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思うところ

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歴史を見て、自分の引っかかるところ、いわゆる「思うところ」を指摘するマガジン。 人間ってこんなことするの? 歴史に残る人物も、生きた時代には普通の人である。普通の人は時を重ねるに… もっと読む
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記事一覧

秀吉の築城について「思うところ」

秀吉の築城について「思うところ」

秀吉の土木工事好きについて

今回取り上げるのは秀吉の築城についてです。豊臣秀吉といえば、農民上がりでありながら関白まで上り詰めた日本でも最も有名な統治者の一人です。
彼は土木工事が好きでした、と小説や概説書でも言われていると思います。何をもって土木工事好きなのか。4つほど例を挙げます。

1つ目に例えば、戦。彼は城を攻めるとき、水攻めが好きでした。まず堤防を築き、水をためる。そして決壊させて、城

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信長の鉄甲船について「思うところ」

信長の鉄甲船について「思うところ」

鉄甲船の登場

今回のお題は鉄甲船です。鉄甲船は安宅船に鉄板を張った船で、織田信長が建造したことで知られている船です。
織田信長は足利義昭を擁して上京したころは西国の毛利氏と同盟関係にありました。が、近畿で覇権争いに加わると、足利義昭と断裂。信長包囲網が引かれ、毛利氏とも対戦関係となります。
毛利氏といえば瀬戸内を制海権におさめる水軍。信長が本願寺と対戦すれば、毛利氏が水軍を使って本願寺に兵糧を輸

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足利義昭の戦国の世をかけまわした手腕について「思うところ」

足利義昭の戦国の世をかけまわした手腕について「思うところ」

足利義昭の上京と包囲網

戦国末期のキーパーソンである。数々の包囲網を作り出し、戦国大名を争わせた手腕は目を見張る。征夷大将軍だからできたのでは、と感じる人も多いと思うが、この足利義昭という人物。元々、朝倉義景の指示を受けて将軍になろうとしたが朝倉義景の優柔不断な性格の為上手くいかず。次いで、織田信長の積極的な行動力に支持されて、上京し将軍となった。
 が、である。すべてが信長のおかげかというと、

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武田勝頼と織田徳川連合軍の長篠合戦について「思うところ」

武田勝頼と織田徳川連合軍の長篠合戦について「思うところ」

今回のお題は長篠合戦です。長篠合戦について書き下ろしたいと思います。なぜ、この合戦を取り上げたのか。それは戦国時代が好きな人は必ず知っているなじみ深いテーマだからです。さらに付け加えていえば、にもかかわらず、近年に至って使われてきた史料の年代が明らかになったり、研究が進み武田軍の行軍の経路が明らかになったり。
さらに言えば、織田徳川の三段銃はなかった、という話や武田軍の騎馬隊って実際は従来

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伊達政宗について「思うところ」

伊達政宗について「思うところ」

みなさん、こんにちは。今回の「思うところ」。お題は伊達政宗です。伊達政宗といえば、戦国時代の奥州の覇者です。ただ、生まれた時代が織田信長や豊臣秀吉より遅かったために、伊達政宗が奥州で支配する領土が100万石に到達したときに既に中央では豊臣秀吉が、関東の北条氏と決戦をしていた、という人物です。

なぜこの人物を「思うところ」にあげたのか。それは、豊臣時代、さらに江戸時代に伊達家が改易されていないから

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下剋上について「思うところ」

下剋上について「思うところ」

今日のお題は「下剋上」です。下剋上といえば戦国時代の風潮を現した言葉です。書き下しにした時に「下が上にかつ」となります。

戦国時代の幕開けといえば、北条早雲。彼は都より関東に流浪します。そして、今川家に仕えます。
北条早雲は彼の子の代についた名で彼は「北条」を名乗っていません。伊勢新九郎を名乗りました。都で室町幕府の政所執事の家柄です。駿河の国主の今川氏は足利将軍家と血を分けた家柄で、足利将軍の

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豊臣家の滅亡について「思うところ」

豊臣家の滅亡について「思うところ」

今回の「思うところ」は豊臣家滅亡を取り上げたいと思う。なぜ、このテーマを取り上げたいのか。人間人生楽しく生きる上で大事なこと。それは自分の考えたことが順調に進んでいる時間。このような時間があるから、どんな苦しいことがあっても人間は頑張れるし、「未来を今より明るいものにしよう」「努力しよう」と思う。
しかし、ふとしたことから、順調に言っていた仕組みが崩れ、崩壊に向かう。順調が維持できるときと、崩壊に

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家康の信長につくか、信玄につくかの選択についての「思うところ」

家康の信長につくか、信玄につくかの選択についての「思うところ」

人生、誰でも究極の選択に迫られるときっていうのはあるのではないか。
しかし、究極の選択というのは、本人以外にわからないものである。あまり話に聞かない。また、聞いても他人事なのか究極感があまり伝わらない。というのが実際だ。今回は歴史上で究極の選択の一例を見ていきたい。

今回、取り上げるのは徳川家康。徳川家康といえば、織田信長の同盟者として有名である。しかし、同盟者として有名なのは結果論ともいえる。

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豊臣秀吉の才能について「思うところ」

豊臣秀吉の才能について「思うところ」

豊臣秀吉といえば、農民出身にして最後天下を取った人物である。戦国時代には秀吉が出現する以前に強力な大名が多くいた。
甲斐には武田、関東には北条、東海には今川。そして西国には山名。尼子。毛利。そして九州には大内。大友。
秀吉は大名でもなく、小豪族である松下や織田の家臣であった。それ以前は野盗である蜂須賀の家来であった。蜂須賀に関しては川並衆として木材を管理していた節もあるが。

天下に近い人物がこれ

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真田昌幸の才覚について「思うところ」

真田昌幸の才覚について「思うところ」

真田昌幸。真田といえば六文銭の家紋。さらに大坂の陣で活躍した真田幸村。さらに、さらに、真田昌幸、幸村親子といえば、大河ドラマに取り上げられ、日本国民のなじみ深いところとなった。

今回取り上げるのは、真田昌幸。
とても曲者である。生き残りのためにコロコロと主を変えるにもかかわらず、その罪は最後は追放ですみ、畳の上で亡くなる、というかなり変わった人生を送る人物である。

昌幸という人物より、正直、彼

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徳川家康について「思うところ」

徳川家康について「思うところ」

「人のふり見て、我がふり直せ」
日本でよく耳にする言葉である。徳川家康という人物は、戦国時代、最後まで生き残り、そして江戸幕府を開くに至った、皆が知る天下人である。

家康以前にも天下を取った人物はいた。「天下」とは最近では近畿地方のことを指すとされている。
戦国初期においては三好長慶。織田家が京都に上る前に、京に上り政治を牛耳ることになった。そのためか、足利将軍家とは対立することになるが。
そし

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