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「介護booksセレクト」⑭『あくてえ』  山下 紘加

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。
 おかげで、こうして書き続けることができています。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/ 公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。


「介護books セレクト」

 当初は、いろいろな環境や、様々な状況にいらっしゃる方々に向けて、「介護books」として、毎回、書籍を複数冊、紹介させていただいていました。

 その後、自分の能力や情報力の不足を感じ、毎回、複数冊の書籍の紹介ができないと思い、いったんは終了しました。

 
 それでも、広く紹介したいと思える本を読んだりすることもあり、今後は、一冊でも紹介したい本がある時は、お伝えしようと思い、このシリーズを「介護booksセレクト」として、復活し、継続することにしました。

 今回は、「介護books」の時からでも稀なのですが、小説というフィクションを紹介させていただくことにしました。それだけ、思った以上にリアルに介護のことも書かれていると思ったからです。

 もし、ご興味があれば、読んでいただければ、幸いです。

ヤングケアラー

 介護に関わっている方でしたら、最近、特に耳にするようになった言葉が「ヤングケアラー」だと思います。
 
 こうして言葉になり、子どもや孫の立場でありながら、副介護者にとどまらず、場合によっては、家族介護者の主介護者として生活をしている人たちが、思った以上に多く存在することが明らかになってきたことは、進歩だと思います。

 その一方で、ただ「ヤングケアラー」という言葉を重視し過ぎて、「ヤングケアラー」を見つけ出そうとしてしまうと、それは、返って、当事者には負担になってしまうのではないか、と早すぎるのかもしれませんが、そんな危うさを感じてもいます。

「ヤングケアラー」も当然ながら、介護者ですので、どうすれば少しでも支援ができるのだろうか、と考えたりもしますが、教育の分野にいないと関わるのが難しそうですし、何より、ご本人にとっては、大変なのは間違いないとしても、日常として介護に関わってきたことを、妙に特別視されること自体が負担感につながることすら考えられます。

 ですので、私自身も介護者相談の機会を設けていただいているのですが、そうした窓口に、ヤングケアラーと言われるような立場で介護をしている人も、あまり負担なく、問い合わせをしたり、相談ができるようになるには、どうしたらいいのかを考えていますが、実際には、まだ難しい状況です。

 何より、どのような支援が必要とされているのかを理解していくのが大事だと思っています。

 ですので、実際に介護をされている「ヤングケアラー」の方々の声に耳を傾け、その気持ちや状況を少しでも理解しようとすることが大事なのですが、そうした機会に恵まれることもなかなか難しいかもしれません。

 そんな時に、ある小説を読みました。
 それは、「介護小説」としても質の高いフィクションでした。

『あくてえ』  山下 紘加 

  これは、芥川賞の候補にもなった作品です。作者は、1994年生まれですから、まだ若い上に、この小説が4作目ですので、才能がある小説家なのだと思います。

 だから、どこか自分とは縁遠い作品ではないかと読み始めると、そこには、介護者であった自分のいた時間も描かれていました。

 主人公は、19歳の女性。小説家を目指しています。「きいちゃん」と呼ぶ母親と、父方の祖母の3人暮らし。両親は離婚していますが、事情があって90歳の祖母を介護する日々が描写されています。

 ある意味では、「特殊」な事情でもあり、コミュニケーションはかなり乱暴にも見え、主人公は、祖母のことを「ばばあ」と呼んでいるのですが、それは、フィクションとはいえ、かなりハードな介護の日常であることに変わりがなく、再現度が高いと思いました。

 基本的には、主介護者が母親であり、口では悪態(あくてえ)をつきながらも、副介護者としての役割を主人公が果たしているように感じます。

介護の日常

 とても激しい口調で祖母に言葉をぶつけることも多いのですが、もしかしたら、主人公が祖母に対して怒りを表明しているから、母親が介護を続けられている側面もあるかもしれない。読み進めていく途中で、そんなふうに思うくらい、主人公は正面から関わり続けています。

 だから、カテゴライズされるのは、主人公は嫌がるだろうと、感じながらも、「ヤングケアラー」の一人であることは間違いないと思ってしまいます。

 なくすから、針を渡したらいけない。火事になるので、キッチンに立たせてはいけない。すぐにつまずいてこけるので、ばばあの動線には物を置いてはいけない。日常生活で身についた注意事項を、あたしは心の中で唱える。大したことではない。大したことではないのに、とても億劫に感じる。ばばあが反発するからだ。

 こうした微妙ないらだちや、なんともいえない焦りのようなことまで、きちんと表現されているし、日常的な小さな変化によって、増える負担のことも描かれています。

 高熱と身体の震えを訴えるばばあをきいちゃんが病院に連れて行けば心不全と診断され、ようやく症状が落ち着いてきた頃に、今度は肩の痛みを訴えるばばあを連れて整形外科まで足を運ぶ。デイサービスで水虫をうつされたばばあに皮膚科のクリームを三カ月近く毎晩足指の間に摺り込み、それが治れば眼科で処方された目薬を、ひとりで点眼できないばばあに代わってさしてやる。ばばあのために奔走するきいちゃんを、あたしはただ側で見ているだけだ。

 例えば、明日から祖母をショートステイに預け、母親と何年ぶりかの旅行に行く前夜に祖母が倒れてしまうこともあります。そんな理不尽なタイミングは、介護をしている方には、おそらく共感できるのではないでしょうか。

 ばばあのゲロまみれの衣服は重く、強い異臭が鼻を刺激した。あたしがリビングからヒーターで冷え切ったばばあの身体を温めている間、スマホで救急車を呼んだきいちゃんが戻ってきて、ふたりで股や膝に付着したゲロや便を拭き取る。

 これは、この場面の引用の一部だけですが、こうした何かあった時の、そのあとの対応の時の無力感や疲労感。辛いから、逆に何も感じなくなってしまうような、湿度の高く、変にゆっくり流れる時間までが、そこに書かれてあったように思いました。

周囲の人たち

 また、介護の現場に日常的に暮らしている人たちと、そこにはいない人間との視点の違いがあって、それは、誰も責めることはできないのですが、そんな時の葛藤まで描かれています。

「松島さん、ほんわかしててほんとに可愛いおばあちゃんよね」
 はい、と笑顔で返しながらも、あたしは内心納得がいかない。ばばあが他人から褒められる時、あたしはいつも納得がいかなかった。他人は知らない。家の中のことなど、わかるはずもない。他人のばばあに対する評価は、あたしを混乱させる。あたしがいけないのだろうか。ふたりの間で口論が起きるのは、ばばあが悪いのではなく、あたしに問題があって、自分は人として、何か大きく欠落しているのだろうか。感情が混濁し、わからないままに、優しくしなければと思う。

 さらには、もっと緊張感もあり、直接的な感情の揺さぶりにつながるのが、今は別の家庭を持っている父親との関係です。

 例えば、祖母は息子である父親が可愛いと思うことは変わらず、そんなこともモヤモヤした気持ちにつながるのですが、父親に対して、祖母が「きいちゃん」の悪口と思えることを言う時にも、主人公の感情が爆発してしまいます。それだけ、日々の大変さがたまっているのだと思います。

「頑張ってるの知ってるでしょ。一生懸命世話してもらってるじゃん。ばあちゃんはもう他人なのに、面倒見てくれるんだよ?感謝の気持ちないの?ねえ?親父は、ばあちゃんのためにご飯なんか作れないよ。あんたのために怒ったり泣いたりしてくれるのはきいちゃんだけだよ。この人ができるのは、こうしてたまに顔出して、優しい言葉かけて、ご機嫌取ることだけ。なのに、なんで」
 声が上ずって、自分が泣いているのがわかった。あたしは無力だった。きちんと言葉で伝える前に感情的になって、支離滅裂になって泣く。あたしは自分を呪った。自分の母親を、こんなばばあに踏みにじられるばっかりでどうして守ってやれないのだろう。下唇を、強く噛んだ。 

 そこに、そのやりとりを見ていた父親が介入します。母親は、その場にはいません。

 感情的になったあたしがまた何かばばあに言い返すと思ったのか、親父が顔を寄せて耳打ちしてくる。
「相手は年寄りなんだから、適当にあしらっときゃいいんだよ。いちいち本気にしてると疲れるぞ」
 つめたい声だった。急に、親父との間に壁を感じる。親父はあたしにとって、いまや外の人間だった。よく知った他人だった。

 こうした冷静な「周囲の人たち」によって、何もわかっていない関係者によって、より疲労感がたまることも、リアルに感じました。

 同時に、この主人公は言葉は激しいかもしれませんが、常に本気で祖母に向かい合っているので、それは、一見分かりにくいのですが、母親と二人で「質の高い介護」を実現させているのではないかと、思えるような場面でもありました。

「介護時間」

 そして、何より、伝えるのが難しい「いつまで続くか、分からない」感覚も描写されています。

 母親が倒れ、主人公が、祖母の様々な面倒をみなくてはいけないこともありますが、その時も、目薬はさす必要があります。ご存知の方も多いとは思うのですが、5分置いて、2回、もしくは3回さす目薬は、それだけで、とても面倒臭いものなのですが、その途中に、祖母は目を開けてくれなかったり、うまく閉じなかったりする中で、いらだちが高まってしまいます。

 閉じろ!と怒鳴ろうとし、息を吸った瞬間、不意に脱力し、涙があふれた。あたしが書く小説は必ず終わりを迎えるし、良くも悪くも決着がつくのに、現実はそうではない。ずっと続いていくのだ。優しくしようと穏やかな気持ちで思った直後に殺したいほどの憎しみが襲ってくる。家族三人で頑張ろうと決意を固めた翌日には、三人で死んでしまえたらと本気で思う。 

 ここにも介護の現実があると、思えました。

 他にも、現代に生きている人間が感じる様々な違和感なども描かれてて、だから、介護の場面だけ注目するのも、失礼な話かもしれませんが、それでも、この小説は「ヤングケアラー」への理解を促すだけでなく、介護をしている生活そのものも描かれているように感じました。

 小説としても優れていると思いますので、素直に、介護の専門家にはおすすめできると思います。

 ただ、実際に介護をされている方には、共感ができて負担感が減る可能性もありますが、そのリアルさに返って疲労感が高まることもありえますので、少し注意をしていただければ、と思っています。

 今回は、以上です。



(他にもいろいろと介護のことを書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。



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