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【YouTube】『沓掛時次郎 遊侠一匹』公開中 ジョン・ロールズと長谷川伸の「任侠道」

キムタクが出ている新作時代映画『レジェンド&バタフライ』のPRを兼ねて、YouTube東映公式チャンネルで「沓掛(くつかけ)時次郎 遊侠一匹」(1966)が公開中だ。


「沓掛時次郎」は、長谷川伸原作の、戦前は知らぬ者がいない非常に有名な物語だったが、戦後は人気を失った。いわゆる股旅ものの代表作だ。

暗殺者が、暗殺した標的の遺族に同情して、やがて遺族を守る立場になって体を張る。

今も世界中で作られつづけている「暗殺者転向もの」の原点みたいな映画である。

<あらすじ>

舞台は中仙道の宿場町。

勘蔵一家と権六一家が争っている。

権六一家に世話になった渡世人の時次郎(中村錦之助)は、「一宿一飯」の義理を返すため、勘蔵一家の三蔵(東千代之介)を殺す。

三蔵は、死に際に、時次郎の男を見込んで、「妻のおきぬ(池内淳子)と息子の太郎吉を、親戚のいる熊谷に連れて行ってほしい」と懇願する。

時次郎は、おきぬと太郎吉を熊谷に連れて行くが、頼みの親戚はすでに死んでいた。

時次郎とおきぬは、旅の途中で、お互いに心を惹かれあっていたが、口に出せない。おきぬは、自分の夫を殺した時次郎への思いを整理できない。

時次郎は、おきぬに、自分の故郷の沓掛に来るように誘うが、おきぬは息子を連れて突然姿を消す。

おきぬが忘れられずに中仙道をさまよう時次郎は、やがて偶然に再びおきぬ親子と出会うが、おきぬは病に冒されて余命いくばくもなかった・・



こうしたストーリーに、さらに古いオリジナルがあるのかどうかは知らない。

少なくとも長谷川伸にとって、このストーリーには身近にモデルがいた。

「長谷川伸が子どものころ、たまたま店に妊娠した女をつれた徳という土工が出入りしていた。その女は友人の女房だったが、かれが死ぬとき、自分の女房と腹の子の面倒をみてくれと頼まれ、かたい約束をかわしたのだった。それで生活をともにしていたのだったが、女とのあいだはきれいなままだった。そのとき心にとめた見聞がもとになって、のちの『沓掛時次郎』ができあがったのである」
(山折哲雄『義理と人情 長谷川伸と日本人のこころ』)


「武士道」を補完するもの


この映画は、「任侠道」を描いているとされる。

私は少し前、「リベラル武士道」という考えをnoteに書いた。


日本人に外来思想は要らない、武士道を少しリベラルに変えたらそれで生きていける、みたいな話だ。

しかし、実は、武士道だけでは足りない。

その足りない部分を補完するのが「任侠道」だ。


「武士道と任侠道」というテーマで、私は大論文を書こうと思っていたのだが。

しかし、すでに同じテーマで書いている人がいるのを知って、がっかりしてしまった。

佐藤忠男の『長谷川伸論』(1975)だ。

佐藤はこの本の最初で、「忠誠心の二つの道」として、武士道と任侠道を並べ、比較している。

そして、長谷川伸作品で描かれる「任侠道」の特徴を、「弱者への負い目」という言葉で定義している。


「弱者」へのまなざし


武士道は、基本的にはサムライという支配階級、エリート層の思想だ。

そこでは、自立や自決、自己責任が、生きて行く倫理となる。

しかし、長谷川伸が描いた「任侠道」は、社会の最底辺の人たちの倫理である。

そこでは、弱者たちが、互いに誇りを持ちながらも、「情」によって結ばれ、頼り合う。

「義理と人情」でいえば、武士道は「義理」に重点を置くが、任侠道は「人情」重視だ。

「義理」という契約で、便益がある階層はまだいい。「義理」という契約では損ばかりする、あるいは、契約にすらありつけない、そういう階層もある。それが「任侠道」の世界だ。

股旅というのは、いわば旅するホームレスだ。

エリート倫理としての「武士道」の冷たさを補完するのは、この「任侠道」の「情」である。

ここで私はジョン・ロールズの「格差原理」を連想するわけだ。


「格差原理」とは、最も恵まれない人々の便益になるような社会的・経済的不平等だけが認められるという原理だ。 つまり、私たちは、すべての所得や富の不平等を拒否するわけではなく、ある部分を認めるというわけだ。 ロールズの原理によれば、その基準となるのは、特に最下層にいる人たちの便益になるかどうかということだ。(ググったら出てきた定義)


リベラリズム理論の中でも、ロールズの「正義論」は、最下層の人たちへのまなざしで、どちらかといえば左派の人に人気がある。

実際、「弱者への負い目」を基礎とする「任侠道」には、社会主義への契機があると思う。


ヤクザ映画との違い


「一宿一飯の義理」から起こるドラマといえば、ヤクザ映画の定型ではある。

同じ東映チャンネルでやっていた「人生劇場 飛車角」を、その原点として書いたことがある。


しかし、「人生劇場」を書いた尾崎士郎も、「花と龍」の火野葦平も、長谷川伸と比べたら、お坊ちゃんであり、その「任侠」の世界も観念的だ。

尾崎士郎も、火野葦平も、早稲田の学生だった。長谷川伸は小学校も出ていない。本当に底辺の人だ。

だから、長谷川伸にとっては、任侠道は「弱者への負い目」というより、自分が生きてきた世界を描いたにすぎない。


任侠道の継承


この加藤泰監督の「沓掛時次郎 遊侠一匹」(1966)は、長谷川伸原作映画としては最後の方の映画だが、東映がヤクザ路線を走っていた最中の作品であり、ヤクザ映画風の印象が混じっている。

それでも、紹介者の大友啓史監督が「とにかくエモい」と言うとおり、「義理と人情」で思い切り「人情」に振り切った演出は、他のヤクザ映画とは断然一線を画す個性をいまも放っている。

時次郎やおきぬの風体があまりにも小綺麗で、「最底辺」という感じがしないのがアレだが、それでも、貧者たちの「情」の通い合いは丹念に描いていて、長谷川伸作品の本質を外していない。

最後の方で、時次郎と、ヤクザになりたがっている農民が、言い争いをする。時次郎が、「ヤクザなんて虫けらだ」と言うと、農民は「農民の方が虫けらだ」と言う。その「最底辺争い」に、武士道とは違う、任侠道の世界観が表れている。


この映画の前半部分では、渥美清が出てきて、時次郎の子分役を演じる。

それを見て、気づく人は多いだろう。

長谷川伸の股旅ものは廃れたが、その精神は、『男はつらいよ』(1969〜)に引き継がれて続いたんだな、と。


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