なぜ、コピーがダメなのか。

0.はじめに

長くなったのでまとめると。

・何より、違法やろ

・っていうか考えてみたらコスパ悪い

・悪貨は良貨を駆逐する、やで。


思うところが強くあり、6500文字を超えてしまいました。(長すぎ)

 僕が自閉症をはじめとする障害者支援に関わらせてもらう上で、使っている支援機器、
総称「コミュメモ」(コミュニケーションメモ帳)と呼ばれる、メモ帳があります。

 フォーマット化されたメモ帳を用いることで、主として知的に障害のある方とのコミュニケーションを支援するグッズです。

(株)おめめどう」」という、兵庫県の企業が開発・販売されています。

紙媒体という形態ゆえに、よく問題にあがるのがコピー問題。

それについて思うところを。

 まあ言って見れば、端的に「違法」だからアウト。

 これでいいんです。これに尽きるんですよ。

 なのですが、以前なんとカンファレンスというイベントでお話をさせていただく機会があり、その際に色々と調べてみたこと。考えたこと、を共有できればと思い、

 以下法的根拠と、コストパフォーマンス、さらに僕個人の考えとして、
まとめました。法的には私は専門家ではありませんから、リンク先を参照いただいて各自でご確認ください。


1.まず第一に違法であること

著作権法第35条 からの観点

 なぜか学校文化ではコピーOKが前提で話をされることが多い。まずこの謎の前提の根拠と思われるのがこちら。

著作権法第35条(学校その他の教育機関における複製等)
学校その他の教育機関(営利を目的として設置されているものを除く。)において教育を担任する者及び授業を受ける者は、その授業の過程における使用に供することを目的とする場合には、必要と認められる限度において、公表された著作物を複製することができる。ただし、当該著作物の種類及び用途並びにその複製の部数及び態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない。
学校その他の教育機関における著作物の複製に関する
著作権法第 35 条ガイドライン

https://www.jasrac.or.jp/info/dl/gaide_35.pdf
学校における教育活動と著作権http://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/seidokaisetsu/pdf/gakko_chosakuken.pdf#search=%27著作権法第35条%27


 これらを見て気づくのが、教育現場であっても販売用の「問題集」「ドリル」もこの第35条の範囲外である、違法であるということです。
 ”著作権者の利益を不当に害する”に抵触します。教育関係者の方もこれは誤認しておられる方が多いのではないでしょうか。実は私もそうでした。正論おじさんではありませんが、誤解というのは解いておくに越したことはない。


つまり、第35条によって教育機関が著作権法の例外として扱われるのは、例えば
小説や新聞の一部分を、授業の中で扱うために人数分コピーする。
体育の表現運動や音楽の時間で音源を利用する(複製配布しない)。
児童生徒が購入した授業で使う問題集を自宅に忘れ、授業の該当ページをコピーする。
等、ごく限定された部分であることがわかります。
これはもっと周知されるべきですね。

「教育機関が著作権法の例外を受ける」 

という文言だけが一人歩きしているのがわかります。

 ちなみに教材メーカーなどでは、この問題の解決策として、ライセンス契約といって月額や年額でオンライン経由で印刷できるような契約にしたり、コピー許可の商品を通常価格よりもかなり上乗せして販売したり、しています。


 ではそれでも、なんとかして学校側の捉え方を肯定的に受け止める方法を探して見ましょう。

例えば、

「メモによるコミュニケーション」という授業をすることになり、その過程でコミュメモを拡大コピーしたものを黒板に提示する、色々な使用例の資料として書き込んだもののコピーを提示・配布する。

 ここまでの範囲ならば、”著作権者の利益を不当に害する”とは言えないかもしれません。
 なぜならば、それは本来のコミュメモとしての用途を説明するためであり、コミュメモそのものについて著作物として理解する活動であるから、です。
 コミュメモは意思伝達のため書いて使うすることが目的ですから、その使用方法を説明することは、著作者の利益を害するよりむしろ、利益を促す行為とも捉えることができます。(もちろん、妥当な授業内容・説明内容であれば、です。)

 ところが、その授業の展開で、「では教室内で実際に使ってみよう」と、なると、この段階でアウトでしょうね。
 上述の通り「書いて使う」という目的用途と合致してしまいます。これはアウト。
 もちろん、「許可なく使用する」のではなくて、おめめどうに断りを入れて、「その内容であれば構いません(利益が害されません)」と明確に許可をとれば、活動に取り入れることができますが、その前後の電話やメールのやりとりまで考えると、コミュメモの多くは80枚で400円ほどの商品ですから、40人としても2枚ずつ配った方が合理的でしょう。

 なお、これは授業参観などで保護者も参加、となるとさらにアウトです。著作権法第35条の範囲はあくまで教育を担当する者、と、授業を受ける者、に限定されています。

いやぁ、なんとかして法律の抜け穴的に学校側の言い分を弁護しようと思いましたが、調べれば調べるほどアウトなことがわかってしまいました。

結論。

「教育現場であっても、コピー利用は違法」


2.コストパフォーマンスの観点からみてみよう

本当に安上がりなのか?

「そうはいっても」「けどだって」という言葉が出てきそうなので、今度は「じゃあコピーすればどれくらい安くなるのか」について確認してみましょう。


コピー機はカウンター契約といって、コピー機の代金に加えて、1枚印刷するにつき、何円というリース契約があります。こうすることで、突発的な故障に対応する保守サービスを付帯させる、インク(トナー)切れを防ぐなど、コピー屋さんにも使用者にも双方にとってメリットがあります。
またそうでなくても、おおよそのコピー1枚あたりのコストはメーカーサイトに公開されています。
学校の契約はまた特殊でしょうが、一般的な話として考えてみましょう。

 コピー機にかかる料金は用紙のサイズは問わない契約が大半なので、コミュメモの売れ筋は確かB6サイズですから、B4用紙には4枚コピーできますね。裁断機で4分割すれば、B6サイズに戻ります。
 モノクロ印刷だと、カウンター料金はおおよそ1〜3円程度が多いようです。ここではコピー1枚につき、1.5円としましょう。
 これに用紙代が加わります。コミュメモに使われている紙質はホームセンター等で安売りしているものよりも上質なもののようです。
 こちらも1枚1.5円としましょうか。これでB4用紙1枚あたり3円のコピー代。 

お!やっぱりかなり安い?!
B4を20枚、コミュメモ80枚分でも60円で済む!
こりゃみんなコピーしたがるはずだなぁ。

ところが、最大の落とし穴。これには人件費は含まれていません


僕も学校に勤務したことがあるのですが、学校というのはなぜか
教員の人件費は「ゼロ」と捉える風潮があります。
信じられないような不毛(と思えるよう)な会議に職員総動員で2時間、とかが平気で行われている不思議な組織です。休日出勤もなんのその。
一般企業ならあり得ないことですが…。
もちろん、だからこそできることもあるんですよ。
一概に否定するつもりはありません。
しかしそれで苦しんでいる教員は少なからずいらっしゃるのも確かです。


 教員は給与にあらかじめ手当が付されているので、いくら残業をしても給料は変わりませんから「人件費単価の感覚が薄れる」のは当然かもしれませんが、一回時間換算してみましょう。(働かせホーダイ)
 こんなところでぶっちゃけるのはアレですが、臨時講師の僕の月収から8時間×22日で時給を計算すると約1400円。(え、そんなもん?!ボーナスまで加味しても2000円全然届かないなぁ。しかも勤務時間なんてゆうに12時間超えてたから…実質1000円そこそこか…)
 駆け出しの臨時講師でこれですから、中堅・ベテラン教員になると最大で2倍ほどにはなるでしょうか。

教員は貴重な人的コストです。教員は貴重な人的コストです。

大事なことなので2回言いました。教員の負担ができるだけ減りますように…


さて。
20枚のコピー自体は数秒で完了するでしょうが

「印刷室に行く」
「原稿を読み取って4in1レイアウトにする」
「印刷スタート」
「裁断機をセットして4分割する」
「向きを揃えて糊付けする」


これはさすがに10分(1/6時間)はかかるでしょう。とすると時給1500÷6=250円。
 大事なことなので繰り返しますが、一番給与の安い臨時講師待遇でもコピーするのに人件費は250円かかっています。
コピー代60円と合わせて310円。コミュメモの定価と比べて、100円安くならないんですね。これが少しでも単価の高い教員だと…


コストパフォーマンス、悪すぎるでしょう。


「いやいや。もっと一度にたくさん印刷すれば時間あたりが下がる!」
「俺はどっちみちサービス残業だからかまわない!」
「経費計上できるものとできないものがあって・・・」


あのね。
大人が子供たちに伝えること
ってなんでしょう。
それも、
学校で。


 散々著作権違反やらもろもろ重ねて、それでも実際の商品の品質は保証されない劣化コピー、で、の話なんです、これ。

ぜひ、その時間と思いを、
教材研究・準備や、教室掲示、家庭訪問など
担当の子供たちに有意義ににつかってください。

あるいは少しでも早く帰って少しでもゆっくりしてください。
ご家族との時間や趣味の時間に使ってください。
一杯立ち飲み屋で朝の会の話のネタがみつかるかもしれません。

少なくとも、教員の給与は違法コピーに対して支払われるものではありません。

 消耗品として計上すれば、経費として扱えるはずですし、仮に今それが無理なら、その仕組みを作らないと、いつまでたっても変わらない。
 同じ労力なら、後輩のこれから教員になる方のためにも、ぜひそちらの方向に向けていただきたい。その方が絶対、教育や教育現場の質的向上に繋がります。

それに、コピーされたものだと多分、使わずに簡単に捨てちゃうんじゃないかな。

結論 「コピーはコスパが低すぎる。」


3.グレシャムの法則と教育


以下、僕の考えです。

「グレシャムの法則」について

 「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉があります。
詳しくは
https://ja.wikipedia.org/wiki/グレシャムの法則
こちら。Wikipediaですが、概略はわかると思います。「逆選抜」「レモン市場」といった専門用語もあるようです。

 例として、そうですね、では3000円のサンダルにしましょう。
以下は実在しない僕の空想の話です。


 メーカーA社は3000円のサンダルを売ることになりました。ゴム製のサンダルにしてはやや高価ですが、デザイン料や疲れにくく減りにくい材質選定、金型の作成やゴムのバリなどを減らす仕上げ技術、さらに宣伝広告費など、コストを考えるとメーカーAとしては3000円がギリギリの価格設定です。
 メーカーAの努力の甲斐があり、今までになかったその斬新なデザインのサンダルは飛ぶように売れました。
 すると、当然後追いするメーカーが乱立しました。もちろん多くはデザインを変えたり、それぞれのメーカーオリジナルの魅力をプラスしたので競争が活性化するかと思いましたが、
 その中に、デザインを完全にコピーし、ロゴをすこし変えただけの商品を1000円で販売するメーカーが現れました。
消費者は「偽物」とわかりながらも、1/3の価格、しかもそのそっくりな見た目に飛びつきました。
メーカーAのサンダルの売り上げは激減。品質を下げるか、販売の中止の選択を迫られ、質の悪いものを販売するくらいなら…と、販売を中止しました。
結果的に消費者は、安物サンダルを履いていたものの、その軽さやデザインは魅力的だけれど品質の低さから、数ヶ月でダメになったり、30分以上は疲れてとても歩けなかったり、やはり良い物は良いなあ、と、メーカーAのサンダルを求めましたが、時すでに遅し。
メーカーAのサンダルの品質、疲れにくさ、耐久性を備えたものは、もうどこに行っても手に入らなくなりました。

 このようなことは、自由市場では非常によくあることです。
 もっとも、一般的な製品の場合、それらも踏まえて商品開発しますし、そこでなお、勝ち残ることが求められますから、ここまで身の回りに高次元な商品が溢れているとも言えます。
 自動車や家電品をはじめとする日本メーカーが世界に誇ってきたのはまさにそこですね。企業努力の賜物です。

 しかし、例えば「デザイン」「音楽」「文章」などといったものは、コピーされて一回広まってしまえば、もう元には戻せない。
 だからこそ、法律などで保護される範囲が広い。

 一時期話題になった「漫画村」や、さらに昔はびこった「ファイル共有ソフト」などの問題点は、コピーすることそれ自体の損失ではなく、コピーされることによって

製作者の収入が減る

制作コストの回収ができなくなる

制作者が食っていけなくなる

良い制作物が生まれにくくなる

その分野の文化が衰退する


と、いう損失があまりにも大きいことに利用者が気づかなかったから。

 僕はせめてもの、というつもりで、好きなアーティストのCDはレンタルやYoutubeで聞いて終わり、ではなく、購入するようにしています。それは制作活動を続けて欲しいから、です。


 僕の趣味の写真界隈でも同様の議論は非常に多くされています。
「データだからタダでしょ?お前の撮った写真分けてよ。」
「カメラ持ってるなら撮ってくれよ。」
さらには、「いいね」のためだけに、人が撮った写真を無断で加工・転載してしまうような人も。
 もちろん僕含め、趣味の範囲なら製作者との関係性ですが、それをプロカメラマンの制作活動に同様に求めるのは無理があります。


 目先の利益だけ見れば、確かに魅力的かもしれません。
いえ、コピーはとても魅力的です。
しかし、いわゆる「文化」として社会がそれらを維持して行くためには、
個々一人一人のそういった意識の持ち方を
高い次元で社会に浸透させていくしかないと思うんです。


ことの重要性について、製作者サイドからの発信ももっともっと必要です。

しかし、それをもっとも強力かつ、効果的に広く浸透させうるのは「教育」です。

その「教育現場」逆をやってちゃ、ダメでしょう。


ここで取り上げた「コミュメモ」に関しても、それを必要としている人がいる。その大半は、支援を必要とする人です。社会的弱者といっても良いでしょう。

 あるいは、いっときの教員の良心で、
「コピーでも同じものがつくれるよ。」
と1人の教員がコピーしちゃうと、品質も何もかも劣化したものが校内や、その児童生徒の利用する事業所に広まる。
 その教員が一生コピーをしてくれるのならともかく、毎年担当がかわるたび、さらには卒業後、その支援を必要とする人が本来の意図に則してその「コミュメモ」を入手できなくなってしまう。

それはその子個人だけの問題ではないんですね。
その子と同様に必要としている人に、どんどん届かなくなってしまう。

僕は「コミュメモ」の価値は、メモそのものの価値、以上に、
「400円出せば、いつでも手に入る。」
「400円で、コミュニケーション手段が手に入る。」
「だれでも、そこにたどり着ける。」
ことにこそ、意味があるんだと思っています。

まさに、悪貨は良貨を駆逐する。

あなたの上辺だけの良心で、目の前のあなたが担当する子は、
やっと手に入れたコミュニケーション手段を一生奪われてしまうことになる。

目の前のあなたの担当する子のみならず、
その後ろにいる数えきれない子供たちの
コミュニケーション手段を奪おうとしている。


失われた彼らのコミュニケーション手段を、誰が責任もつんでしょうか。


非常に長くなってしまいました。
最後までお付き合いありがとうございます。
1人でも多くの方に伝われば、と、思います。


なお、この文章は著作権は放棄しませんが、
こんな文章でよろしければ、引用・転載はご自由に。


#自閉症 #障害児  #障害者  #発達障害  #視覚支援 #教材 #著作権
#創作  #学校 #小学校  #中学校 #特別支援学校
#教育 #特別支援教育 #おめめどう #違法コピー #新米教師
#コラム #放課後等デイサービス #児童発達支援サービス


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?