「水」がおかしくなったら、終わりの始まり。
「水」がおかしくなったら、終わりの始まり。そう言われて30余年。「水」は、確実におかしくなっている。極度に荒れ、汚れ、廃れている。これは地球に限界が来たということを意味している。最後に、人類がどれだけのことができるか。これに掛かっている。人間以外の生物たちが、人間の変革に固唾を呑んで見守っている。人類は、「水」を人間のエゴのために消費し汚している。生きるために最も必要な「水」を、機械(半導体)や衣服や、アルミニウムの精製のために、食肉用の家畜の餌となる大豆やトウモロコシなどに大量の水を使っている。既に飲める水は、局所化し、弱肉強食の奪い合いが始まっている。人類が、猛省し、僅かとなった「水」を分かち合えるかに掛かっている。汚れた水を再生し、自然に返すことを自然は欲している。少なくとも、今直ぐに、地球の水を汚す(けがす)ことを止めなければならない。自然に対する畏怖の念、感謝の念、分かち合いの精神が生まれなければ、人類は自ら消滅の道を歩むことになる。誰がそれを行うのか。それは誰でもない、自分がやるのだ。
そのことを肝に銘じ、猛省し、自分に出来ることを執り行います。
有難う御座います。
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幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者