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『「40歳を過ぎてから、大学院に行く」ということ』㉒「老眼鏡」と「陪席」

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

 いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして記事を、書き続けることができています。


(※この『「40歳を超えてから、大学院に通う」ということ』シリーズを、いつも読んでくださっている方は、「マクドナルド」から読んでいただければ、重複を避けられるかと思います)。


大学院で学ぼうと思った理由

 元々、私は家族介護者でした。

 1999年に介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。

 そうしたことに関して、効果的な支援をしている専門家が、自分の無知のせいもあり、いるかどうか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。

 そして、臨床心理士の資格を取得するために、指定大学院の修了が必須条件だったので、入学しようと考えました。それが実現したのが2010年です。介護に専念して10年が過ぎた頃でした。
 私自身は、今、振り返っても、40歳を超えてから大学院に入学し、そして学んで修了したことは、とても意味があることでしたし、辛さや大変さもあったのですが、学ぶこと自体が初めて楽しく感じ、充実した時間でした。

「40歳を超えて、大学院に通うということ」を書こうと思った理由

 それはとても恵まれていたことだとは思うのですが、その経験について、(すでに10年以上前のことになってしまいましたが)伝えることで、もしも、30代や40代や50代(もしくはそれ以上)になってから、大学院に進学する気持ちがある方に、少しでも肯定的な思いになってもらえるかもしれない、と不遜かもしれませんが、思いました。

(もちろん、資格試験のために大学院へ入学するのは、やや一般的ではないかもしれませんが)。

 同時に、家族介護者へ個別な心理的支援を仕事として続けてきたのですが、少なくとも臨床心理士で、この分野を専門としようと思っている方が、かなり少ないことは、この約10年間感じてきました。

 もしも、このnoteを読んでいらっしゃる方の中で、心理職に興味があり、臨床心理士公認心理師を目指したい。

 さらには、家族介護者の心理的支援をしたいと思ってくださる方がいらっしゃるとしたら、できたら、さらに学ぶ機会を作っていただきたい、という思いもあり、改めて、こうして伝えることにしました。

 この私のnoteの記事の中では、もしかしたら、かなり毛色が違うのかもしれませんし、不定期ですが、何回かに分けて、お伝えしようと思います。そして、当時のメモをもとにしているため、思ったよりも長い記事になっています。
 よろしくお願いいたします。

 今回は、40代後半になってから、介護を続けながらも、臨床心理学専攻の大学院に通えることになり、秋の新学期になってしばらく経った、10月後半の話です。

マクドナルド

 10月18日。月曜日。

 今日は、4泊5日のショートステイから、義母が帰って来ました。

 妻と二人で迎えに行き、午後4時前には家に戻ってきました。それから支度をして、午後4時半くらいには家を出て、地下鉄に乗ったら、途中の駅でしばらく止まりました。

 振替輸送、という言葉もアナウンスされていたのですが、いくつか先の駅での車両点検だというので、もう少し待ってみようと思った頃に、まもなく出発します、と言われ、結局、大学へ着いたら午後6時頃で、いつもよりも遅くなってしまったので、もうほとんど何かを食べる時間がなくなってしまった。

 と思ったら、今日の講義の教授が、学食で食券を買っていたので、自分も時間的には、ミニ丼くらいは食べられると思って、それを買ってけっこうあわてて食べました。

 教室へ行ったら、今日の発表の同期の人がまだ来ていなかったのですが、こういう日に来ないタイプではないのに、と思っていたら、遅れて来ました。

 今日は臨床の現場での倫理の話で、いくつかのグループに分かれて、話し合いをして、発表をして、といううちにかなりの時間がたっていました。休み時間に入ったのは、90分の予定よりも30分くらいあとでした。

 だから、講義の後半での発表の時間が、かなり大幅に遅れ、その中で質問ないですか?と言われて、何かしゃべり、少し議論になったものの、最後の方は発表者自身の話になったように思われました。

 そこで出た傷つけたくない、というような言葉で、抱える問題の大きさや強さみたいなものの人によっての違いみたいなことも感じましたが、帰り道でも、その講義に関しても、いろいろな話にもなりました。

 こういう講義の他での話し合いとか議論に近いものが、おそらくかなりの力になるのだろう、と思えました。それが学生の強み、みたいなものかもしれません。

 それから、同期の3人で歩いて、午後9時も過ぎていて、おなかが空いた、という話にもなったので、マクドナルドへ寄り、新しい商品のアイコンレモン&チキンみたいなものを注文していた同期の姿を見ていたら、私も何だか食べたくなり、そのチーズフォンデュ味のものを頼み、それから地下鉄に乗りました。

 それから3人で、その2つの味を食べながら、駅が過ぎていき、でもなんだか楽しい時間でした。その一方で、いろいろなことを話をするようになって、半年以上が過ぎ、いろいろな気持ちは変わってきました。

 臨床心理学の大学院に入り、同期は10数名でした。そして、半分は大学の学部から大学院に進んだ20代の人たち。半分は、社会人として入学してきた年齢はバラバラの人たち。

 そうした様々な年齢や、違う立場の人が混在して同期であることで、おそらくは、臨床の現場で働く未来には、かなりプラスになるのだろうと思うようにもなりました。

 さらに、昔は、若くてきれい女性だったら、怖いものなんてないのではないか、と愚かにも思っていました。ましてや、大学院生でインテリでもあるのだから、より怖いものがないのではないか、などと思っていたのですが、20代の若い同期といろいろと話すようになり、当たり前だけど、不安は多くて、若い方が選択肢が多くて、しかも昔よりも様々な情報があって、よけいに大変ではないか、と思うようになりました。

 そんなことに、自分が40歳を過ぎて、やっと気がつくなんて、自分でも少し恥ずかしいのですが、それでも、それが分かったのは、同期や先輩や、いろいろな人のおかげでした。臨床心理学を学ぶだけではなく、さまざまなことを教えてもらった半年間だったと改めて思いました。

落ち着き

 10月19日。火曜日

 受付の実習のある日は少し気が重くなります。それは責任もあるからなのだと思いますが、昨日からちょっとカゼ気味なので、そのことがさらに気を重くしているようです。

 昼前に家を出て、午後1時前に着き、大学の若い人しかいないような中で、コーヒーを飲んで、少しゆっくりとしてから、閲覧室へ行き、プリントをシュレッダーにかけて、(これだけシュレッダーをかける習慣がついたのは初めてだと思う)それから実習に入りました。

 ここのところ電話もあまりなく、クライエントもそれほど多くなく、なんだか時間が静かに過ぎて行き、だけど、早くインテーク陪席に入りたいと思っても、機会そのものが少ない上に、その多くは午前中だったりするので、なかなか陪席にも入れません。

 というのは、でも何度も陪席に入った上に、自分でケース(面接)を持っている人達に比べたら、ただの言い訳でしかないのはわかりますが、ただ、来週は自分が受付に入る時に、ちょうどインテークの予定があって、お、と思っていました。

 そして電話に出たり、クライエントにお茶を出したり、教授や先輩と少し話をしたりしているうちに時間が過ぎ、眼の前の壁に貼ってある様々な紙を見ながら、これからの事を考えたりもして、ぼんやりして、これから?と思いながらも、未来の長さが他の若い人たちと比べて短いことも考えていました。

 そのうちに、電話予約の記録を見て、陪席したいと思ったのですが、さらに内容を読んでいくと、自分のような中年男性が同席してはいけないのではないか、と思い、いろいろと迷って、結局は申し込みませんでした。

 こうやって、若い同期と比べて自分の方が未来が短いのに、こういう機会を生かさないなんて、ダメなのかな、と思って、少し暗くなったりもしました。だけど、そうやって実習の時間が終わり、家に電話をして、学生部へ行って、原稿を引き取りに行きました。それは、学内で発行する雑誌のようなものに掲載する原稿を学内で公募する企画のための原稿でした。それは、しばらく経って、学部生だけで、大学院生には応募する資格がないという連絡があったからです。

 学生部の係の人には「大学院生でもいいんですか?と聞いて、大丈夫です、と言ったので、この原稿を出したんです」と言ったものの、どこまで通じたか、届いたかは分かず、とにかく応募できません、という返事で、原稿を引き取りました。

 学食に行ったら、誰も知っている人がいなくて、ご飯少なめにしてもらい、久々にTランチを食べたのは、やっぱりおなかが空いた気がしたからで、カレーけっこううまいなー、と思って一人で食べていたら、同期の人があらわれました。

 その人に、一緒のテーブルに来てもらい、また一人来て、さらに来て、という感じで人が増え、6人くらいで食べてしゃべって、という自分にとってはかなり幸せな感じでしたが、そういう時間は早く過ぎて、あっという間に講義が始まる時間になってバタバタとエレベーターに乗りました。

 こういう時間があること自体は、今だにやっぱり恵まれていると思います。ほんわりとした微妙な暖かさみたいなものがある時間でした。

 講義が始まり、家族のシステムの話になり、時間の流れを認めない家族の不健全さみたいな話にもなり、よく出来た講義だとは思いましたが、その時間の流れを認めない、という話を聞き、いろいろなことを思いました。

 自分自身も、介護をしている10年以上の時間を、ある意味で認めていないような気がします。これからだ、と無理にでも思いたい自分がいるからでした。それで、後ろめたい気持ちにもなりました。

 そうやって一日が終わりました。こういう毎日の過ごし方に、かなり慣れて来て、陪席に入れない、みたいなあせりはあるにしても、でも、変に落ち着いた毎日で、それがいいのかどうかは、ちょっと疑問があります。

 この1ヶ月は、本当に時間の進み方が早くなったと感じています。それは、少しまずいのではないか、と思うくらいの速度でした。

 夜から夜中にかけて、いつものように介護の時間が続きます。

必要

 10月20日。水曜日。

 今日は、修士論文を書いていくための研究ゼミの日ですが、出かける前に、介護うつのようになってしまった人の話を聞きました。自分の親が老人性のうつになり、その介護が5年になる頃、自分の人生はこのまま終わってしまう、もしかしたら母親より先に死んでしまう、もう嫌だ、という状態になってしまったという話を聞き、本当に他人事ではなく、一緒に話を聞いた妻と何だか少し暗くなりました。

 今は義母が落ち着いているけれど、でも、これで少しでも認知症の症状が出て来たり、うつに陥ったりすれば、自分たちだって、今の生活がまったく変ってしまい、本当に学校に通うどころではなくなってしまう可能性だってあるので、今もきわどいところにいる事に変りがない、というのを改めて気がつかされた気もしました。

 家を出て大学へ向かい、大学へ着き、学食へ行ったら、同期が一人で食事をしていました。

 それから人が集まり始め、テーブルを囲んで食事をすると、ほとんどが20代の若い同期のせいなのか、なんだか楽しい気持ちになったのですが、同期でも、当然ながら、それぞれのゼミが違っていて、それぞれの話題にもなり、食事が終わったあとは、ばらばらになっていきました

 私は、若く優秀な同期の男性一人と研究ゼミを受けるので、一緒にややコンパクトな教室へ向かいました。教授も含めて、たった3人で。教室の中で話をしました。

 私はインタビューの進み具合の話で、これからどうしたらいいのでしょうか?というような質問をしたのですが、担当の教授は、じっくりと聞いてくれて、そして、その一つ一つに丁寧に答えてくれたおかげで、今後の不安のようなものはかなり減って、慎重に、でも、この方向へ確実に進めば、というような気持ちになれて、とてもありがたかく思えました。

 そして、2人の学生の発表(?)が終わった時には、1時間くらいしかたっていませんでしたが、それでも一人あたり30分は時間を使っているから、他のゼミと比べるのも変ですが、しっかりと学んではいるはずでした。それは、他の研究ゼミは、大学院の1年生だけではなく、先輩である2年生もいるのだから、人数も多いから、そんなことを思いました。

 でも、一方で、自分がきちんと学べているだろうか、と思うと、自分でも疑問が残ります。だけど、それから、インタビューのためにも名刺を作るという話になり、閲覧室へ行き、いっしょに学んでいる同期にコンピュータの操作なども、結局は任せてしまうことになり、申し訳ないような気持ちにもなったのですが、ありがたいことでした。

 その間に教授からの話は続き、インテーク面接の話になり、私が一度は申し込もうとしたが、事情を見てやめたものだったけれど、それでも、どうなるか分からないが、とにかく機会があるときは、陪席をさせてもらう話になりました。その必要とされる感じがうれしく思いました。

 それから、もう少し閲覧室にいて、同じ研究ゼミの同期と話していて、学校の実習に向いていそうなのに、と言われ、夜中の5時くらいまで介護をしているので、午前中の実習が出来ない自分が情けないけれど、でも、そう言ってもらうのがありがたく思えました。

 なんだか気分がいいのは、人に必要とされた、という感じがしたからだと思います。この感覚は、家族には感じていますが、他の人からは、この10年以上、向けられた記憶がないからでした。思ったよりも、気持ちがあたたかくなるのを感じていました。

あっさり

10月21日。木曜日。

 そろそろ老眼鏡を買おうと思って、今日は出来たら大学へ行く前にメガネ屋へ行こうと思っていたのですが、カゼをひいていて、雨も降っていて微妙に調子が悪いために中止にし、家で図書館から借りた本の引用を記録してから、出かけました。

 いつもよりも少し遅い時間に家を出た、という事で午後6時を回ってから学食に着いたら、4〜5人の同期がいて、軽くあいさつをかわしました。食事をしているとき、すでに話されている話題に入ってはいけず、ちょっと寂しかったけど、黙っていて、でも少し参加をして、それから焦ってミニ丼を食べました。

 時間もおなかもまだ余裕があったのでアイス最中を食べたのですが、「また食べてる」と言ってくれる若い同期の人もいて、そんな話をしていたら、もう時間になっていて、教室へ行ったら、かなりの人数が揃っていました。

 微妙にあせったのですが、今日はロールシャッハ学会に発表する博士課程の人が講義をしてくれる日で、ちょっと気が楽に思えたのですが、考えたら、ロールシャッハテストを自分が出来なければ病院では使い物にならないはずで、そう考えると、ロールシャッハの話を、普通にボールを蹴るように話す人を見て、自分にはできないので、なんだかちょっと怖くなるような気持ちにさえなりました。

 そして、その事例は貴重なもので、またハードなもので、本当に大変なんだ、というのは少し分かった気にもなりました。

 講義が終わって、そして、何人かの同期と、少ししゃべりながら門まで来て、さようなら、と2方向に分かれ、そのあと地下鉄に乗ったが、あんまりしゃべることもなく、途中で降りていく、という事になりました。

 それからは一人で地下鉄に乗ったまま、座っている途中で少し眠っていたら、気がついたら、30分以上がたっていました。それから家に電話をして、帰りにタマゴを頼まれて、いろいろ買ってから、帰りました。

 それから、義母をトイレに連れて行き、妻と少し話して少しテレビを見ていたら、妻の寝る時間になって、主介護者の妻を、いつものように少しマッサージして寝てもらいました。

 それからフロをわかし、タイマーをセットして、夜中まで介護の時間が続きます。

 この半年、自分なりに学んでいるつもりではあるのですが、でも、まだまだ身に付くというにははるかな時間がかかりそうだし、これでいいんだろうか?という気持ちは消えないものの、でも、少しずつ肌になじんでいく感じはしています。

 とは言うものの、それは学校に慣れた、というだけで、慣れだけで身についていなかったら最悪だと思いつつ、なんだかあっさりと過ぎてしまった1日を思い返します。

 こういう感触の時間の過ぎ方というのは、まさに慣れてしまった、という事をあらわしているのかもしれません。

感謝

 10月22日。金曜日。

 講義は、ゲスト講師を招いての講義でした。

 困難で大変な事を、希望を捨てずにやり続けている人、という姿を見た気がしました。問題は、その中で、どれだけちゃんとやっていけるか?という事が、やたらと大きく考えるだけでなく、自分のやるべき事をちゃんとやっているか、という迫力が間違いなくあり、仕事をしている充実感みたいなものも伝わって来ました。

 これからももっと社会的な発言もしてほしい、などという話もしようと思ったのですが時間がなくなってしまったし、負担を増やしてしまうかもしれない、みたいな事を思って、無責任だし言うのをやめました。

 講義が終わり、教室を出て、それから、門の外へ出て、どうしましょうか?みたいな話をして、じゃあ、少し飲みに行きましょう、という事になり、駅前のさくら水産へ6人で入りました。それから、さらに2人が合流して8人になり、それぞれなぜか隣の人と話し込んで、という展開にもなり、さらには、またいろいろと話していると、午後10時半過ぎに2人が帰り、11時過ぎに1人が帰り、あれこれしているうちに時間がさらに過ぎて、自分自身が、終電の時刻になったし、店が終わる頃になったので、帰ることにしました。

 他の若い同期4人は、まだいっしょにいて飲んだりするみたいで、なんだかすごくうらやましかったのですが、私は帰って、義母を夜中にトイレに連れていかなければいけないし、という事で、ホントに残念ですが、地下鉄の階段を降りていきました。

 20代と、40代は、やっぱり違います。

 地下鉄でちょっと寂しい気持ちにもなったりしたのですが、こうして一緒に飲んだりするなんて、という事がウソのようでした。

 この半年の間、自分の昔の仕事に興味を持ってくれ、その頃書いた本も読みたいと言ってくれて、さらに読んでくれて、その話もしてくれた同期もいたのですが、それを書いたのは、やはり、20年前のことでした。

 その遠さみたいなものが、その時の風景や光景にかすみのようなものをかけてしまい、薄い光の中に少しぼんやりとしてしまう過去になってしまい、あれから、それだけの時間がたつのに、自分は進歩していない、などとも思い、そして、そのすごく遠くになってしまった時の自分の年齢よりももっと若い時代を、今の同期が過ごしているかと思うと、なんだか不思議な気持ちになります。

 そんな若い、未来がたくさんある人達と、一緒の場所で学んでいるというのは、すごく貴重というか、得難い体験だったりもして、ホントにありがたく、今日も帰り際に、私が「学校生活をすごく楽しんでいるのは分かる」と言われるくらいのようでした。

 それは、こうして、50近い人間も受け入れてくれる20代の同期がいるからで、すごくありがたくなり、帰ってから、感謝のメールを打ちました。それは、もしかしたら迷惑になるかもしれないけれど、でも、そう思った時に伝えた方がいい、とも考えました。

 明日は老眼鏡を作りたい、とも思いました。

老眼鏡

 10月23日。土曜日

 今日は、まだカゼ気味がなんとなく治らないままで、少しぼんやりとして目をさましたら、天気がいいので、先におでかけしてます、という妻のメモが残されていました。

 義母はデイサービスへ行っています。だから、起きてから医者に行き、誰も待っていないためにわりと早く終わり、それから妻と待ち合わせの場所に行ってから、今日の目的である老眼鏡を買いに付き合ってもらいました。

 今までは妻や義母のメガネのためで、自分が買ったことはなかったのですが、眼科医でもらった処方箋を持ってメガネ屋に行きました。視力はまだ1・5くらいあるので、メガネを買うのは初めてのことでした。

 店のスタッフの方は、慣れた口調で、「幅がいろいろありますので、この度数だったらそれほど強くありませんから、プラスチックと金属のどちらがいいですか?」と聞かれプラスチックと答え、それから、ずっとメガネをかけているベテランの妻に相談しながら選び始めました。

 最初に黒に近いフレームをかけたら、似合わないかも、と妻に言われ、薄めの色で、少し四角に近いもの、がいいと、わりとすぐに言われたものの、自分では、その似合い方の違いというものがピンと来ないまま、次々と言われるままにかけ続け、これがいいかも、と10分くらいで決まりました。

 どれが似合うかは分からないままだったのですが、でもメガネをかけた自分を初めて見て、ああやっぱり顔は変るんだ、みたいなことも思いました。
 それから、それでお願しますと頼んでから、出来上がるまで時間があるので、その間に冬のコートを買い、セーターも買い、いろいろ買ってから、妻が辞書が欲しいというので買い、そうしているうちに30分と少しがたち、もうメガネが出来る時間になりました。

 メガネ屋に戻り、スタッフにメガネを渡され、「かけてみてください」と言われて、「これはとったりつけたりが多くても大丈夫なようにしてあります」と続けられ、そんなものかと思ったら、妻に「もう少し下を勢い良く向いて」とか指示されるままに動かし、その様子を見て、少し耳にかけるところをしっかりさせてもらう事にしました。

 そうしたら、カウンターの奥でアメ細工を作るように熱してから曲げてメガネのツルを調整していました。その後、またメガネをかけたら、ぴったりになったのがわかりました。

 それから雑誌で見て気になっていたカフェへ出かけ、久しぶりに妻とゆっくりとして、楽しく、居心地のいい時間でした。帰ってきてから、義母もデイサービスから戻ってくる時間になる頃、もらった薬が効いてきたせいか、眠くなって、少し寝て起きたら午後8時になっていましたが、それでも、まだ眠く、何もやっていないまま夜中になってしまった気持ちになりました。

 これから介護の時間です。 

 今日からメガネのある生活になりました。それが続く。ずっと他人事だと思っていたのに、老眼鏡をかける年齢になりました。

中だるみ

10月25日。月曜日。

 ちょっと肌寒いような、それでいて、皿を洗ったり、洗濯を干したりしていると、Tシャツに汗をかくような気候で、それが秋なのかもしれないと思いました。

 外へ出て見上げた空は特に秋っぽいわけでもないけれど、白い雲がちょっとだけ渦をまくような形にきれぎれになって空をうめていて、ああきれいだな、と思いました。

 カゼをひいたと思って、先週の土曜日は老眼鏡を作る前に医者に寄って、薬をもらい、その中の粉薬は妻もよくもらうもので、これ眠くなるんだよね、と本当にいつもの会話をしました。
 さすがにその薬の効用は憶えた、という自覚もあるけれど、飲んでから1時間半くらいたつと、やっぱり眠くなり、だからといって眠る前に飲むと目がさめた時に頭が重いような気もします。

 録音した音声で英語を聞きながら、皿を洗ったり、干したりをしているが、聞き流すような形になっていて、本当に身に付いているのかどうかは、とってもあやしい。ラジオのCMで石川遼くんが言っているように、聞き流すだけでこんなに分かるようになった、という事にはならないと思うのですが、半年前にはテレビの英語の時間をちゃんと見ていた事を考えると、完全に手抜きに近いことをやっている、とも思います。

 毎日が、それほどの引っかかりもなく、強い緊張もなく流れているせいか、時間がたつのが早くなりました。

 明日は、初めて面接の陪席をするかもしれなくて、それを考えると、今から緊張感は確かにありますが、今年の春くらいに毎日のように感じて、肩が痛いような張り方をしていたのと比べたら、やっぱり緊張感は軽いのだと思います。

 研究もインタビュー依頼の手紙の第1弾を渡しただけで、何だか少し達成感を勝手に感じてしまって、それ以上の進展が今のところなく、予定を立てなきゃ、本棚も整理しなきゃ、と思いながらも、そういう雑用といっていいものは本当に出来ず、家の中で地デジの準備とか、コンセントを増やすとか、英語のも新しいソフトを買わなきゃとか、コンピューターも新しくして使い方も教わらなきゃとか、いろいろなやるべき事はあっても、なんだかちょっとめんどくさいと思っているだけで、ちっとも進みません。

 10月も終わろうとしています。あれだけ毎日が目新しかったのに、今は、今日は、あの教授だ、と思ったりすると、その講義の進展が何となく予想がついて、もちろん教わることは今もまったく知らないことばかりで新鮮さはずっと続いているものの、いつもの毎日みたいな感覚になってしまっています。

 中だるみ、なんだと思います。

 前回は春から夏に近づいた頃に「中だるみ」はあったのですが、今回は、その自覚が少ない分だけ、本当にたるんでいるんだと思います。

 来週は学校は休み、などと思って、その間には学園祭に義母を連れて行く、というウチにとってはビッグイベントがあるものの、その間に課題とか発表とか、いろいろやることはある、と思ったりします。

 義母はいるので毎日介護はするし、講義があれば出かけるけれど、それが、どこか義務みたいになっているような気もします。楽しさは変らずにあるけれど、慣れというもののために何かがおろそかになっている気もするので、中だるみを自覚しつつ、ちょっとずつでも毎日前進出来るようにしよう、と11月を前にして、改めて思いました。これからも、ずっと、こんな繰り返しなのかもしれないのですが。

陪席

 10月26日。火曜日。

 今日は、いつもよりも早く起きて、電車の中で食事をして大学へ向かいました。

 インテークの陪席、つまりは初回の面接に同席をするためでした。かといって、行ってみてから断られることもあり、どうなるか分かりませんでしたが、でも少し役割が出来たようで、なんだか嬉しい気持ちが、たとえ断られても、気持ちの中にありました。

 大学内にあるカウンセリングの施設に到着し、午前中担当の同期の人と話をして、メガネを買った話や、陪席の時の心構えや、いろいろと少し話をしていたら、5分前くらいに、クライエントさんが現れました。

 それだけで、やや緊張したのですが、紅茶を出したら、あいさつをしてくれました。それから、面接の担当の先生もやってきたので、面接室の扉に近づいたら、もう少し待っていてください、と言われました。

 面接室の中でいろいろ話をしているのはなんとなくわかります、なんだか緊張していたら、ドアが開いて、招き入れられました。なんだかありがたい気持ちがしました。クライエントの方に、担当の先生から紹介をしてもらい、「落ち着いてますけど、大学院の1年生です」と言ってもらい、少し笑いのまじった空気になり、ありがたく思いました。

 それから,約1時間半は、かなりあっという間に過ぎました。かなり大変だというのだけは、分かりました。陪席の人間として、一言を求められて、なんだか一応、ねぎらったあとに、聞いてみたい事は聞いたのですが、よけいな事ではないか、とも思えました。こういう場合に、陪席を了承するだけでも、なんだか凄い事だとも感じました。

 それから、少し担当の先生と話をし、苦境を乗り越えてきた人達の中には、勉強になるならば、と言ってくれる人がけっこういると聞いて、また感心をしました。というより、もっと何とも言えない気持ちが起きました。自分が大変な状況で、しかも、お金を払ってカウンセリングを受ける、という立場なのに、そういう発想が出来る人がいることに、畏敬に近い気持ちが起きたのが分かりました。

 もう午後3時近くになっていました。

 いつもよりも、本当に早く時間が過ぎています。受付の机の前に座り、そこで電話番や、クライエントへのお茶だしをしながら、今回のインテークのまとめを続けました。

 ジェノグラムの書き方や、膨大な今回の言葉を読み込んで、どの言葉を選択すればいいかどうかを考えて、鉛筆で下書きをして、時間はまたさらにあっという間に過ぎて、午後5時近くになりました。

 この続きは明日にしよう、と思った時に、明日は妻が病院へ出かけて、義母がいるから私が家にいなくちゃいけないんだ、と思い出し、ひやっとし、だけど、そこからあわてても、もう間に合わず、担当の先生に「どうですか?」と言われた時には、まだ全然出来ていず、「申し訳ないです」と頭を下げるしかありませんでした。明日、また来るしかありません。

 そこから必死でやってはみたものの、まったく出来ずに、時間がさらに過ぎ、午後5時半になりました。それから、家に電話をし、事情を話し、明日も臨時で義母をデイサービスに預けられないだろうか、というような話をし、その予約がとれたのを確認してから、食事をとりました。

 妻に迷惑をかけたけれど、そうした臨機応変の対応は、とてもありがたいことでした。頭の中は、今日の面接の内容でいっぱいでした。

 同期のみんなと学食で会い、食事をし、講義に向かいました。いつものように厳しい教授の講義だったのですが、この前よりは、少しはなごやかになり、昨日、「調子が悪いよ、講義どうしよう?まだ発表ぜんぜんやってないよ」と電話がかかってきた同期の人も、自作の絵をまじえたオリジナリティーの高い発表をしていました。

 さらには、この大学院に入学してから、最初に声をかけてくれた「恩人」とも言える若い同期は見事な発表をし、それはかなり論文を読みこんだ、というオーソドックスな努力をした結果だとも知り、少しうれしくなりました。

 講義が終わった今も今日の面接の事で頭がいっぱいですが、でも、なんだか充実感がありました。これから、実際に仕事をし始めたら、こんな事を言っていられないと思いますし、不謹慎かもしれませんが、人がすべてをかけて話をしているような場面に立ち会うことが自分のやりがいだと、改めて分かったような気がします。

文書

 10月27日。水曜日。

 昨日、インテークの文書が仕上がらず、妻は病院に行かなくてはならず、だから、今日も義母にデイサービスに行ってもらうことをお願いして、なんとか昼頃に出かけられました。

 午後2時過ぎに大学に着いて、学食でコーヒーでも、と思ったら、同期で、今はクリニックで働いている人と会い、少し話をしました。発達障害や統合失調症に関する現場の人ならではの内容でした。

 それから、カウセリングの施設に行ったら、カギが閉まっていて、さらに表に行ったらノックをしても反応がありませんでした。会議で、午後2時40分くらいまでここには誰もいない、という事がわかったので、閲覧室で待つことにしました。

 そこには何人か同期がいて、一生懸命、それぞれの文書を作成しています。そのあと、教授の方々が研究室に戻ってきたのがわかったので、もう大丈夫と思って、カウンセリングの施設に行き、中に入り、部屋で書類の作成を始めました。

 暑くてTシャツ1枚になって書いていたら、同期の人が来て、少し話をしてから、また書き始めました。昨日、かなり考える時間もあったので、わりとスムーズに、などと思っていたのですが、それで結局は2時間くらいはかかってしまいました。

 やっと出来た、あとは見せるだけ、と思っていたのですが、でも、その担当の先生がいませんでした。そこで、その先生の研究室は閲覧室の奥にあったはずだったので、閲覧室へ移動し、コーヒーを飲んで、これから先の発表に関する論文を読んでいたのですが、読みにくい上に、やっぱり周りに人がいると、どうしても集中も出来ないし、途中で雑談もしたり、と時間が過ぎるのですが、その先生はあらわれませんでした。

 仕方がないので、実習ゼミの部屋へ持って行こうとも思っのですが、でも、同期に「外部への持ち出しは絶対ダメです」と言われ、秘密保持の原則から言えば、当然だと思い、そして、「レターケースに入れておけば大丈夫だと思います」とも言われ、その先生の研究室のレターケースに書類を入れました。

 そのあと学食で夕食を食べました。丼ものでは、ナンバーワンと、いう噂のビビンバ丼だったので、それが好きだという同期の女性にも分けました。確かにおいしかったのですが、その同期の女性ほどの感動は自分にはなかったと思うと、微妙に申し訳ない感じもします。

 それから実習ゼミに行き、今日はプロとしてもう臨床心理士をされている人の事例の発表だったりもするので、内容は充実していたというか、重いテーマでもあったりしたのですが、でも、やっぱりとても勉強にもなり、なんだかありがたく思いました。

 その発表が終わった後に「おつかれさまでした」と言うと、「絶対言うと思ったから、疲れてません、と言おうと思った」と笑われ「変な事言ってたら、すみません」と続けたら、「なんで、あやまるんですか?」とあきれられたが、自分が何の経験もないのに何かを言うこと自体が、なんだか間違っているような気持ちが抜けないせいもありました。

 帰り道で、今日、探していた先生らしき人を見たような気がしたのですが、帰る時に呼び止められるのは嫌かな、とちゅうちょし、それで、いつの間にか姿を見失っていました。レターケースに一方的に大事な文書を入れるなんて、やっぱり失礼ではないか、とも思ったので、話をしようと思っていました。

 少なくとも、明日、おわびのメールをいれようと考えていたのですが、最近、なんだか慣れて来て、だから、こういう事をきっかけにダメな事が続くのかもしれない、などとも思っていました。

 あさってまでの課題が出来上がっていないので、それに対してのあせりもあります。土曜日と日曜日には、出かける予定になっていて、それは楽しいはずなのですが、微妙な、いつもと違う事をするという事で、プレッシャーにもなっています。

 なんだか、変に落ち着かない気持ちのままでした。

 家に帰ったら、夜中までの介護は続きます。眠れるのは午前5時過ぎくらいになりそうです。

週末

 10月29日。金曜日。

 今日は課題があって、インテークの書類の事もあって、なんだかいろいろ気になる事が重なっていて、あせっていたのですが、歯医者の予約はあるので、その時間になって洗濯機の中に洗濯物を入れてから歯医者へ行きました。

 いつものように歯科医は何度となく話しかけてくれるのですが、あまり答えることも出来ず、治療にまだ時間がかかりそうな事だけは分かって、もう1ヶ月は通っているのですが、これからどれだけかかるんだろう、という気持ちにはなりました。

 それから眼科に視野検査というものを申し込もうと思ったら、来週いっぱいが休みで、そして、午後休診の日が木曜日で、縁がないんだと思いました。

 帰って来て、いつもよりもおそらく短い時間で集中して課題の感想文を書いて、それから出かけ、大学には午後5時半頃着いて、閲覧室の奥にある、インテークの担当の教授の部屋へ行こうとしたら、その先生に会えて、インテーク面接の陪席の書類に関しては、チェックしてもらったのは大丈夫、と言ってくれました。ずっと気になり続けていたのですが、あっさりと解決して、ホッとしました。

 だけど、考えてみたら、まだ書類は出来上がっていないので、カウンセリングの施設に行き、その書類で、新しくファイルを作っていたら、午後6時頃になってしまい、学食でミニ丼を食べて、講義の開始ぎりぎりになってしまいました。

 それから教室へ行き、いつものように講義が始まり、おだやかな語り口の先生のおかげで、途中ですごく眠くなったりもしたのですが、時間はゆるやかに静かに流れ、そして講義は終わりました。

 いろいろと得るものもあるのですが、だけど、こうやって講義を受けて、そして帰って、という日々がわりとルーティンになってしまって、不安は少ないけれど、刺激もあまりない日が続いているような気がしています。

 かといって、来月に入れば、あっという間にあれこれの発表や課題がたくさんあるし、研究ゼミの修士論文の事もあるし、進んでないし、でも何だか妙に気持ちは落ち着いています。

 帰りは、週末は飯でも、と言ってくれていたので、一緒に行きましょうという事になったら、同期で6人くらいで行くことになりました。それで食べて飲んで、話をしていて、解散して、今日は余裕で終電にも間に合うと、なんだかゆとりがもてました。

 家に帰ってきたら、メモによると、1時間前に妻がトイレに連れて行ったばかりの義母が、もうトイレに行っていました。ちょっとイラっとしました。すぐに介護が始まります。 

 家に帰ってパソコンでメールを開いたら、病気で休学中の人から返信が来ていました。私は携帯を持っていないので、帰宅するまでメールの確認もできません。

 そこには大学院の生活のこと、また教えてください、といった文章も書いてありましたが、当然、それについては、分かりました、といった返信をすることになります。そうして、返信をきちんと送ってくれただけでも、なんだか少しうれしい気持ちになりました。

 昨日、妻が私の誕生日をちゃんと祝ってくれたのですが、夜中に、昨日もらった誕生日カードを見ました。

 介護の10年間って、30代後半から40代後半という仕事をしていくには大事な時期で、そのときに何の仕事もしていなかったことで、いろいろなことを失ってしまった自分は、取り返しがつかないのではないか。みたいな事を、つい時々言っているのですが、その事に関して、昨日もらった誕生日を祝うカードには、イラストとともに妻からのメッセージが、書かれています。

 10年間を取り戻せるんだろうか、と嘆く私の姿がイラストで描かれているのですが、「あの10年があるから、今私がすごいと思っている〇〇があるです!」と私のことを評価してくれていて、それを見て、改めて本当に嬉しくありがたいと思い、本当にその経験を生かして、ちゃんとやっていこうと思いました。

休み感

10月31日。日曜日。

 たぶん春とか夏だったら、こういう連休って、あー休みだ、ありがたい、少し休める、みたいな気持ちになっていたはずですが、今回は、約1週間の長めの休みで、その間は実習もないのに、なんだか休める、という感じはあまりしません。

 もちろん実際には、空き家になっている実家へ行って庭の整理などをしたり、文化祭へ義母を連れていったり、意外とやることがあって、けっこう出かけたりする予定もあります。

 さらに、研究や講義の課題や発表が、休みの後にけっこうあって、それで昨日からすでに気持ちが焦ったりもしています。

 中でも面接に関する講義の発表は、量も多いし、内容も難しいし、それはその担当の教授から、ある意味で期待をしてもらっているようにも思えます、それでも同期と二人で担当するわけなので、何とかなるとは思いながらも、でも、資料というか、読まなきゃいけないものが分かったりしているのに、その本はアマゾンでも中古しかないようなものだったりして、ちょっと、ふー、という気持ちにもなっています。

 一方で研究ゼミで、あれだけインタビュー依頼の手紙の事を自分から言ったのですが、まだ何もやってなくて、それは担当の教授に申し訳ない、という後ろめたさに変わっています。

 来週提出の課題は、まだやっていませんが、その教授が話していること、書いてあることは間違いなく立派で、だから、なんとかちゃんとしたいと思っているのですが、でも、その論文の中で、これは…?というような微妙な箇所を見つけ、それを書くかどうか迷っていました。

 でも、その発表の話を妻にする時に、悩みながらも自分でもかなり楽しそうに話しているのが分かります。追われているような気持ちもあるものの、それなりに充実感があるからだと思いますが、でも、10月も終わりなので後期が始まって、もう2ヶ月がたっているわけで、この早さにちょっとびびりながら、あと1年半もない、と思うと、もっと学びたいし、もっと毎日を楽しくさせたい、とさらにぜいたくな気持ちにはなっています。

 改めて、大学院に行かせてもらうことに妻に協力してもらって、ありがたく思います。妻の介護の負担は確実に重くなっているはずですが、私が学校のことを話すと、自分も行っているようで、少し外の風が吹いてくるようで楽しいと言ってくれて、それもとても有難いことでした。

 今日はアートを見に行って、帰って来て、妻の筋トレをするのを手助けして、いろいろあって、夜中になりました。こうして日記のようなことは書いているのですが、やるべきことはまだあって、ほとんどやっていない。と反省するよりも、少しでも進めよう、と思います。ばかみたいな、ループです。


(次の話↓へ続きます)


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