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インド瞑想旅が私を変えた 2|想像以上の非常事態

天から降ってきたような気持ちに導かれ、7年ぶりにインドへ瞑想三昧の旅に出かけた私(第1話)。

世界中から1万人が集まって、2週間あまり瞑想するコース。

何が起こるのかと期待を膨らませて旅立ったものの、飛行機が4時間遅れ、いきなり出鼻を挫かれた。濃霧のデリー空港で8時間待つ羽目になったのだ。

だが、この体験が霞むぐらいに衝撃的な出来事が、すぐに私たちに降りかかることとなる。


嵐の前の静けさ

早朝の5時過ぎにホテルに到着し、日が昇ってから床についた私。目が覚めたのはお昼過ぎだった。

朝食付きで予約していたが、すでに終わっている。それでも、寝ぼけた頭で1階のカフェに向かう。

チーズパスタがあると言うので頼んでみると、あっさりとしたグラタンのようなものが出てきた。

思えば、昨日から深夜にかけて機内食ばかりだった。温かい出来たてのものを食べるのが、ずいぶん久しぶりに感じる。疲れた身体に染み渡るようだ。

この後は、ホテルの周囲を少し散歩したぐらいで、すぐに部屋へ戻り、ひとりで静かに過ごした。

明日はいよいよ瞑想会場に向かう。そのため、ゆっくり休息し、疲れを取ることに集中したのだ。

ところが、まもなく夜の10時になる頃。シャワーを浴びて寝ようとしていた矢先に、不穏な連絡が届くのである。

嫌な予感

瞑想者は早寝早起きの方が多く、10時には寝ているという方も珍しくない。

それなのに、突然T先生からLINEが届いた。嫌な予感がして恐る恐る開くと、次のように書いてあった。

明日のコース会場に向かうことに関する緊急のお知らせがあります。

そのため、夜遅くなって大変申し訳ありませんが、10時頃に1階のロビーにきていただきたいと思います。

T先生のLINEより抜粋

同じホテルに宿泊する参加者宛だ。

いったい何があったのだろう。ますます嫌な予感がするが、すでに服を脱いでしまっている。

私は予定より早く起きることにして、ロビーには行かず、寝てしまった。

想像以上の非常事態

翌朝。起きてすぐにLINEを見ると、たくさんメッセージが入っている。

深夜2時過ぎにY先生からメッセージが届いていた。普段ならありえないことだ。こちらも恐る恐る読むと、想像以上のことが書いてあった。

多くのテント(※私が予約した個室の宿)はまだ準備ができておらず、水がでない、水洗トイレが使えない、近くに共同のトイレはない、という状況です。そのためテントを予約した方々は、二段ベッドがたくさん置かれているドミトリー(※トイレ・シャワー室が共同の大部屋)に泊まっていますが、このドミトリーもすぐに満室になる可能性があります。

テントは水がでないという状況ですが、それでも構わないという方は、テントでお泊りいただくことができます。

もし、それは快適ではないという方は、あと1〜2泊はホリデーイン(※今いるホテル)に宿泊された方がよいかもしれません。

Y先生のLINEより抜粋(※は村瀬付記)

これから会場に行っても、泊まる場所がないかもしれない。そう言われているに等しい。

かといって、今いるホテルに1〜2泊したところで、テントの水が出るようになるか分からない。

そもそも、延泊代も会場へのタクシー代も、支給される見込みは全くないのだ。

私はルームメイトであるNさんと相談して、どうするかは、会場の状態を目で確かめてから判断しようと決めた。

目を疑う光景

10時過ぎ。会場へ向かうバスがホテルの前に到着した。不安を抱える私たちに反して、やけに明るく派手な車である。

10時半頃に出発したが、渋滞につかまり、なかなか進まない。会場まで1時間弱と聞いていたが、もう少しかかりそうだ。

12時頃。ようやく会場が見えてきた。

だが、窓から見える光景に目を疑った。水が出ないと言われていたテントは、多くがまだ建設中の状態だったのである。

支柱に屋根だけ乗せてあって、壁はなく、地面が見えている。水が出ないどころか、シャワーやトイレは設置すらされていない。

この瞬間、予約したはずのテントは、私たちがいる間に完成しないことを覚悟した。

とはいえ、ホテルに延泊するには期間が長すぎる。何の見通しもないが、ここで泊まる場所を見つけるしかないと心に決めた。

私が日本に置いてきたもの

バスを降りた私たちは、噴水のある芝生の広場に集められた。

受付を済ませ、参加者であることを証明するバッジを受け取るためである。すでにお昼時だが、これがないと食堂に入れない。

会場のあるハイデラバードは、冬でも日中の平均最高気温が30度ほどあり、雨はほとんど降らない。この日も快晴で、汗ばむ陽気だ。

そんな中、いつ始まるか分からない受付を待ちながら、私たちはどこか呑気に笑って過ごしていた。

人数を数えるため、教員の方の誘導で、小学生を真似して点呼を取る。「(会場に到着して)胸がいっぱいで、お腹が空かない」と冗談を言う方もいた。

「この状況を受け入れてるって、すげえよな」

他の参加者の方が思わずつぶやく。輪に加わっていた私も、全くその通りだと思った。

1ヶ月前に、航空券の予約を巡ってトラブルになった時。

「あなたがたの対応は、インドにまで行こうという、熱心な瞑想者の気持ちを踏みにじるものです」

と私はY先生に言った。

今の状況は、この言葉がぴったり当てはまる。怒る人がいても当然だと思う。

それなのに、なぜかそういう気持ちが起こらない。残念だとは思うが、どこか受け入れている。

まるで、相手を責める自分を、日本に置いてきたかのようだ。

さすがにお腹が空き、待つのに飽きてきた頃。ようやく受付の担当者が、一人でのんびりやって来た。

ここにいる日本人は100名あまり。QRコードをかざし、バッジを渡すだけではあるが、一人ずつ対応するため、遅々として進まない。

「もっと何人かで来てくれれば良いのにねえ」

ある先生が思わずつぶやいている。結局、受付が終わったのは午後2時。もう式典が始まる時刻である。

宿のことが気になるが、担当者も式典に行ってしまうため、どうすることもできない。

私はルームメイトのNさんと、式典終了後に総合受付へ行くことにした。

予約していたテントからドミトリーに変更する手続きを行い、何とか宿を確保するためである。

だが、私たちは結局、世界中の瞑想者による熾烈な戦いに巻き込まれることとなる。それは、カオスと呼ぶのにふさわしい状況だった。

つづく

写真(敬称略):
三浦達哉(1枚目、5枚目、7枚目)
大谷由美子(3枚目、4枚目、6枚目)

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★「新しい自分になりたい」と追い詰められた42歳の私が、瞑想やアーユルヴェーダなど、心と身体と魂の浄化に励んだら、人生が変わっていった話


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