って、たまたま見つけたブログに「介護カフェを始めたい」という文章を見つけ、探して、オーナーにお願いして、「介護相談」のボランティアを、一人で始めさせてもらってから、もう9年目になる。

 そのカフェには、最寄りの駅から15分ほど歩いて、急に視界が広がる場所がある。そこまで行くと、もうすぐ目的地に着く。

介護相談

 カフェのオーナーは、ボランティアを始めた当時は、現役の家族介護者で、私が「介護相談」を続けていくことに理解もあり、協力して、その一角の使用を許してくれた。

 毎月、必ず、「介護相談」に、誰かが来るとは限らない。

 誰も訪れない時は、持参して行った本を読んで、そして、時間が静かにすぎていく。

 そんな時も、オーナーは、穏やかに見守ってくれていて、とてもありがたく、場合によっては、人を呼ぶために、「介護の市民講座」のようなものを開催してはどうか。というアドバイスをもらった。近所にチラシを配って、少人数だが、このカフェで「講座」を行ったこともあった。

 今は、ケアマネージャーの方が、家族介護者の方に情報を伝えてくれて、それで、このカフェの「介護相談」を知り、訪れてくれる人もいる。

 仕事としての「介護者相談」が、もっといろいろな場所に広がらないだろうか、というような気持ちもずっとあるのだけど、8年がたって、なかなかそれが増えていかない現状に焦りと無力感を感じることはある。

 それでも、この場所でボランティアを続けられているのは、今もありがたいと、月に一度訪れた時、改めて思う。

夕方

 午後5時になって、オーナーにあいさつをして、カフェから出る。

 すでに夕方の気配になっていて、学校のそばを通ると、子供たちが帰っていく姿が見える。犬の散歩をしている人も少なくない。

 このところ、新規感染者数が減少傾向で、なんだか空気も緩んでいるようで、そして、緊急事態宣言も解除になるようだけど、飲食店への時短要請は、相変わらずされるのでは、というニュースも聞いた。

 これから先、どのように社会が動いていくのかということが、あまりイメージが出来ず、このままが、ずっと続いていくのかと思うと、不安は小さくはならない。


 夕暮れが訪れるのは、少しずつ早くなっているみたいで、道路を歩いていると、その時間の中でも、微妙に色が変わっていくように思える。

 普段はあまり意識しないけれど、空を見ると、電線がとても多いと改めて感じる。

 さらに歩き、家のそばまで来たら、妻が道路に出ていて、こちらに気がつき、手を振ってくれた。さっき、公衆電話から電話をしたから、そろそろ帰ってくる頃かと思って、様子を見てくれていたらしい。

 やっぱり、うれしかった。




(他にもいろいろと介護のことを書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、ありがたく思います)。




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