目の前にゴミが落ちていたら迷わず拾う。
人間は、真の自立を求められている。そのために信条(心の拠り所)は必要だ。しかし、この世の信条となっている巷の宗教は、依存型になってしまっている。救う、救われる関係は、真の自立ではない。これだと寄らば大樹の陰となり、争いの元となってしまう。今の世を視てみよ。大の大人が、我欲のために自らを制御出来ずに、また戦争を起こそうとしている。それは、真の自立が出来ていない指導者、それに従う民も真の自立を果たしていないからだ。自分がぼんやりしているから、いつまでたっても良くならない。誰かが何とかしてくれる、これは私の所為ではない。こればかりの人生ならば、真の自立はいつまで経っても出来ない。ゴミが落ちていたらゴミを拾う。誰かが拾うだろう。それは自分の役目ではない。この微細な心掛けが全てを表している。目の前にゴミが落ちていたら迷わず拾う。困っている人が目の前にいたら助ける。その一つひとつの行いが、真の自立の道を啓くということだ。神社、仏壇、墓の前で手を合わせたり、教会やモスクで祈りを捧げることだけが信条ではない。
そのことを肝に銘じ、今日一日を生きます。
有難う御座います。
幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者