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『「介護時間」の光景』(132)「後ろ姿」。11.17.

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして書き続けることができています。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。


「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的で、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。


 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2000年11月17日」のことです。終盤に、今日「2022年11月17日」のことを書いています。


(※この「介護時間の光景」では、特に前半部分は、その時のメモをほぼそのまま載せています。希望も出口も見えない状況で書かれたものなので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば、幸いです。また、いつもこのシリーズを読まれている方は、「2000年11月17日」から読んでいただければ、内容の重複が避けられるかと思います)。

2000年の頃

 個人的なことですが、私にとっては、1999年から介護が始まり、2000年に母の症状がまた重くなり、それまでの母のかかりつけの病院に入院すると、昼も夜もなく電話がかかってきて、動いてしまう母の症状への対応に、過大なプレッシャーなどをかけられました。

 それまでの1年間の疲れもあったかと思いますが、それが2週間続く頃、私自身が、心房細動の発作に襲われ、「過労死一歩手前」と言われました。

 それでも、そのあとは、とにかく24時間体制で(プロでも構わないから)付き添いをつけることを条件に、やっと入院の継続を許可されているような状況の中で、早く出ていってほしい、というプレッシャーをかけられていました。

 精神的な症状の高齢者長期入院が可能な病院を探し、母の病室に泊まり込みながら、自分の心臓に不安を抱えながら、いくつか病院をまわり、やっと母に合うと思える病院への転院が決まりました。

 病院自体は、こじんまりとして、入った瞬間にホッとするようなところでしたが、そこに着くまでは、最寄りの駅から、バスに乗り、20分はかかるところで、坂道を上り、さらに上がっていき、どこまで行くのだろうと、不安になるような場所でした。

 2000年の8月に転院してから、片道2時間ほどをかけて、とにかく病院に通っていました。家に帰ってからは、義母の介護を、妻と一緒にするようになり、仕事を辞めざるを得ませんでした。

 私は、時々、めまいを起こしながら、毎日のように病院へ通っていました。自分が通っても、母の症状にプラスかどうかも分かりませんでしたが、もし、行かなくなって、コミュニケーションがとれない状態のままになるのも怖くて、ただ通っていました。

 この病院に来るまでの、以前の病院での出来事のために、医療スタッフ自体に恐怖を覚えるようになりました。だから、転院した病院に関しても、まだ信じることができず、伏目がちに病室へいって、帰ってきて、家では義母の介護をしていました。

 ただ、暗い場所にいるような気がしていました。

2000年11月17日

「3日間、病院へ行くのを休んでいたのだけど、変な夢を見るようになっている気がする。

 ダムみたいなところで、よくわからない殺人鬼に追い詰められて、同じように襲われていると思った人間が、その殺人鬼の仲間だったりして、また逃げて、細い川に囲まれたところを必死に逃げているところで、目が覚めた。

 こんな夢も見た。
 
 運送会社の試験を受けている。紙袋に入った何かと、伝票を渡される。
 社員に聞いたら、銀座に行く事になり、それで、どうしたらいいのかと思っていると、どうやら、クルマのボンネットというか、屋根を跳んで移動する事に気づき、それを真似をしていると、袋に入っていたらしい、文字か何かが浮き彫りになっている石板を落として、割ってしまう。

 あわててカケラを拾うけれど、全部のカケラが見つからない。

 そんなことをしていたら、他の入社試験を受けている人たちも、どこからかやってきて、なんでだか梱包をしている。もうダメだと思いながらも、さらにカケラを探そうとしているところで、目が覚める。

 変な夢を見て、起きて、また眠った。

 近所に、入り組んだ地下への階段が出来ていて、その中に、人がたくさんいて、迷い込んで、怖くて、出てきたら、カバンを忘れていることに気がつく。慌てて取りに行ったら、カゴに、カバンの中身が全部たたまれて、綺麗に並べてあって、12000円領収しました、という領収書も置いてある。
 知らない誰かが、12000円だったら良心的だな、と言ってくる。

 そこで目が覚める。


 母の病院に夕方に着いたら、けっこう元気だった。

 だけど、母が、これまでの自分のことを話すトーンが暗くなったのが気になった。

 なんで、お金を全部使ってしまって、という、実際は、なかったことを言うんだろう。だから、今も足りない、っていうことを話をしている。

 聞いてはいるけれど、違っているみたいなことも言えずに、ただ聞いている。

 午後7時ごろ、病院を出る」。

後ろ姿

 駅の上りのエスカレーターに乗るまで、混んでいるので実際に乗るまでに時間がかかった。

 まだ乗れていない時に、前に並んでいる人の「後ろ姿」を見ていた。

 2人ぐらい前の女子高校生はきっちりと三つ編みにしているから髪の毛が半分に分かれていて、それにきっちり赤いマフラーをまいていて、後ろから見ていたら、脳みそのレントゲン写真を思い出した。

                        (2000年11月17日)


 そんな生活がずっと続いたが、2007年に母は病院で亡くなった。そのあとも、義母の介護を妻と一緒に続け、その合間に勉強をして、2010年には大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得した。
 介護を続けながら、「介護者相談の仕事」も始めることができたが、2018年の年末に、義母は103歳で亡くなり、介護生活が終わった。公認心理師の資格は2019年に取得できた。
 その後、体調を整えるのに、思った以上の時間がかかり、そのうちにコロナ禍になっていた。


2022年11月17日

 起きたら、いい天気だった。

 庭の柿の木の葉っぱは、気がついたら、かなり赤くなっていた。

柿の葉

 妻が庭に落ちている葉っぱを選んで拾って、玄関の外の妻の父が作った古い机の上に並べている。

 この色の変化で、秋が進んでいるのを感じる。

 今日は、黄色くなった葉っぱのごく一部に、何かの虫が白い糸のようなものを小さく柔らかく固めて、とても小さなテントのようになっていて、それを妻が、美しいと言って見せてくれた。

 とても小さい光景だった。

リモート

 夜はリモートでの仕事があるので、準備を始める。

 だんだん暗くなってきて、ちょっと緊張している。





他にも介護のことをいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただけたら、うれしいです)。




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