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『「介護時間」の光景』(160)「ヤモリ」。6.12.

  いつも読んでいただいている方は、ありがとうございます。
 そのおかげで、こうして書き続けることができています。

 初めて、読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

(いつも、この「介護時間の光景」シリーズを読んでくださっている方は、「2002年6月12日」から読んでいただければ、重複を避けられるかと思います)。

「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的なことで、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2002年6月12日」のことです。終盤に、今日、「2023年6月12日」のことを書いています。

(※ この『「介護時間」の光景』シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況で書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)。

2002年の頃


 とても個人的なことですが、1999年から母親の介護を始めて、その途中で、私自身も心臓発作を起こしたこともあり、仕事をやめ、義母の介護も始まりつつあり2000年の夏には母親に入院してもらいました。

 私は、毎日のように2時間ほどかけて、母の病室へ通っていました。帰ってきてから義母の介護をする日々でした。ただ、それだけを続けていました。

 自分が、母のいる病院に通っても、医学的にプラスかどうかは分かりませんでした。でも、通わなくなって、二度とコミュニケーションが取れなくなったままになったら、と思うと、怖さもあって、通い続けていました。

 この病院に来る前、別の病院の医療関係者にかなりの負担をかけられていたこともあり、やや大げさに言えば、白衣に、怖さすら感じていました。

 そういう気持ちは、新しい病院に移り、1年半以上経って、病院を信頼するように変わっていたのが、この2002年の6月頃だったように記憶しています。

 そのころの記録です。

2002年6月12日

「昨日は、母の病院に行った。

 午後4時頃ついて、午後7時過ぎに病院を出た。

 サッカーのW杯をやっていて、それをテレビで見た、という話をした。

 少し安定しているようだった。

 そのため、そろそろ、外出もできると思い、その話をしたら、うれしそうだった。

 帰りに家に電話をしたら、妻が不安そうに、義母が、魚の骨をノドにさして、ちょっとした騒ぎになっていたようだ。ただ、今は大丈夫そうだ。

 本当に、高齢者はいろいろある。最近は、ほとんどが、何か良くないことばかりのように思っていた。

 今日は、妻の誕生日でもあるし、義母の介護は変わらずにあるし、明日も、病院に行くので、今日は、家にいることにした。

 夜は、介護のあとも、よく眠れなかった。

 午前4時過ぎに、また、心臓が痛い気がした。

 やっぱり、こわい」。

ヤモリ

 夜中の12時少し過ぎ。この前とほとんど同じような時間に、ほとんど玄関の同じような場所に、またヤモリがいた。

 今日と言っても、もう昨日になるけれど、妻の誕生日だった。

 なんで、ここにヤモリがいるんだろう。

                    (2002年6月12日)


 この生活はそれからも続き、本当に永遠に終わらないのではないか、と感じたこともあったのだけど、2004年に母はガンになり、手術もし、一時期は落ち着いていたが、翌年に再発してしまった。そして、2007年に母が病院で亡くなり、「通い介護」が終わった。

 義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。

 2018年12月には、在宅で、妻と二人で介護をしていた義母が103歳で亡くなり、19年間の介護生活も突然終わった。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。


2023年6月12日

 起きたら、雨が降っていた。

 音はそれほどしないので、雨戸が閉まっているときは、降っていないかも、と思うくらいの、しとしとした降り方だった。

誕生日

 今日は、妻の誕生日で、昨日の夜中にささやかなプレゼントとカードを、テーブルの上に置いておいたら、私が起きた時に、お礼を言われ、そして、喜んでくれたようで、良かったと思った。

 毎年、こうして、無事に一緒に祝えるのは、やっぱりうれしい。

 昼食は、妻が欲しいものを買いたいというので、最初は、雨も降っているので、私が出かけようとしたのだけど、おそらく、本人が選びたいのだろうし、とちょうちょしていたら、もう出かけていた。

 帰ってきたら、近所のコンビニでカレーパンと、サンドイッチと、タコやイカの入ったおかずを買ってきて、とてもうれしそうだった。

 良かった。

ケーキ

 夜は、妻の希望で、寿司にしようと思った。申し訳ないけれど、スーパーに行って、買ってきた。

 ケーキは、最近、近所にできた店があって、そこは、色々と美味しかったので、そこで買うことにした。

 スーパーの後に、ケーキを買うために、洋菓子の店に寄る。

 ショーケースの一番下には、おいしそうなケーキが並び、その右端に、妻が希望していたショートケーキらしきイチゴがのった種類があり、左端には、チョコの色をしたケーキがある。

 ただ、ケーキの名前には、ショートケーキという文字が全くなかったので、「これ、ショートケーキですか?」と聞いてしまった。スタッフの女性が、「そうです」と柔らかい笑顔で答えてくれて、だから、安心して買えた。

 家に戻って、妻と一緒に、誕生日おめでとうケーキを食べた。

 妻は、喜んでくれて、私も、ケーキの外側のチョコレートが、半分、溶けている状態を保っていて、すごくチョコ感が出ていて、おいしかったし、感心もした。

 録画していた音楽番組をみて、そこで、懐かしいシンガーの映像も見た。久しぶりに忌野清志郎が歌っている姿を見て、なんだか、良かったと思う。

 穏やかな誕生日を送れて、うれしかった。

感染拡大

 こうして、明らかに感染増加傾向なのに、「5類移行」後は、ほとんどコロナ感染の情報も見えなくなったし、報道も減った。

 テレビを見ていても、芸能人の人が、急な発熱で休みます、といったニュースに接することが多くなった。すでに検査は無料でもなくなったので、感染していたとしても、不明な人も増えたとも言われている。

 こうした保健局の公式ホームページなどを見ると、発熱した場合は、自宅で検査をして、軽症だったら、自宅療養をしてください、という指示になっている。感染した場合に、誰でもすぐに治療を受けられる、という印象が薄い。

 マイナ健康証の問題が起きた時の対応などを見ても、このところ特に「冷たい政策」になっているように思えるので、ただ、不安は小さくならず、ふくらむだけだ。

 だから、私のように、自分も体が弱く、さらに持病を持つ家族がいたら、もう、コロナは終わった、という人も多い中で、これから感染拡大の可能性が高くなるのに、より感染をしないようにするしかなく、それは、これまでよりも孤立感の強まる中で、自分たちで自分たちを守るしかない生活が続くかと思うと、気が重くなる。

 感染をしないために、今まで通りになるべく外出をせず、それでも、仕事もして、もう少し収入を増やさないと生活自体も危なくなるし、さらには、どんな状況でも必要な、家族介護者への心理的支援の実践と、その支援への理解を広めることと、介護者相談窓口も増やす工夫や努力も今まで通りに続けたいし、続けなければと思っている。

 時々、それは自分の能力では、とても無理ではないか。という気持ちにもなるけれど、誕生日をささやかでも祝えるような生活を維持するには、それらをしないといけないのだろうと、思う。 

 少し、しんどい。





(他にも、介護に関して、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。




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