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『「介護時間」の光景』(195)「2世帯住宅」。2.28。

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます
 おかげで書き続けることができています。

(この『「介護時間」の光景』を、いつも読んでくださってる方は、「2003年2月28日」から読んでいただければ、これまで読んで下さったこととの、繰り返しを避けられるかと思います)。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。


「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、私自身が、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的で、しかも断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないかとも思っています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2003年2月28日」のことです。終盤に、今日、「2024年2月28日」のことを書いています。

(※ この『「介護時間」の光景』シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況で書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)

2003年の頃

 1999年から介護が始まり、2000年に、母は長期療養の病院に入院したのですが、私は、ただ病院に毎日のように通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に在宅で、義母の介護を続けていました。

 ただ、それ以前の病院といろいろあったせいで、うつむき加減で、なかなか、医療関係者を信じることができませんでした。それでも、3年がたつ頃には、この病院が、母を大事にしてくれているように感じ、少しずつ信頼が蓄積し、その上で、減額措置なども教えてもらい、かなり病院を信じるようになっていました。

 それでも、同じことの繰り返しの毎日のためか、周囲の違和感や小さな変化にかなり敏感だったような気がします。

 2003年の頃には、母親の症状も安定し、病院への信頼も増し、少し余裕が出てきた頃でした。これまで全く考えられなかった自分の未来のことも、ほんの少しだけ頭をよぎることがありました。

 それでも毎日のように、メモをとっていました。

2003年2月28日。

『2日おいて病院へ。
 午後4時30分頃、着く。

 母は横になっていた。

 病院の3月のカレンダーは、ひな人形がテーマで、廊下に飾られていて、これは、病棟のリハビリを兼ねた作業で、母も含めて、患者さんが製作したもので、よくできている。そこにいる人たちと一緒に、そのカレンダーをしばらく見ていた。

 食事は、40分かかる。

 ペットボトルの空いたものを6本ほど病室の床に並べ、それに向かってテニスボールを転がすのを、母はボーリングと名づけて、毎日のようにおこなっている。

 だから、妻にお願いして空き箱を使って、その道具を入れる箱を作ってもらって、今日、持って行ったら、母は喜んでくれた。

 午後7時に病院を出る。

 少し気温が暖かくなっているように感じる』

2世帯住宅

 4人がけのボックス席に座っていた。前に30代そこそこに見えるサラリーマンの二人が座った。1人は太って、もう一人はやせているが、どちらもそれほど健康そうには見えない。

 会話は、誰のことか、私にはもちろん分からないが、その2人の共通の知人の話題になった。私とはまったく関係ない人達なのに、会話が全部聞こえてくる距離。

…その人って、2世帯住宅建てて、そしてドアを別にしたんだって。
 それで、家に帰ってくると、両親の方のドアを開けて食事をして、それが終わってから、またドアを出て、今度は自分の世帯のドアを開けて、奥さんに「外で食べてきた」って言うんだって。その理由が、奥さんの料理が口に合わないから…。

 そこまで一人がしゃべると、2人で声を揃えた。
「ひどいねー」。
 聞いている方もそう思い、絶対離婚すると思った。まったく関係がないのに。

                        (2003年2月28日)


 この生活は、まるで終わらないように続いたのだけど、その翌年、2004年に、母親の肝臓にガンが見つかった。
 手術をして、いったん落ち着いたものの、2005年には再発し、2007年には、母は病院で亡くなった。
 義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。

 2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間の介護生活も突然終わった。2019年には、公認心理師の資格も取得した。 
 昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。


2024年2月28日

 この1週間は、雨が多く、昨日は久しぶりに晴れたら、とても風が強かった。 その風は冷たいので、やっぱり気持ちがちょっと萎縮すると思った。

 今日は、天気がいい。

 その上、風もほとんどなく、だから、ちょっと安心するような気持ちになれるし、洗濯もできる。

 すでに学期末なのか、テストなのか、学生のリズムがわからなくなっているのだけど、昼前に洗濯物を干していたら、すでに帰宅する高校生たちが列をつくるように歩いていた。

 空は青い。

柿の木

 庭の柿の木はすっかり何もなくなり枯れ木になっている。そこになんでだか、珍しく鳥がとまっていて何か動いている。

 それで、柿の木の枝が目に入り、去年、かなり切り落としたはずだったのだけど、また伸びて、このままだとまた今年の秋までは、電線にかかったり、道路の方に枝が張り出したり、さらに高いところまで伸びてしまい、コントロールできないほどの状態になってしまうと思えた。

 そういえば、今週は、また雨が降るかも、というような天気予報があったのを思い出し、さらには、今は枯れ木だけど、もう少し経つと葉っぱが生えはじめて、そうなると枝を伐採するには時期が遅くなるし、といったことを思ってしまい、ちょっと焦る。

 それで、午後になってから、妻と相談をして、柿の枝を切ることにした。

 脚立をはしご状にして、柿の木に立てかける。その下の部分を妻に押さえてもらって、登る。見上げていて、切らなくちゃ、と思った太めの枝にもなんとか届いて、切り落とすことができた。

 途中で思ったよりも、足が疲れて力が入らなくなったり、ノコギリを切る作業で呼吸が苦しくなったりもしながら、なんとか切ることができた。

 気がついたら二時間が経っていたけれど、かなり枝ぶりはさっぱりして、ちょっと安心した。

 基本的には、いつもとそれほど変わらない穏やかな日だと思う。

マーケティング

 最近、マーケティングの本を読んだ。想像とは少し違っていて、自分の仕事のことも考えられた。

 今は、市区町村で、介護者の相談ができる窓口が一つでも増えるように、その実践だけでなく、こうしたnoteで、家族介護者の心理的支援の必要性を伝えているつもりだけど、なかなかそれが広がらないと、自分の無力とともに、ずっと思ってきた。

 ただ、そうして社会に対して訴えるだけではなく、私自身が個人的に介護者の心理的支援の機会を増やしていく方法もあるのではないか。とこの本を読んで、思った。

 それができるかどうかは別としても、どうすれば、それが微力としても、もう少し自分の力を使うこともできるのかもしれないとも考えられた。

 マーケティングの本を読んで、そんなことを思考するのは、意外だった。


(他にも介護のことをいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)





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