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「介護時間」の光景㊳「パイプ」。12.12.

    最初は、2007年の話です。いつもは、1日だけの話ですが、今回は、2007年5月から12月までのことになります。

 今から、13年前です。

 終盤に、2020年12月12日のことを書いています。


(私の経歴などは、ここをクリックしていただければ、概略が分かるかと思います)。


2007年5月からのこと
 

 前半は、かなり昔のことになり、申し訳ないのですが、2007年のことです。この年の5月に母が亡くなりました。7年間、ずっと母の入院している病院に「通い介護」(リンクあり)をしていたのですが、母は病院で息を引き取りました。

 私は病院に通わなくてよくなって、8年ぶりに仕事を再開できるかもしれない、と久しぶりに介護以外のことを考える余裕が、一瞬できたのですが、その頃、同時に介護をしていた義母(妻の母親)の状況が、さらに厳しくなったので、すぐに自分の思いはあきらめました。

 それは、妻と二人で介護をしないと、妻が過労死してしまうと思うような状況になったからで、そのまま、今度は、在宅で介護に専念する日々が続きました。

 私は、夜中の介護の担当で、その頃から、介護のすきまに、しばらく前から考えていた臨床心理士になるための勉強を始めました。自分が介護を続けて、気持ちの面のサポートが必要だと思ったのですが、知っている範囲では、そうした介護者の心を支える専門家がいないと思ってしまったので、生意気にも、自分がやろうと思いました。

 カウンセラーになるには。という本を借りて読んだら、いちばん最初に「臨床心理士」の項目がありました。臨床心理士になるには、資格試験を受ける前に、大学院に行かないといけないと知りました。正直、面倒臭いと思ったのですが、まったくわからないまま、時々、大きい本屋へ行き、心理学系大学院の受験のための参考書を買って、ひとりで勉強をはじめました。

 これまでとは違う時間が過ぎて、10月になりました。
 自分の誕生日を迎えました。

 誕生日のことは記録が書いてありましたが、この年は、母の病院に通わなくなってから、書く分量がすごく減りました。

誕生日のこと

「今日、誕生日だった。
 朝、部屋に、妻からのプレゼントがあった。
 すごく嬉しい。と言葉で書くと上滑りだけど、見るとホントに気持ちが暖まる。
 
 手紙があった。
 この8年間のこと。改めて、お疲れさまでした。ちゃんとみていた、と思います。すごいです。並の人間にはできないです。といったことが書かれていた。なんだか、すごく有り難く、改めて、その年数を思おうとして、でも、もうパッケージされた過去になってしまうのか、とも思い、ただ、それは自分しだいだろう、などとも思う。

 でも、この1年の間に母が死んで、確実になにかが変わったのだった。
 今、こうやって、時間がない、みたいな事を思っているけれど、とんでもない。昼寝もして、原稿も書いて、たぶん柄でもない「受験勉強」までしている。そういう余裕を母が与えてくれたのは間違いない。

 でも、すごい変化だと思う。
 あれだけ、重みのある時間がゆっくりと流れていたような気がして、その重さにいつまで耐えられるのだろう、と不安に思いそうになるのを意識的に止めていたような時間は、もう過ぎてしまった。
 悲しいとは少し違う。確実に人は死ぬ。自分も死ぬ。
 そういう時間の流れが、生きている時間は、ずっと続かないことが、気持ちというか、体に刻まれたみたいな感覚なのかもしれない。

 気持ちが…というより、体が、軽くなっているような感覚。
 うまく言えない。
 あの頃の方がよかったんじゃないか?という変な気持ち。
 それは単純に、母が生きていたから、という理由だけかもしれない。

 いらっしゃい。
 病院の個室で、そう言い続けてくれた7年間。
 もう当たり前だけど、戻ってこない。
 今は、行くべきところは、特にない。

 でも、妻と話したみたいに、臨床心理士になろうとしているのは、確かに、あの8年間…もう「あの」という感覚になっているんだ…の、変な言い方だけど、落とし前をつける、みたいな気持ちに確かに近いのかもしれない、とも思う。

 1ヶ月に1回のカード作りの日。
 半年がたたないうちに、病院に行って、むやみと悲しい気持ち、時間の流れがおかしくなる感覚は、すごく少なくなっているのだけど、でも、カード作りのボランティアへ、行く気持ちがあるのは、行くべきだ、という感覚が、まだあるせいだと思う。
 もう、関係なくなってしまった、と言える場所でもあるのだけど。

 妻とケーキを食べた。
 ありがたく、なんか、すごくうれしい。
 すごく、おだやかな気持ちのままの誕生日だった。
 去年は、すごく、無理してでも走っているような気持ちが続いていた。
 今も、気持ちがゆるむことへの恐怖は、まだある」。

2007年12月12日

 母が5月に亡くなったけれど、冬になっても、その病院にまた向かう。
 今日も月に一度のボランティアの日だった。
 入院している患者さんに渡す誕生日カードを作る。
 母が生きていて、入院している頃から始めて、5年がたって、今年は母が亡くなって、いったんは、やめようと思った。だけど、ここまで一緒にボランティアを続けてきた人たちもいるので、1回休んで、また通い始めた。

 母はいなくなったけれど、今も、在宅で、妻と一緒に義母の介護を続けていた。
 受験勉強も始めていた。
 以前よりも、ほとんど外出もしなくなったから、このボランティアの日だけは、電車に乗って、少し遠くへ向かう機会になっていた。
 その車窓から見える光景は、ずっと見続けてきたはずなのだけど、母が生きていて、通っていた時とは違ってきて、緊迫感みたいなものが抜けてきたように思う。


パイプ

 建物の壁に、太いパイプが顔を出している。
 そこから、たくさんの電線(?)のようなものが出ている。
 滝にも、流しそうめんにも見える。

                  (2007年12月12日)


2020年12月12日 

   夕方で、まだ午後5時少し前なのに、かなり外は暗くなっている。

 滞在時間は、三十分以内にしてください、という表示がある図書館に入ると、中の照明がすごく明るい。もしかしたら、コロナ禍で閉館になった前よりも明るいかもしれない、というよりも、一時期は、半分くらいしか灯りがついていない頃の記憶と、無意識で比べているのせいかもしれない。

 内部は、すべての場所が「ソーシャルディスタンス」で構成されている。イスに座って、本のリクエストを書き込んでいたら、後ろから本をめくる音が聞こえる。背中にくっつくらいそばに感じたのだけど、振り返ると2メートルくらい後ろだった。

 今日は土曜日せいか、子ども連れが多い。
 父親の腰よりも小さい女の子が、少し飛び跳ねながら、ターターターター、と独自のメロディーに乗せるように声を出している。
 図書館らしい、そんな声を、コロナ禍の中では、初めて聞いたような気がする。

 予約した本とCDを借りようと思ったら、カウンターまで6人くらい並んでいる。この前は、このフロアいっぱいくらい行列ができたこともあったのだけど、週末には人が多く来るようになったのかもしれない。

 人が増えると、スタッフの人が、貸し出しだけの人に声をかけ、私の前に並ぶ中年男性は、「自動貸し出し機」まで誘導されていた。

 滞在時間は、たぶん15分くらいで、入館前は、まだ夕暮れの感じだったのに、午後5時5分に出たら、もう暗かった。
 図書館の駐車場から、子どもを乗せた自転車が何台も出てきて、坂道を下っていく。

 坂道をおりていったら、道のそばの建物の前に人が並んでいる。
 もう少し近づいたら、スイミングスクールがあって、そこから出てくる、おそらくお子さんたちを待つ親御さんたちが、「ソーシャルディスタンス」を保ちながら、集まっているのだと分かった。

 そこから、さらに歩いて、少し買い物をして、家についた。玄関の扉を開ける。

 今日は、母さんの誕生日だから、ケーキを買ったよ。

 妻に階段の上から、声をかけられた。2年前に亡くなった義母は、生きていれば、今日で105歳になるはずだった。



(他にも介護のことをいろいろと書いています↓。読んでいただければ、ありがたく思います)。

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