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石破茂は、徳富蘇峰、佐々木信綱、横井小楠の親戚 サムライではなく「田舎紳士」

一つ前の総裁選のときか、日本最大級の教会といわれる大和カルバリーチャペルの大川従道牧師が、

「石破茂さんのために祈っています」

と説教中に言っているのを聞いた。(私は、クリスチャンではないが、牧師のオンライン説教を聞くのが趣味だ)


そのときに、私は石破茂がクリスチャンであることを知った。

今回の総裁選でも、教会は、石破の総裁就任を祈っていたはずだ。


石破茂は、たんなるクリスチャンではない。

熊本バンドの金森通倫から始まる、4代つづくクリスチャン。明治の最も早いキリスト教改宗者につらなる特別な家系の人だ。


石破さんがクリスチャンなのは有名ですが、彼の曽祖父は金森通倫といって、新島襄の仲間だった明治期の有名なクリスチャンで、かつ金森は熊本の人で、維新後に熊本に来た南北戦争の元北軍将校ジェーンズの影響で改宗した、熊本バンドの構成員でした。つまり、石破茂さんは南北戦争関連人物。


金森通倫は、徳富蘇峰の親戚であった。

だから、金森通倫のひ孫である石破茂は、徳富蘇峰(&弟の徳富蘆花)の遠い親戚であり、同時に横井小楠、佐々木信綱の親戚でもある。

これは、WIkipedeiaにも載っていなかった(石破本人は知ってるはずだが・・)。


系図は、以下のとおりとなる。


杉原志啓・富岡幸一郎編『稀代のジャーナリスト 徳富蘇峰』(2013、藤原書店)p306より


徳富蘇峰・蘆花兄弟の母、久子の姉妹に、金森通倫(石破茂の曽祖父)の叔母に当たるにほ子、横井小楠に嫁いだ津世子、佐々木信綱の祖母に当たるもと子がいる。(上の系図参照)


徳富蘇峰 1863ー1957 明治・大正・昭和にまたがり、日本の代表的なジャーナリストとして活躍。「国民新聞」「国民之友」などを創刊した。日本に「社会主義」を最初に紹介した一人だが、次第にナショナリズムに傾斜し、戦中は大日本言論報国会会長。また、毎日新聞の論説委員(社賓)を務め、ジャーナリスト最高賞の「蘇峰賞」を創設した。戦後は公職追放となったが、94歳まで生き、主著「近世日本国民史」全100巻を書き上げて亡くなった。

徳富蘆花 1868ー1927 蘇峰の実弟で「不如帰」のベストセラーで知られる作家。大逆事件で幸徳秋水を弁護した「謀反論」でも有名。兄の蘇峰とは一時期喧嘩したが、死ぬ前に仲直りした。世田谷にある芦花公園は蘆花の旧邸跡。

佐々木信綱 1872ー1963 明治から昭和を代表する歌人。父は国文学者の佐々木弘綱。短歌結社「心の華」を主宰し、木下利玄や相馬御風をはじめとした多くの歌人、新村出などの国語学者を育てた。学士院会員、芸術院会員を務め、皇室の和歌の指導もおこなう。

横井小楠 1809ー1869 幕末期を代表する儒学者。熊本藩「実学党」の祖で、蘇峰の父の徳富一敬がその第一の門弟だった。幕政改革や公武合体で活躍し、福井藩・松平春嶽の政治顧問を務めた。明治政府でも参与となったが、「横井は日本をキリスト教化しようとしている」と疑った右翼により明治2年に暗殺された。


熊本バンド


石破茂の曽祖父、金森通倫がくわわった熊本バンドは、札幌バンド、横浜バンドとともに、日本近代のプロテスタントの源流の一つ。同志社大学の源流ともなった。

詳しくは、以下のWikiを参照してほしい。


明治維新後、熊本洋学校に学んでいた若者たちは、教師L・L・ジェーンズ(Le Loya Janes)の影響で、キリスト教に入信する。

明治9年(1876年)1月30日、彼ら34名は、現熊本市の花岡山で、「日本にキリスト教を広めていく」という誓いの「奉教趣意書」に署名した。

その中に、当時12歳の徳富猪一郎(蘇峰)、18歳の金森通倫(石破茂の曽祖父)がいた。

奉教趣意書に署名した他の有名なメンバーとしては、浮田和民、海老名弾正、横井小楠の長男・横井時雄などがいる。

彼らは、熊本洋学校閉校後、新島襄の同志社英語学校に移り、創設間もない同志社の中核となる。

のちに、浮田は同志社政治学校校長となり、海老名は同志社総長となり、横田は同志社社長になった。(花岡山の「奉教趣意書」は現在、同志社に保管されている)

そして、石破茂の曽祖父、金森通倫(1857ー1945)は、同志社進学校長、同志社長代理などを務め、晩年は洞窟暮らしで「今仙人」と呼ばれる有名な宗教家になる。

徳富蘇峰も、先に同志社に入っていた親戚の金森通倫を通じて新島襄を知り、従兄弟である横井時雄もいたことから同志社に入り、14歳のとき新島襄から洗礼を受ける。(『稀代のジャーナリスト 徳富蘇峰』p124)

蘇峰は、新島襄への尊敬から受洗したと言い、その後はクリスチャンらしく振る舞ってはいないが、弟の蘆花の葬式はキリスト教式でおこなわれ、父の一敬も晩年に洗礼を受けてキリスト教徒になっている(山中湖の徳富蘇峰館の展示で私はそれを初めて知った)。


石破は、「士族」ではなく、「豪農」タイプ


蘇峰も、石破茂も、信仰を表に出さないタイプのクリスチャンだ。

そして、家系図を眺めて気づくのは、彼らが「士族」出身というより、地方の「豪農」出身であること。

蘇峰自身は、自らの階層を「田舎紳士」「カントリー・ジェントルマン」と称していた。

蘇峰のいうそれは、「土地を私有し、自治意識を持ち、儒教教育も受け、公的な意識を備え持っていた自分の出身階層」のことだと井上智重は述べている(『稀代のジャーナリスト 徳富蘇峰』p119)。

言うまでもなく、江戸期までを支配したのは士族であり、明治以降も、旧士族が政治や官界、新聞界の上層を占めた。

蘇峰の先祖はサムライではなく、「総庄屋」「大庄屋」であり、地方に広い土地を持つ「豪農」である一方、サムライ階級(領主)の委託を受けて村を管理する上級の役人でもあった。

彼らは、しばしばサムライよりも豊かで、教養もあった。蘇峰の家系がそうである。

そして、必ずしもサムライのような主従関係にしばられず、自治と自由の意識があった。

クリスチャンになる、というのも、当時は先進的な教養のあかしだった。



彼らの行動原理は、サムライとはちがう。戦うのが仕事ではなく、地方を治めて、産業を維持するのが仕事だった。

サムライのような決断力や果敢さはないが、慎重で、学者(オタク)タイプである。

サムライのタイプが多い政界で、石破茂の行動原理は、やはり異質ではなかろうか。

徳富蘇峰は右翼と言われ、石破もまたそう言われることがあるが、いわゆる右翼とは少し違う。

基本にあるのは「実学」で、イデオロギーはあまり関係ない。そもそもクリスチャンだから、右翼の典型ではない。

そのあたりが、蘇峰と石破に共通しているように思え、やはり家系かなあ、と感じるわけであります。


なお、麻生太郎は、カトリックのクリスチャン。

クリスチャンの首相には、原敬、高橋是清、吉田茂、片山哲、鳩山一郎、大平正芳、細川護熙、麻生太郎、鳩山由紀夫がおり、石破は10人目か。キリスト教徒は日本人の1%と言われるが、「上級国民」では比率が高い。


以下のnoteの記事も、金森通倫や石破の家系について紹介しています。


<参考>


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