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伊達政宗について「思うところ」

みなさん、こんにちは。今回の「思うところ」。お題は伊達政宗です。伊達政宗といえば、戦国時代の奥州の覇者です。ただ、生まれた時代が織田信長や豊臣秀吉より遅かったために、伊達政宗が奥州で支配する領土が100万石に到達したときに既に中央では豊臣秀吉が、関東の北条氏と決戦をしていた、という人物です。

なぜこの人物を「思うところ」にあげたのか。それは、豊臣時代、さらに江戸時代に伊達家が改易されていないからです。
実は、伊達政宗やることやってます。エピソードを挙げていこうと思います。
1つ目は、大久保長安関連です。江戸幕府の勘定奉行である大久保長安の相談に乗り、お金が必要な時は頼るように言われていたり。
大久保長安、譜代大名ですが、謀反の罪で改易さえた人物です。また、伊達政宗に至っては長安の財産で江戸幕府と戦う計画があったなどの話もあります。
2つ目は豊臣滅亡後の話です。伊達政宗は豊臣の陣が終わった際に、徳川が当然奥州に攻めてくると考え、迎え撃つ作戦を立てていました。
 3つ目は将軍擁立の話があります。徳川家康の6男の松平忠輝は伊達家の嫁を貰っていました。伊達政宗は2代将軍である徳川秀忠を将軍職から引きずり下ろし、3代目将軍に松平忠輝をたてることを画策していたようです。忠輝を将軍に据えることで、幕府を牛耳ろうという画策です。
 4つ目に、法令の話です。伊達家の家老に鈴木正信という人物がいます。彼は、伊達政宗がいずれ天下人になると思い、天下を取った後の法令を書き残していました。しかし、仙台藩主で終わりそうなので、焼き捨てています。

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