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「ベタをネタに」

 エッセイ連載の第30回目です。
(連載は「何を見ても何かを思い出す」というマガジンにまとめてあります)

 今回が最終回です!
 ちょうど30回ということで、いったん終了にしようと思います。
 (またいつか、はじめるかもしれません)

 これまでお読みくださったみなさま、誠にありがとうございました!
 たくさんの方にお読みいただけて、とてもうれしかったです。
 サポートもたくさんしていただき、びっくりしました!
 心より感謝いたします<(_ _)>

ティッシュがなくなっただけなのに……

 まだ少し残っていると思っていたティッシュをとると、1枚だけでなく、もう1枚つられて出てきて、それが最後で、ティッシュボックスが空になってしまった。思いがけない、唐突な終わり方だ。

 ああ、人生もこんなふうに終わってしまうのかなと、つい思ってしまう。まだもう少し残っていると思ったら、ふいに終わったりしてしまうのかなと。それはさびしいなと、胸がせつなくなる。

 ティッシュボックスが空になっただけなのに、人生について考えて、胸に手をあてている。
 そんな自分に困ってしまう。つい、そういうことをすぐに考えてしまう。

いつも病気の話になってしまう……

 このエッセイ連載でもそうだが、すぐに病気の話になる。あるいは入院中の話とかに。
 人生の多くが入院中だったし、病気の経験が自分にとっていちばん大きいから、経験から語ろうとすると、どうしてもそうなってしまう。
 まだ言われたことはないが、「また病気の話かよ」と言われてしまいそうで、いつもこわい。

 これが登山家とかで、いつも山の話ばかりするのだったら、「また山の話かよ」と言われても、「私にとって山に登ることこそ人生のすべてですから」と胸をはることもできるだろう。
 しかし、病気ではそうもいかない。「私にとって病気こそ人生のすべてですから」なんて言ってしまったら、言った自分が泣き崩れてしまう。
 そもそも山の話なら聞いてみたいが、病気の話なんて聞きたくもない。

「ベタをネタに」

 というわけで、いつも病気の話ばかりする自分というものに、悩んでいた。このままではいけないのではないかと。
『ウツ婚!!』(晶文社)の著者の石田月美さんとお話する機会があったときに、そのことを相談してみた。

 すると、月美さんは、「ベタをネタに」という話をされた。どういうことかと言うと、同じ話を何度もくり返しているうちに、それは語り芸になっていくというのだ。
 たとえば自助グループで、自分の不幸な話をするとき、最初はありがちなベタな話になってしまう。しかし、同じ話を何度もくり返しているうちに、だんだん語りが磨かれてきて、他の人をひきつけ感動させる話になっていくというのだ。
 これに『みんな水の中』(医学書院)などの著者の横道誠さんも同意されていた。横道さんはたくさんの自助グループを主宰されている方だ。

 これは私にとって、まったく目からウロコだった。
 同じ話をくり返すことに関しては、私は問題点ばかり気になっていた。くり返すことによって、どんどん型にはまっていってしまうとか、話を盛っていってしまうとか。

 しかし、語り芸になっていくということには気づいていなかった。
 言われてみれば、私の大好きな落語も、何度も何度もくり返し語られるからこそ、芸になっていくわけだ。同じ話をくり返すことには、たしかに、そうすることでしか到達できない境地がある。

なぜ嫁入りばかりするのか?

 映画監督の小津安二郎は、娘が嫁入りする話ばっかり撮っている。
 初めて小津安二郎特集かなにかで見たとき、嫁入りの連続に、また嫁入りか! また嫁入りか!! また嫁入りか!!! とびっくりして、もう勘弁してくれと思ったことがある。
 しかし、そうやって、同じ題材をくり返し撮り続けたからこそ、その語り口は洗練の極みとなり、あの世界が生まれ、深められた。
 小津安二郎が活躍していた頃に、同じ松竹の大船撮影所で助監督をしていた山田太一は、こう書いている。 

 若い頃、小津安二郎さんの映画がよく分らなかったのを思い出す。それは私だけではなく、昭和三十年代の松竹大船撮影所に勤めていた二十代の助監督の多くが、同じ撮影所の先輩である小津さんに対して抱いた気持だった。
 なぜ親の死とか娘の結婚ばかりを描くのか。他にいくらでも「描くべき」世界があるではないか、と。「いつもテーブルを囲んで無気力な人間たちが座りこんでいるのを、これも無気力なカメラが無気力にとらえている。映画的な生命の躍動感が全く感じられない」といったのは映画監督フランソワ・トリュフォーである。私もほぼ同じ気持であった。
 ところがトリュフォーは十年ほどして小津の凄さに驚いてしまう。「えもいわれぬ魅力の虜」になってしまう(浜野保樹「小津安二郎」)。
 日本映画で小津安二郎ほど、外国の映画監督に深い影響をあたえた作家はないのではないだろうか。
 私もいまや小津さんのつくり上げた世界、人間像、方法が、いかに独自な深度と品格と魅力を持っているかを骨身に沁みて承知している。

山田太一「小津安二郎の選択」『誰かへの手紙のように』マガジンハウス

 小津安二郎の境地を目指すのはとうてい無理としても、いつも病気の話になってしまうことを、ただおそれて避けようとするのではなく、「ベタをネタに」を目指してみるのというのも、ありなのかなと思った。
「ベタをネタに」は名言だと思う。
 月美さんがnoteにくわしく書いておられるので、ぜひ読んでみていただきたい。

市川沙央さんの衝撃

『ハンチバック』という小説が第169回芥川賞を受賞した。
 主人公は重度障害者だ。
 著者の市川沙央さんも、難病患者で身体に障害がある(筋疾患先天性ミオパチーにより症候性側弯症を罹患し、人工呼吸器と電動車椅子を常用とのこと)。
 どうしても難病や障害ということに、注目が集まる。

 私はそのことを著者の市川沙央さんは嫌がるのではないかと思っていた。
「著者が難病や障害の当事者ということとは関係なく、純粋に作品だけで評価してほしい」というようなことをおっしゃるのではないかと。
 作品と作者は分けて考えるべきだし、作品のみで評価すべきだから、そう言ったとしても、まったくおかしくはない。

 しかし、市川沙央さんはそうではなかった。


「私は当事者作家という取り上げ方をされるのはかまわないと思っています」

読売新聞オンライン 2023年7月19日

 とインタビューではっきり答えている。

 さらに、7月19日の受賞会見でこう発言している。

「私は、これまであまり当事者の作家がいなかったことを問題視してこの小説を書きました。芥川賞にも、重度障害者の受賞者も作品もあまりなかった。今回『初』だと書かれるのでしょうが、どうしてそれが2023年にもなって初めてなのか。それをみんなに考えてもらいたいと思っております」

ハフポスト 2023年07月20日

 著者が当事者であることと関係なく作品を評価しろどころか、当事者の作品にもっと注目しろとおっしゃっているのだ。
 これは私にはたいへんな衝撃だった。

穂村弘さんの蟻の話

 そのあとでたまたま、昨年のものだが、穂村弘さんのインタビューを読んだ。川上未映子さんが、最近のご自身のインタビューの中で絶賛しておられるのを目にしたからだ。
 その穂村弘さんのインタビューの中に、こういう一節があった。

穂村:短歌の中で有名なジャンルが2つあって、1つは療養短歌といって、主に結核やハンセン病の患者の人たちが残した優れた作品群があるんです。もう1つは、獄窓の歌。これは刑務所に入っている人たちの短歌です。今も、刑務所には短歌のプロの人が教えに行っているはずなんです。

─そうなのですね。

穂村:死刑囚のなかには捕まったあと、刑務所で短歌を学んで、歌人として有名になる人もいて。命の凝視の仕方が、その状況にない人とは違うからかもしれません。例えば蟻を見たときに「潰しちゃえ」とか「外に出してあげよう」と思うのではなく、「この蟻は自分より長く生きるかもしれない」という尺度が入ってきたりする。

me and you「世界や他者の「わからなさ」に言葉で向き合う穂村弘さん。夜中に水槽を運ぶ人へのシンパシー」

「この蟻は自分より長く生きるかもしれない」!
 たしかに、こんなことは、普通の人は思いもしないだろう。難病患者の私でさえ、思ったこともなかった。

だれもに少数者なところが

 今、「普通の人」と書いたが、健常者はたしかにたくさんいるが、普通の人って、実際にはほとんどいないような気がする。
 どの人も、ある程度、深くつきあってみると、普通ではないところがある。はみ出しているところがある、歪みがある。それが魅力ともなり、孤独も生んでいる。多数派に属している人でも、どこかに少数者なところを持っている。

 つまり、それぞれに「その状況にない人とは違うから」というところを持っている。その尺度で世の中を語れば、他に人にとってはすごく斬新な視点となる。
「わたしは本当に普通で」という人もいるかもしれないが、もし本当にそうなら、ほとんどいない「普通の人」なわけで、それはそれで少数者だ。

 横道誠さんもたしか、すべての人が当事者だとおっしゃっていた。
 全員が当事者という視点で、それぞれの尺度で世の中を語れば、それでお互いにびっくりして面白いのかなあと思う。
 そして、自分はその視点から語るしかないのだから、くり返しをおそれず、むしろ「ベタをネタに」を目指して、語りつづけるしかないのかと。

 そういうわけで、私も——ある種、ひらきなおって——いつも病気の話になってしまうことをおそれずに、これからもこんな調子で語らせていただこうかと思う。
 それが、だれかにとっては斬新な視点だったらうれしいし、いつか「ベタがネタ」の境地にたどりつけたらいいなあと思う。
 珍しく、夢ができた。



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