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ミヨシ・ウメキと山口百恵 過去の栄光を投げ棄てた女たち

1958年に東洋人初のアカデミー賞を受賞したミヨシ・ウメキ(梅木美代志)の、引退後の様子がわかる記事があった。

「なぜ、アジア人唯一のオスカー女優ミヨシ・ウメキは、受賞トロフィーを破壊したのか」
Why did Miyoshi Umeki, the only Asian actress to ever win an Oscar, destroy her trophy?(Entertainment 2018)

https://ew.com/oscars/2018/02/22/miyoshi-umeki-sayonara-oscars-profile/

タイトルのとおり、ミヨシはアカデミー賞のトロフィー(いわゆるオスカー像)を自らの意思で廃棄していた、というショッキングな内容だ。

(なお、タイトルに「アジア人唯一のオスカー女優」とあるが、昨年、「ミナリ」の韓国人女優ユン・ヨジョンが受賞したので、もう唯一ではない。まだ「日本人唯一」ではあるが)

ミヨシは、アメリカ・エンタメ界の第一線で活躍し、ヒットドラマ「エディの素敵なパパ」出演を最後に、1972年に芸能界を引退した。

以前の記事では、「若い頃に芸能で稼いだお金で、人生後半は実業家として生きる、まずは黄金パターンだろう」と私は書いたが、それほど順風満帆ではなかった。引退して第二の人生に踏み出したとたん、夫と死別するのだ。


夫を1976年に失った後、ウメキは、オスカー像の自分の名前を削り、そしてそれを捨て去った。息子は、いまだに廃棄の理由がわからないが、夫と死別後、シングルマザーとなった母親の境遇は厳しかったのだろうと言う。腹立ちまぎれの行為に思えるが、ウメキは当時、感情を抑えて、息子に説明していた。「お母さんは、『私は自分が誰であるか、何をしたかを知っている』と言いました。アカデミー賞のトロフィーのようなモノが私ではない、とぼくに教えたかったのでしょう」

Shortly after her husband, Randall Hood, passed away in 1976, Umeki etched out her name on her Oscar and then threw the trophy away. To this day, her son isn’t sure why she disposed of it, though he says the circumstances of her life at the time — as a newly single mother raising a teenager — probably didn’t help. (“When my father passed away, Mom took it real hard,” he remembers.) But even though it seemed to have been an act of rage, her explanation to him at the time appeared to avoid any expression of strong emotion. “She told me, ‘I know who I am, and I know what I did,’ ” Hood says. “It was a point of hers, to teach me a lesson that the material things are not who she was.”

Entertainment


アメリカで、服従的な東洋人の役ばかりを演じさせられていたことを、彼女がどう思っていたか。記事には、息子の疑問に答えた彼女の思いも書かれている。

「なぜカタコト英語を話すような役をやったの?」と息子のマイケル・フッドはウメキに聞いたことがある。「お母さんの答えはシンプルでした。『やりたくはなかったけれど、それでおカネをくれるというから、一生懸命にやったのよ』」

 “I asked her, ‘Why did you agree to do the pidgin English?’” her son, Michael Hood, says now. “Her answer was very simple: ‘I didn’t like doing it, but when someone pays you to do a job, you do the job, and you do your best.’”

同上


引退の理由について、息子はこう語っている。

「今どき珍しいと思うでしょうが、お母さんは専業主婦になりたかったんです。後で理由を聞いたら、彼女は、やりたかったことを自分は全部やってしまった、と言っていました。彼女の夢は、ここアメリカで芸能活動をすることだったんです」

“I know it sounds weird nowadays, but she wanted to be a housewife and a mother,” Hood says. “When I asked her why years later, she said she had achieved everything she wanted to achieve. Her dream was to come here and entertain.”

同上


彼女がトロフィーを投げ棄てたのは、長年の不本意な芸能活動で鬱積が溜まっていたから、という風にとれる解釈を、この記事ではしている。

しかし、必ずしもそうではないのではないか。

私は山口百恵を思い出した。たしか彼女の話だったと思うが、引退を決意したあと、衣装部屋に吊るされた衣装がすべて無意味なものに見えた、と言っていた。

山口百恵の芸能活動も、楽しいばかりではなかったと思う。10代の少女が性的な内容の歌を歌わされているのを見て、子供時代の私ですら残酷な気がした。

楽しくなくても、それでも「やりとげた」という満足感はあっただろう。

そして、次のステップに進むと決意したとき、過去はすべて無意味に見える。芸能界に一切未練がない。
(私の性的偏見では、これは女の特徴だ。いつまでも元カノに執着するのは男で、女は、新しい男をゲットすれば、元カレに執着しない。)

だから、専業主婦になるために引退したミヨシ・ウメキは、山口百恵と同じではないかと思った。次のステップに自らの意思で進んだのだ、と。

ミヨシが夫と早々に死別したのは、山口百恵とは違う、悲劇だった。だが、それでも芸能界に戻る気はなかった。トロフィーの遺棄はその表れだろう。そして、ロサンゼルスで事業をしながら子供を育てたあと、息子の家族が住むミズーリ州に移り、孫たちに囲まれながら晩年を過ごした。

やはり幸福な人生だったと思いたい。「トロフィー」は、その人生の幸福に、結局必要なかったのだ。


<10月5日追記>

ナンシー梅木の渡米と、その引退について、以下のような興味深い説を書いている方があったので、とりあえず引用しておきます。

この「ナンシー梅木/活躍の場をアメリカへ」のきっかけとして語り継がれる「噂」に、ナンシーさんがマネージャーをしていた永島さんに失恋して・・・という説もあるのです。
永島さんは英語も堪能な早稲田のインテリで、育ちもよくて長身な二枚目・・・世間が噂をたてたのかも知れません。
当時、ナンシーさんには「トミー・オリバー」という彼女の楽曲の編曲を一手に引き受けていた米軍兵士の恋人がいた・・・というのも有名な話です。
彼を追ってアメリカに渡った... また彼との恋に破れて、彼の故国で一旗上げる!・・・そのための渡米だった...という説もあります。


ナンシー梅木さんも1970年ころを堺に消息を消してしまった「謎の歌手」です。
これも想像ですが、アメリカのドラマでの東洋人家政婦さん役がヒットした頃(エディの素敵なパパ...子役はジョディ・フォスター)に、日本で凱旋公演をしています。しかし...あまりにアメリカナイズされてしまって...というか「日本生まれの日本人ではないアメリカで生まれ育った2世さんのようでもあり」といった国籍不明的な部分で「日本のファン」から酷評を受ける...という出来事が起こったことがありました。
彼女はこの日本公演で精神的なダメージを受けたはずです。この出来事が「引退」の引き金になった...のかも知れません。


<参考>


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