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【20分で書く掌編小説】第3回「ひと夏の経験」

毎朝、ゴミを出しに行くまでの20分で書く掌編。

子ども時代の幸福な記憶。といえば、ぼくの場合、久留米のおじいちゃんちで暮らす夏休みの思い出になる。

おじいちゃんちは、筑後川の土手のすぐ近くにあった。

ゆったりと流れる田舎の夏休みの、クライマックスは、筑後川の花火大会だ。土手に並べた縁台に座って見上げる花火と、ぼくの横にはスイカ、うちわ、ブタの蚊取り線香・・・。

そして、ぼくを優しく見つめる、おじいちゃんと、おばあちゃん。乳濁したぬるい空気に包まれるような、幸福で平和な時間が流れた。

だが、ぼくのその無垢な記憶は、一瞬の鋭利なナイフの一撃、のような出来事で、断ち切られる。

おじいちゃん、おばあちゃん、お母さんと、ぼくで、夕餉の食卓を囲んでいたときだ。

テレビから、山口百恵という歌手の歌が聞こえてきた。

「あなたに女の子の・・・」

そのとき、おじいちゃんが一瞬、好色な目をテレビに向けたのを見た。そして、おばあちゃんとお母さんが、目を伏せたのを見た。

田舎の団欒が、近くに原爆でも落ちたかのように、一瞬で灰色の光景に凍った。

10歳だったぼくは、

「ああ、ぼくはこの人たちの正体を見てしまった」

と思ったのだ。

そして、このテレビの中の女の人は、日本中の男からこんな目で見られるのに、耐えられるのか、と思った。

ぼくはその日から大人を信じられなくなり、3年後におじいちゃんが死んだときも、あまり悲しくなかった。

そして同じころ、この歌手が、早々に引退して2度と公に出てこなくなったことを、ぼくだけは納得していた。

(終わり)


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