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「介護booksセレクト」㉕『気がつけば認知症介護の沼にいた』  堀江ちか子

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。
 おかげで、こうして書き続けることができています。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/ 公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。


「介護books セレクト」

 当初は、いろいろな環境や、様々な状況にいらっしゃる方々に向けて、「介護books」として、毎回、書籍を複数冊、紹介させていただいていました。
 その後、自分の能力や情報力の不足を感じ、毎回、複数冊の書籍の紹介ができないと思い、いったんは終了しました。

 それでも、広く紹介したいと思える本を読んだりすることもあり、今後は、一冊でも紹介したい本がある時は、お伝えしようと思い、このシリーズを「介護booksセレクト」として、復活し、継続することにしました。

 今回は、介護職の体験談です。これまで数多くの、こうした書籍は出版されてきたと思うのですが、おそらくは、その中でも2020年以降の話ですので、かなり「新しい」と思います。やはり、新鮮な印象もありましたので、興味がある方には読んでいただきたく、紹介しようと考えました。

介護の専門家

 様々な介護の専門家が、いろいろな視点から著書を書いていらっしゃるのだと思います。

 もちろん、私自身も、これまでにもそれなりに読んできて、いろいろと学ばせてもらったとも考えているのですが、やはり、時代が変わったり、その専門家の立場や年代が違うだけで、介護の現場の見え方は変わってくるようだ、といったことは思うようになっています。

 だから逆に言えば、とても大事なことが書かれて、参考になったとしても、一つの視点だけで考えるのは少しリスクが高いように思います。それは、当然、自分自身についても(もしくは臨床心理学の分野であっても)言えることですが、だから、新しく出版される介護に関する本もなるべく読むようにしています。

 今回は、ベテランではなく、まだ介護職について経験があまり長くない方の書籍を読み、現場に慣れていく途中であるからこそ見えているようなことも少なくない、と思いました。

 同時に、守秘義務に関しての不安を、読者として勝手に感じてしまうほどだったのですが、それだけに、正直な現場レポートでもあると感じました。

『気がつけば認知症介護の沼にいた』  堀江ちか子

 著者は1990年生まれなので、2024年の時点で、30代前半。介護職での約2年の経験を記しています。これだけ若い介護職の方が、初めて仕事についてからの日々を書いて伝えることは、実はあまり他に例がないのではないでしょうか。

 入職して初日に、他の仕事であればあまり経験できないことを体験し、戸惑いと驚きと共に始まって、それはおそらくは利用者にとっては親しみの表現でもあったのかもしれませんが、職場で最初に遭遇する出来事としては、やはりショックなのは間違い無いのだろうと思います。

 それでも、介護士として、慣れない中で心身ともに疲労しながらも、利用者全員が症状の違いはあるにしても認知症であるグループホームで働いているのに、初心のせいなのか、著者自身の元々のあり方のせいなのか、読者としては認知症、という症状のことよりも、利用者それぞれの人柄の方が伝わってくるように書かれているように思います。

昭和のガンコジジイ山本さんにも可愛い一面がある。

(『気がつけば認知症介護の沼にいた』より)

 この山本さんの言動は、認知症とはいえ、人の神経に対してかなりの負荷をかける部分が多そうですし、こうした場合に、気持ち的には、「認知症の人なのだから」と割り切って、ある程度の距離を取る、という方法もあるはずですが、著者は、そうした方法をとっていないようでした。

 専門家として、仕事として、という向き合い方ももちろんしているとは思うのですが、入職して時間が少ないせいでそれが十分にできず、結果として、人として正面から関わり続けているようにも思います。

 それは、偉そうな言い方になったら申し訳ないのですが、専門家としては、とても適切だと感じる反面、その介護士にとっては負担も大きいのでは、と思える日々のようでした。

利用者の人々

 例えば、83歳のハイソレディと表現される女性との関わり。
 出身地を聞かれて、答えると繰り返される暴言があるそうだ。

 ここで、東京・神奈川以外の地名を口にしようものなら、たちまちトミさんの天下である。「田舎の出か!」「どうりで貧乏くさいと思った」「かわいそうに」「学校もロクに行かせてもらえなかったんでしょう」……など、ヒデー言葉の弾丸でハチの巣にされるのだ。

(『気がつけば認知症介護の沼にいた』より)

 認知症というよりも、その人の生きてきた背景が垣間見えるようにも思うものの、こうしたことまで書いていいのだろうか。何かしらの形で当事者やその周囲に確認しているのだろうか。といった微妙な不安も勝手に生じてくるのですが、でも、この正直な表現があってこそ、このグループホームの環境がかなり生き生きと描かれているのも事実だと思います。

 そして、このトミさんの褥瘡へ薬を塗っているときに、何か痛みがあったせいか、ビンタをされてしまったりもします。

 介護現場では、昔から労災隠しが問題視されていた……とは聞いていたが、その前段階に、〝労災封じ〟という技があるには思い至らなかった。森田さんは、「私も昔はよく利用者さんに噛みつかれたり蹴られたりした」「でも、そんなことでいちいち労災って言ってたらこの仕事はできない」というようなことを言って、この話を終わらせた。
 きっと、トミさんは褥瘡の処置をされている最中、痛かったのだと思う。私は今まで体に褥瘡ができたことはないし、それを他人の手で処置される痛みも知らない。でも、この日のビンタは確かに痛かった。
 私とトミさん、果たしてどっちのほうが痛かったのだろう……そんな比べようもないことを考えている自分がいた。 

(『気がつけば認知症介護の沼にいた』より)

 誰でも叩かれれば、瞬間的に恐怖や痛みが生じて当たり前だと思いますが、そのことや、そうした事態が介護現場でどのように扱われているのか、といったことや、それに対しての戸惑いも、その後の著者自身の葛藤も正直に描かれているように思えました。それは、著者によって、ハリウッド女優にも例えられているキヨエさんを介護しているときにも、同様でした。

 魚料理が好きで、骨までバリバリ食べていた過去があったせいか、その体に触れると「骨太だな」という印象を受ける。外見は、ハリウッド女優のヘレナ・ボナム=カーターがもっと歳をとったらこんな感じかな?という具合の美人さんだ。
彼女は発語もまばらで、こちらが言っていることもあまり理解ができない。利用者の中では、意思の疎通が一番困難な人だ。加えて、認知症の代表的な症状である「易怒性」が顕著に出ており、暴力行為も日常茶飯事だった。

(『気がつけば認知症介護の沼にいた』より)

(私自身は名前を聞いて分からなかったのですが、実は映画で数多く見ているはずのキャリアの長い俳優で、知らないほうが恥ずかしいことのようでした)。

 ここで「易怒性」を使うことの両面性があるとは思います。
 その言葉によって冷静に対応できるかもしれませんが、「易怒性」ばかりでその人をみてしまうと、見落とす部分もできてしまうのでは、と考えたりしてしまうからですが、それでも著者は、そのことがうなずける体験をすぐにしてしまうことになるのでした。

 食事介助のとき、キヨエさんに、口の中に入ったばかりの食物を思い切り、かけられてしまいます。

 かっこつけずに言おう。このとき私が介護士でなく、ユニフォームを着ていなかったら、間違いなく渾身の力で頭をひっぱたいていただろう。 
 声のかけ方が悪いとか、その人に合ったケアをしていないとか、こちらを責める言葉はたくさんあるけれど、利用者だって人間だ。たまたま機嫌が悪かったとか、だるかったとか、そういう日だってあるはずだ。だから、こうすれば上手くいくなんてマニュアル、あるはずないだろう。
 だいたい、いくら機嫌が悪かったからって、私の介助の仕方が悪かったからって、口の中の食べ物を人の顔面に吹き付けていい理由にはならないだろう。こっちだって人間なんだ。

(『気がつけば認知症介護の沼にいた』より)

 こうしたことを前提として、それでも介護士のこのストレスをどうしたら少しでも減らせるだろうか、と心理職としては。傲慢かもしれませんが、思ってしまいます。

 キヨエさんに対して、「ふざけるなよ」と思ってしまった自分、母親に夕食を作ってもらっておきながら、「ふざけるなよ」と思ってしまった自分……そんな自分が恥ずかしくて、情けなくて、推しに合わせる顔がなかったのだ。

(『気がつけば認知症介護の沼にいた』より)

 その夜、著者は生きがいでもある乙女ゲームを起動させることができなかったのですが、こうした葛藤も含めて、本当に正面から利用者と向き合っているのはわかり、それはもしかしたら利用者にとっては、わかりにくくても、かなりプラスの影響が出ている可能性も考えられるのではないでしょうか。

 ただ、それだけに消耗もひどく、入職して2週間ほどで、自分は向いていない。もうやめよう、と決意してしまいます。その気持ちは、ある出来事によって、秘かに撤回されるのですが、こうした場面に出会えること自体が才能だということは、自分自身も細々と心理士(師)として、支援する仕事を続けてきて、思うようになりました。

現在の常識

 同時に、著者が働いているのは21世紀の、それもコロナ禍が始まってもいるので、2020年代の介護の現場の常識も、当然のように書かれているのですが、個人的に20世紀から介護に関わっている人間としては、常識の更新(当然かもしれませんが)を感じ、それは安心材料につながることだとも思いました。

 例えば「ちょっと待ってくださいね」は、はっきりと不適切な言葉になっているようです。

「ちょっと待って下さいね」というのは、利用者からしてみればいつまで待てばいいのかわからないので、自分の訴えを無視された、蔑ろにされたと受け取られてもおかしくない。

(『気がつけば認知症介護の沼にいた』より)

 例えば、眠らない、落ち着かない、という利用者に薬を服薬してもらうまでも、いろいろと考えてくれています。

 なぜ最初から薬を処方してもらわなかったのかというと、寝ないから、落ち着かないから、うるさいからといって、安易に向精神薬を利用者に服用させるのは「ドラッグロック」という身体拘束にあたるからだ。 

(『気がつけば認知症介護の沼にいた』より)

 現在の介護の基本を伝える本の内容もアップデートされているようでした。(私が、ヘルパー2級の資格を取得した2000年代の初頭には、ここまで明確に書かれていなかったと思います)。

 介護のいろはを説いた本では、しばしば、「利用者になにかお手伝いをお願いして、やってもらったことに対してはしっかりとお礼を伝えましょう」というようなことが書かれている。これには、その人残存能力を維持していくという目的の他に、こちらが相手を頼ることで、利用者に生き甲斐を感じてもらう、という目的も含まれている。 

(『気がつけば認知症介護の沼にいた』より)

家族介護者への見方

 それでも、全体を読んで、残念ながら家族介護者は、かなり背景のように見えました。あくまでも「介護の素人」というような描かれ方に感じました。

 それは、施設の職員であれば仕方がないことなのかもしれませんが、例えば、この施設に「通い介護」をする介護者がいれば、もう少し、家族への見方が変わってきたのもしれない、とも思いました。

 それでも、実際に家族の介護に直面する介護士の姿を通して、家族介護者について思いを馳せる場面もありました。

 森田さんは独身で、実家で自分の両親と一緒に暮らしている。
 食事の用意や掃除、洗濯などの家事は全て母親がやってくれていたのだが、半年ほど前から認知症の症状が見られ始めたのだという。
「昨日、母親をお風呂に入れてるとき、バカ!って怒鳴られて、シャワーでお湯をかけられて……。私、カッとなってほっぺを叩いちゃっ……」

 最後まで言い終えることができず、森田さんは嗚咽をもらした。
「利用者さんにはこんなことしたことないのに…私、今までずっと介護の仕事をしてきたのに……それなのに……」      

 森田さんは、自身が介護士であること、母親の認知症がそれほど重度でないことから、施設に入れるとは考えていなかったらしい。自分の経験があれば、母親ひとりくらいの面倒は見ていける……そう思っていたのだそうだ。

 この話を聞いたとき、私は介護の仕事に就く前に通っていた講座の先生のことを思い出した。
 その先生は、「自分の実の親を介護することはできない」と言っていた。
 昔をよく知っているだけに、自分の親が変わっていくことを受け入れられない。他人の介助の場合と異なり、仕事だからと割り切ることもできない。他人だからこそ、介護することができる……介護職を経験した今ならば、この言葉がよくわかる。きっと、もがくほどきつく締まる縄で縛られたように、実の親だからと一生懸命になった分だけ、苦しみの縄で締め付けられてゆくのではないだろうか。  

(『気がつけば認知症介護の沼にいた』より)

 これだけ大変さを想像してもらえるのであれば、それでも、在宅介護を続けざるを得ない家族介護者はかなり多数いること。そして、それだけ心理的な大変さがあるのならば、心理的な支援が必要であるということも、できたら考えて欲しいと思ってしまうのは、私自身が、家族介護者の個別の心理的支援の必要性を感じてきた、というやや偏った見方なのも自覚しています。

 それでも、こうして介護の専門家家族の介護に直面した時の辛さや大変さを、(かなり負荷がかかる作業だとは思いますが)もっと分析してもらえたら、介護全体のことを考えていくときに、とても豊かなデータになるのでは、とどうしても考えてしまいます。

 数日後、森田さんから、「母を施設に入れることにした」と報告をもらった。ちょっとさみしそうな、悔しそうな口ぶりだったけれど、どこかホッとしたような顔つきだったのも忘れられない。

(『気がつけば認知症介護の沼にいた』より)

 
 とても屈折した味方なのですが、介護の大変さに直面し、心身ともに持たないと思ったとしても、こうして比較的スムーズに施設に入所することができないのが一般の家族介護者であるならば、今も在宅介護を続けている家族介護者の負担がどれだけ大きいのかは、こうしたことでも間接的に伝わらないだろうか、などと思ってしまいました。


 介護に関わっている方であれば、この紹介で少しでも興味を持ってもらえたのでしたら、どなたでも読んでいただきたい作品だと思いました。


(こちらは↓、電子書籍版です)。




(他にもいろいろと介護のことを書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。





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