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【YouTubeで公開中】「人生劇場・飛車角」 ヤクザ映画の原点と「情熱の文学」

<概要>

1963年公開、鶴田浩二主演の歴史的ヒット作。この大ヒットで、東映は時代劇からヤクザ映画へ路線転換した。高倉健の出世作でもあり、その後のヤクザ映画・Vシネマの原点と言える。YouTube東映チャンネルで、12月29日まで無料配信中。


<あらすじ>

大正時代。ヤクザの飛車角(鶴田浩二)は、横浜の遊女のおとよ(佐久間良子)と駆け落ちし、深川の小金親分(加藤嘉)にかくまってもらっている。

飛車角は、小金親分への「一宿一飯の義理」を果たすため、小金一家と敵対する親分を刺して服役する。「せいぜい5年だ。待っていてくれ」とおとよに言い残して。

だが、小金親分は、その直後に、何者かに殺される。

おとよは、飛車角の釈放を待つあいだに、心ならずも小金親分の子分で、飛車角の弟分の宮川(高倉健)と、男女の関係になってしまう。「アニキの女」と知らずに関係した宮川は罪悪感で苦悩する。

飛車角の釈放の日。侠客の吉良常(月形龍之介)は、飛車角に、おとよと宮川を許すように諭す。飛車角は苦悩の末、おとよを諦めて、吉良常の子分として生きていくことを決意する。

しかし、小金親分を殺した犯人が、奈良平一家の奈良平(水島道太郎)だと知った宮川は、おとよへの思いを断ち切って、奈良平一家に殴り込むのだった・・

<評価>

佐久間良子がエロい! の一語に尽きる。

ヤクザ映画の原点となる映画だが、監督の沢島忠は、ヤクザ映画を撮りたくなくて、「メロドラマのつもりで撮った」と言っている。

実際、この映画は、おとよ(佐久間良子)を、鶴田浩二と高倉健が奪い合う、三角関係のラブロマンス映画である。

物語の説得力を担っているのは、佐久間良子の圧倒的な美しさとエロさだ。

当時、実生活で鶴田と不倫関係にあったとされる佐久間の発するフェロモンは、画面の向こうからむせかえるように匂ってくる。

お姫様女優だった佐久間の、その乱れ方、そのエロさに、当時の観客はさぞかし興奮したことだろう。


<ヤクザ映画に流れる「社会主義の情熱」>


あまりにも有名な映画で、ネットに情報は豊富にある。ここでは今あまり言われないことを書きたい。

この映画は、ヤクザ映画、ロマンス映画である以前に、「文芸映画」である。

しかし、尾崎士郎の原作「人生劇場」は、戦前から繰り返し映画化された超有名小説だったが、今ではほとんど忘れられてしまった。

「やると思えばどこまでやるさ」「義理が廃ればこの世は闇だ」と歌う「人生劇場」の主題歌は、早稲田の第二校歌と言われたが、今の学生は知らないだろう。

(早稲田大学生の青春小説は、尾崎士郎「人生劇場」→五木寛之「青春の門」→村上春樹「ノルウェイの森」と進化した(?))

「人生劇場」の映画も、「人生劇場を撮りたくて監督になった」という深作欣二の1983年作品(中井貴恵がヌードになった)を最後に、作られていないと思う。


尾崎士郎


ここで「人生劇場」の説明を始めると長くなるのでやめる。別の角度から語りたい。


私は昔から、尾崎士郎と火野葦平という、今ではほとんど忘れられた2人の作家のことが気になっている。

早稲田出身のこの2人は、よく似ている。その共通点は、日本文学史といわず、日本人にとってとても重要なことだと思っている。

その2人の共通点とはーー

・若い頃に左翼活動に深くかかわった

・その後「転向」し、戦時中は国家に協力した

・そのため、戦後は「右翼」と見なされ、一時公職追放となった

・その代表作「人生劇場」と「花と龍」は、任侠映画の定番となった


この2人が青春を送った時代(明治末から大正時代)は、大逆事件やロシア革命を背景に、社会主義が若者の心を激しく捉えた時代だった。

その流れにどっぷり浸かりながら、その後2人は「転向」していくわけだが、若い頃に持った問題意識を、生涯持ち続けたと思う。

2人が追求したテーマは、

「人と人は、結びつけるのか。結びつけるとすれば、どのような原理によってか」

ーーだった。

それは、彼らの社会主義体験の中から生まれたテーマだと私は思うのである。


「社会」という日本語が明治以前になかったことは有名だ。社会主義がうたった「団結」「連帯」は、明治の若者には新しい概念だった。

それは、「性愛」や「友情」や「家族愛」とは違う、もっと強烈なものであるべきだった。人々は、自我の壁を超えて、社会的に連帯できるのか。それが可能性として示され、若者はそれに憧れた。

国家の弾圧で左翼活動が非合法化していく中で、尾崎は「人生劇場」で、火野は「兵隊もの」文学の中で、やはり「人と人を結びつける原理」を探し続けたと思う。


尾崎と火野のような早稲田の学生は、社会主義の原理を、東大マルクス主義の一派のように、社会科学的に探求しなかった。文学的に探求したのだ。

(社会科学としてのマルクス主義は、一見精緻に見えるが、実は人と人を結びつける倫理学がない、ということが後に問題になる)


尾崎士郎は、中学生時代、大逆事件に出会ったことから、文学者を志すようになる。

天皇を殺そうというほどの人間たちの情熱はどこから出てきたのか。それを解明して小説にしたい、というのが彼の文学的初心だった。

彼の興味は「思想」には向かわない。尾崎は若い頃から荒畑寒村のファンで、のちに「売文社」でともに働くが、それも荒畑の思想や運動への興味というより、その「情熱的文章」が好きだった。


尾崎も、火野も、デビュー時に「思想がない」と批判された。一方、尾崎を激賞した川端康成、火野を評価した小林秀雄は、プロレタリア文学と一線を画した文学者だった。文学者としての尾崎と火野は、思想的内実がなく、むしろ左翼に同情を持ち続けたのだが、最初から左翼の対極に位置づけられる運命を共有した。

2人とも、思想・哲学や、高踏的な文学・芸術に興味がなかった。そういうもので人間や社会は動いていないと直感していた。(だから彼らには「転向」への罪悪感もなかった)

「人生劇場」も「花と龍」も、物語性が際立つので通俗的と見なされるが、底に流れるテーマは同じだと思う。「人と人は、結びつけるのか。結びつけるとしたら、いかなる原理によってか」だ。


火野葦平


彼らは、人と人を結びつけるのは、思想ではなく、もちろん打算ではなく、一種の「激情」であるべきだ、と考えていた。それは、正義感の激しい発露のようなものだ。

尾崎士郎の文学は「情熱追求の文学」と呼ばれた。火野葦平の文学はしばしば「誠実さ」という言葉で語られる。いずれも、理屈ではない、まっすぐな感情と正義感を追求している。

だから、彼らは社会主義運動を、幕末の志士たちの行動と同じように理解したとも言える。思想的な正しさとか、運動の方向性よりも、男たちが情熱的に結びつく、その人間の心の働きに興味があった。

それこそが、ヤクザ映画のテーマにもなるのである。


彼らの文学が、いま古臭くなったのは、彼らが求めたような「人と人の強烈な結びつき」を、人々が求めなくなったからだと思う。それは、左翼にとっても、時代遅れになった。

今の人々は、とても傷付きやすいので、もっとドライで、程よい距離感の人間関係を求めるようになった。

しかし、そんな現代でも、ヤクザ映画に観客が求めるのは、まさにその「激情」である。

(ちなみに、憲法9条信者であり、アフガニスタンでゲリラに銃殺された中村哲医師は、火野葦平の甥だった。中村の生涯は、火野の激情的正義感、「誠実さ」の継承とも言えるし、戦犯視された伯父への反動だったとも言える。)



「人生劇場」も「花と龍」も、何度も映画化されていたが、それを原作として「任侠映画」が作られるようになったのは、この「人生劇場 飛車角」以降のこと、1960年代後半の事象だった。


高倉健主演の「花と龍」(1969)


その頃、尾崎士郎(1898ー1964)も、火野葦平(1907ー1960)も、この世にいない。

尾崎は、本作「人生劇場・飛車角」の公開直後に死んだ。本作のヒットにより、「飛車角」は続編が2本作られて三部作となったが、どんどん原作から離れ「文芸色」はなくなった。尾崎士郎はヤクザ映画になるのを嫌っていたから、彼が生きていたら続編は作らせなかっただろうと言われる。

それは、「花と龍」を任侠映画にされた火野葦平にとっても同様だったろう。彼はヤクザ映画の原作を書いたつもりはなかった。

(なお、火野葦平は芥川龍之介同様の「漠然たる不安」で1960年に自殺するのだが、自殺であることは「花と龍」のモデルの1人である母親が生きている間は隠されて、その死後の70年代に公表された。)


だが、文芸映画が「ヤクザ映画」となっても、原作のテーマが完全に消えたわけではなかった。高倉健のヤクザ映画が、1960年代の左翼学生に受けたのは、偶然ではない。尾崎や火野が原作に仕込んだ、「社会主義運動における情熱の研究」という含意、隠れテーマを、彼らは感知できたのだ。


ヤクザ映画がその後も作られ続け、今もマイナーながらVシネマのような形で作られ続けているのを考えると、尾崎や火野が追求した文学的テーマは、まだ生きているのではないかと思う。

ヤクザ映画の中では、「義理」や「仁義」という言葉で、人と人が結びつき、生死を共にする世界が描かれる。そして、その結びつきが、いかにもろく、はかないかも、同時に描かれる。

そこには、20世紀に若い日本人が体験した「社会主義運動」が、あるいは、19世紀の若い日本人が体験した「尊皇攘夷運動」が、それに対する憧れと挫折が、繰り返し、形を変えて描かれていると言える。

社会主義の情念は、皮肉なことに、「右翼」と呼ばれた尾崎や火野の作った物語の中で生き残っている。

現在、20世紀の「社会主義の夢」は、ほとんどの人にとって過去のものだ。辻元清美も社会党からこっそり民主党に鞍替えした。

しかし、ヤクザ映画が消えないのは、「自我の壁を超えて、人と強烈に結びつきたい」という人々の思いが、まだ完全に消えていないからだろう。


話がまとまらなくなったのでこれまで。(改めて整理して書きたい)



<参考>




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