『「介護時間」の光景』(151)「訓練」。4.4.
いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして書き続けることができています。
この『「介護時間」の光景』を、いつも読んでくださってる方は、「2007年の頃」から読んでいただければ、これまで読んで下さったこととの、繰り返しを避けられるかと思います。
初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
「介護時間」の光景
この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。
それは、とても個人的なことで、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。
今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2007年4月4日」のことです。終盤に、今日、「2023年4月4日」のことを書いています。
(※ この『「介護時間」の光景』シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況で書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)。
2007年の頃
1999年から介護が始まり、2000年に、母は転院したのですが、私は、ただ病院に毎日のように通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けていました。
そのまま、介護は続けていたのですが、そういう生活が4年続いた頃、母の症状が落ち着いてきました。
そのため、それまで全く考えられなかった自分の未来のことまで、少し考えられるようになったのですが、2004年に母にガンが見つかり、手術し、いったんはおさまっていたのですが、翌年に再発し、それ以上の治療は難しい状態でした。
そのため、なるべく外出をしたり、旅行をしたりしていましたし、2007年の2月にも、熱海に旅行に行けたのですが、その後は、体調が整わず、さらに不安が大きい頃でした。
そのせいか、ほぼ毎日、病院に通っていました。
2007年4月4日
「いつものバスに乗った。
その前に、義母の介護のケアプランの契約のために、午後に近所のデイサービスで利用している場所で、打ち合わせをした。
それから、母の入院している病院に電話をして、いつも母をみてもらっている医師と、面会の約束をする。
気持ちは別に軽くはならない。いつもの病室へついて、母は、今日は、レクリエーションでのお茶会が楽しかった、という。
よかった。
夕食は30分かけて、3割くらいしか食べられない。
雨が降って、途中で、虹が見えた、地面に立つように見えたことがあった。そんなことを、食事のあとに考えていた。
午後7時に病院を出る。
寒い」
訓練
駅のトイレ。10台くらいの小便器が並んでいて、混んでいると、当然だけど全部がうまる。
みんなが背を向けて、同じ方向へ向いて、ほぼ同じ動きをしている。自分も、列の中で待っていた。けっこう混み続けている。
1番右端の人と、一台おいてもう一人の動き。小便を終えて、ジッパーを上げて、数歩下がる。
そのタイミング。その歩幅が、ほぼ完全に同じに見える。そして、方向転換した後の角度、出口に向かう動きまで、感心するほど一致しているように見えた。
何かの軍隊の訓練に思えるほどだった。
(2007年4月4日)
母は、2007年の5月に病院で亡くなった。
義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。
2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間の介護生活も突然終わった。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。
2023年4月4日
天気はいい。
今日は燃えるゴミの日で、家の前にはゴミの集積所があって、だから、カラスの鳴き声が聞こえると、ゴミが荒らされているのでは、と気になったりもする。
いつもは、午前10時前、遅くても、午前中には収集車が来るのに、今日は来ない。
昼食を食べていたら、チャイムが鳴って、ご近所の方も気になっているということを知る。
それで、地域の清掃事務所の電話番号を、町内会の名簿で探して、家の固定電話でかけたら、違う番号を案内される。そこにかけたら、混んでいて、つながらない。妻に、収集所にあった番号を教えてもらい、また電話をする。
つながった。
午後1時近くになっているのに、まだ来ていない、という話をしたら、4月からルートが変わって、全体的に遅れ気味になっています。午後2時半頃までに、まだ来なかったら、連絡をください、と言われる。
不安はあったけれど、午後2時過ぎに、ゴミ収集車は、来た。
よかった。
柿の木
確か、何年か前にも、かなり伐採してもらったはずだし、あれから、毎年のように高枝切りバサミを使ったり、時々はノコギリで、枝を整えていたのに、柿の枝は、また伸びて、2階の屋根より高く伸びた。
このままだと、もし、倒れたりすると、お隣にも迷惑をかけたり、自分の家も壊れたりしそうなので、冬の葉っぱも生えていない頃に切ろうと思っていたが、体調なども含めて、できないうちに時間が過ぎて、気がついたら、かなり緑で覆われていた。
新緑の色はきれいだったけれど、洗濯をするときに、下から見上げて、枝もあちこちに意外と長く伸びているし、あの太い枝を切り落としたとして、その倒れる場所を考えないと、どこかの電線を切ったり、家を壊したりそうで、できるだろうか、と不安だけがふくらんでいた。
ノコギリ
昼食を食べて、妻が昼寝から目覚めて、準備もしてくれて、だから、午後2時半頃から、作業を始める。
家の裏から、脚立を持ってきて、それをハシゴ状にして、柿の木に立てかける。
もうかなり古い木になっていて、それなりの太さになり、人の背の高さくらいのところで、三本に枝分かれをしてる、そのうちの一本を、かなり根元に近いところで、切り落とそうと思う。
妻が支えてくれたハシゴに登り、切り落とす場所の目安をつける。20センチ弱の太さ。その上は、2メートルくらいの高さがあり、枝も広がっている。だから、切った後に、どこに落とすかが難しくて、少しズレると、電線を切ったり、お隣さんの家にダメージを与えたり、自分のうちの波板の薄い屋根が破壊されそうで、ちょっと困る。
道路に向けて、やや斜め方向へ枝を落とせば、おそらく大丈夫と判断し、ハシゴを降りて、妻が用意してくれたロープを持って、また登って、切り落とす予定の枝にかける。
新しいノコギリは、まだよく切れる。最初は、切っていく方向に迷って、やりにくかったけれど、それが決まってからはスムーズに進む。
ただ、ロープを引っ張るのを、妻にお願いしたものの、その枝は、小さな樹木くらいの大きさもあるから、重さもあって、もしかしたら、その重量に巻き込まれて、危ないかもしれない。
そこで、方針をかえる。
ギリギリまで切り進んだら、私がハシゴを降りて、そのロープを引っ張って、その枝を倒すことにする。
だけど、切りながら、ちょっとドキドキする。何かがうまく行かなかったら、お隣さんに迷惑をかけてしまうからだ。
柿の枝
新しいノコギリは、そんなふうな不安を持っていても、まだ順調に切り進めてくれて、そして、これくらいでは、というところで、ハシゴを降りて、道路に出て、ロープを引っ張る。
最初は、あんまり動かない。無理かと思ったら、少し傾く。ちょっとあわてて、どこにも当たらない方向へ向けて、思い切り引っ張る。
ガサガサガサ、という重い音がして、その枝は、少しゆっくりと、逆さまになっていく。
そして、その一番先が、お隣さんの壁に当たりそうで、そこに何かの線があったことが見えていなかったけれど、ギリギリで、なんとか大丈夫そうだった。
それから、また、庭に行って、その枝が落ち切っていないので、さらに、手を伸ばして引っ張り、落ちてきたところを背中で受け止めて、それから、庭にずらしていく。その間も、枝が、どこかに当たる、いろいろな音がした。
コンパクトな庭が、枝でいっぱいになった。
妻は、空が広くなった、と喜んでくれた。
あとは、枝を切って、出せるものは、ゴミの日に出すために作業をして、一区切りしたら、約2時間がたっていた。
ほっとした。
妻も疲れたと思うが、私も、足がなんだか思った以上に、疲れていた。
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