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インド瞑想旅が私を変えた 1|波乱の予感

私は42歳の時に瞑想を始めた

「このままの自分では嫌だ」「新しい自分になりたい」と思い詰めた末に出会ったのだ。

3年後。私は突然、会社を早期退職した。さらに、その足でインドへ瞑想三昧の旅に出た。

何の計画もなく会社を辞めた私は、ある方の「人生が変わる」という言葉に惹かれたのだ。

あれから7年。本当に人生が大きく変わった私は、この年末年始、再びインドに旅立つこととなった。

思いがけず「過酷な旅」となった、今回の旅。

だが、私を変える、人生の分岐点となる体験だったと確信している。

この旅は、いま思えば、波乱の予感に満ちていた。


1万人で瞑想する会

昨年の10月。私は今回のコースに申し込んだ。

期間は12月29日から1月13日まで。2時間ほどの瞑想を日に2〜3回行う。まさに瞑想三昧だ。

私は、12月27日に日本を発ち、現地のホテルで2泊してから、会場へ向かうことにした。

多くの日本人参加者も、同じプランだ。旅の疲れを取り、時差などに身体を慣らすためである。

帰国日を含めると約3週間。7年前と同じぐらいだ。ただし、参加人数が全然違う。

前回は30人ほどの小規模なコースだったが、今回は世界中から1万人が集まるのである。

「インドで、こんなに大人数で瞑想したら、私は一体どうなってしまうんだろう」

前回の旅で受けた影響の大きさを思うと、楽しみなような、怖いような、何とも複雑な気持ちだった。

突然やってきた思い

今の私は、人生に迷っている訳ではない。それなのに、なぜ再びインドへ行くことにしたのだろう。

自分でもよくわからない。

7年前の旅で手に入れたサリーやパンジャビスーツは、数年前に売ってしまっていた。

神道に出会い、大学に入った時点で、もうインドへ行くことはないだろうと、どこか思っていたのだ。

このコースに誘われた時、初めはあまり行く気にならなかった。

それなのに、数日後に突然、「やっぱり行こう」と思ったのである。

はっきりとした理由はない。

だが、突然やってきた思いには従うと決めている。早期退職を決めた時もそうだった。

私が続けている瞑想では、多くの人が同じ場所に集まって瞑想することで大きな調和の波が起こり、世界に肯定的な影響を与えると言われている。

今回のコースは、混沌とする情勢の中、世界平和を目的に開催された。このような大規模なコースは30年ぶりだと言う。

だが、私には、世界平和のために行くという明確な意志は、正直なところあまりなかった。

天から降ってきたような気持ちにただ従い、お金も仕事も度外視してインドへ旅立つことにしたのだ。

7年ぶりの旅立ち

7年ぶりの成田空港。カウンターに着くと、前回もご一緒したY先生がいた。数ヶ月にわたり、コースの担当者として奔走されてきた方である。

1ヶ月前。この先生とは、航空券の予約をめぐって、トラブルがあった。

私が、事務局の対応について、一方的に激しい怒りをぶつけてしまったのだ。

こんなに怒ったのは、10年前に瞑想を始めて以来、初めてのことである。人生においても、あまりないことだった。

自分でも、どうしてこんなに怒りが収まらないのか、わからない。まるで毒出しのようだ。

「この気持ちのままインドに行けるのか、自信がありません」

そう言い放ったまま、電話を切って終わっていた。いま思えば、波乱の前触れのような出来事である。

だが、成田に着いた頃には、憑き物が取れたように、私の心は落ち着いていた。

「その節は失礼しました」
「無事気持ちを持ち直しました!」

と言いながら、Y先生に近づく。我ながらいい気なものである。

「わー、来てくださって本当に良かったです!」

先生はそう言ってくれた。一点の曇りもない表情である。その姿に私はほっとした。

他にも見覚えのある方がたくさんいる。「いよいよ瞑想三昧の旅が始まる」と胸が高まった。

Y先生が「色々ありましたけど、ついにこの日を迎えました。これからが楽しみです!」と、他の参加者の方に話しているのが聞こえる。

だが、私たちは、これからも数々の波乱に遭遇することになる。まずはフライトで、その前触れのような出来事があった。

濃霧のデリー空港

成田からデリーに向かい、4時間のトランジットを経て、国内線でハイデラバードに向かう旅程。夜の12時頃には到着する予定だった。

夕方、デリー空港に着くと、室内なのに何やら煙のような白っぽいものが立ち込めている。

ゴムでも焼いたような、何とも言えない臭いもする。私は思わずマスクをつけた。

濃霧だ。デリーでは、寒い時期になると発生するという。臭いの主な原因は大気汚染と野焼きの煙。出だしから海外に来たのだと実感する。

入国審査を終え、スーツケースを受け取った私たちは、国内線のターミナルに着いた。搭乗口が数え切れないほどある。さすが大きな国だ。

私たちは、セキュリティチェックを終え、霧の中、搭乗口へ向かう。9時半過ぎに出発予定だ。

成田からデリーまで9時間あまり。長いフライトだったが、旅の高揚感なのか、疲れはあまり感じない。他の参加者の方と話すなどして、楽しく過ごす。

だが、出発時刻が間近に迫っても、搭乗が始まる気配は一向にない。その割にアナウンスも全くない。

しばらくして、濃霧の影響で遅れているらしいと、ようやく知った。

「いつ霧が晴れるかなんて、誰にもわからないね」

そんな会話を交わす。もしかしたら空港泊になるかもしれない。他の搭乗口では、多くの人がカウンターで怒りの声を上げていて、大騒ぎだった。

結局、私たちの便は深夜2時近くに出発した。幸い欠航ではなかったが、4時間遅れである。濃霧のデリー空港で、8時間待っていたことになる。

ホテルに着いたのは早朝の5時過ぎ。人数が多く、チェックインにも時間がかかる。ようやく部屋に入っても、すぐにシャワーを浴びる気力がない。

床についた頃には、すでに日が昇っていた。

だが、翌日には、この体験が霞むぐらいに衝撃的な出来事が、私たちに降りかかるのである。

つづく

★次の話はこちら

★45歳独身の私が先を決めずに早期退職したら、久高島で不思議な体験をして、自分の使命に気づく話

★「新しい自分になりたい」と追い詰められた42歳の私が、瞑想やアーユルヴェーダなど、心と身体と魂の浄化に励んだら、人生が変わっていった話



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