見出し画像

【大推薦】快楽亭ブラックの絶品「ジャニー喜多川」パロディ「僕らはみんな知っている」

そういえば、快楽亭ブラックはどうしてるんだろう。

もうとっくに廃人になってどっかの施設に入っているんだろう。

彼が元気だったら、ジャニー喜多川や、市川猿之助の問題に、黙っていないんだけどなあ・・


と思っていたら、快楽亭ブラック、すごい元気でした。

で、やってました。「ジャニー喜多川の歌」

快楽亭ブラック「ジャニー喜多川の歌」(YouTube)


(「僕らはみんな生きている」の節で)

僕らはみんな売れている〜

ホモ❌❌❌

❌門をジャニー喜多川に〜

捧げてみれば〜❌❌❌


僕らはみんな知っている〜

知っているけど言わないんだ〜

朝日だって、読売だって、アカハタだって〜

みんな、みんな

知っているのに知らないそぶり〜


例によって「発禁」になるかもしれないから、早く見といた方がいいよ。


あと、市川猿之助問題についても、やっておりました。


快楽亭ブラック:市川猿之助噺&快楽亭ブラック祭


快楽亭ブラックは、歌舞伎と日本映画については専門家中の専門家ですからね。

その教養が爆発するような解説です。

そして、これも「発禁」になりそうなので、早く見といた方がいいですよ。


上の動画で知ったんですが、今年は初代快楽亭ブラックの没後100年なんですね(現ブラックは2代目)。


初代快楽亭ブラック(1858〜1923)


これは、日本新聞協会もイベントとかしなければならない話です。

なぜなら、初代快楽亭ブラックは、オーストラリア人、ジョン・レディ・ブラックの息子です。

このジョン・レディ・ブラックこそ、明治5年、東京で最初の日本語新聞「日新真事誌」を出した人です。(日本最初の日本語新聞は横浜で出ていた)


正確には、東京で初の、になるはずだったんだけど、外国人が出す新聞が最初だと体裁が悪い、というので、政府が許可を遅らせるなど画策して、東京日日新聞(現毎日新聞)に「東京初」を譲らせたんですね。(東京日日新聞の創刊は1872年2月、日新真事誌は同年4月)

「日新真事誌」は、ブラックが出していたので、「ブラック新聞」と通称されていました。毎日新聞の前身の東京日日新聞は明治政府の御用新聞として有名でしたが、ブラック新聞は政府批判ばかりするので、発禁となります。

それでブラックは失意のうちに死ぬのですが、その息子ヘンリー・ジェイムズ・ブラックが日本にとどまり、父親の無念を晴らすように社会風刺の芸人になって、初代「快楽亭ブラック」になったのです。


だから、ブラック師匠は、日本で最も「マスコミを批判できる正統性がある」血筋なんですよ。まあ、初代と2代目に血のつながりはないとしてもですよ。

「発禁」はブラック一門のお家芸です。

それを思えば、上の「ジャニー喜多川の歌」は、日本で最も由緒正しい「マスコミ批判」であることがわかるでしょう。


みんな、みんな

知っているのに知らないそぶり〜


と、ブラック一門は、100年以上前から日本のマスコミをおちょくっていたのでした。


<参考>


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?