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学歴?資格?過去の栄光を語っても無駄です。今ここではっきりしてしまいましょう。実はあなたは敗北者なのです。決して特別な存在(The One)などでは(One of them)ありません。


今更出身大学とか自慢されても困りますよ。
何年前に資格や賞をとりましたとかも。
下手すりゃ高校の自慢する人もいますし、受かりもしなかった大学の受験自慢をする人もいます。そこを目指すほどすごかったって言いたいのかな?反応に困りますね。コンプすげえなとしか。

「過去の栄光を語るのは今何も積み上げていないから」

よく言いますよね。でもこれ実際はちょっと違うんですよ。実は彼らは今でも心が20代のままなので中高大学、若かったころの活躍や努力の経験が”ほんのこの前”の事だと思ってるんです。過去の栄光という認識は全くありません。今現在自分は他人よりも優秀で特別な存在であると本気で思ってるんですよ。壮大な勘違いですよね。

もちろん実際には特別な才能など何もなかったので現状に甘んじているわけですし、その後に努力もチャレンジも続けてきませんでしたので、今後新たな武勇伝が追加されることはありません。そう、これから一生お話が追加されることなど無いのです。活躍の機会など与えられないからですね。

それに今更何かを頑張った結果誰かに「負ける」ようなことがあってはならないので自分から勝負を回避します。意識的にも、無意識的にも。

とはいえ実際にはやはり本当に優秀な誰かに負ける機会もあるのですが、その都度他人や環境、時代、差別、その他いろいろなものに責任転嫁して負けてない事にするんですよね。
このようにして心を防衛しつつ、そのストレスを徐々にその固い外骨格の中にマグマのようにため込んでいくのです。

こうして最終的に昔話しかしないお爺ちゃんお婆ちゃんのいっちょ上がりというわけです。いますよね、どの世界にも。昔から大っ嫌いでした。

彼らの嫌味や見下した態度はその積み重なったマグマの圧力なのです。

年を取るとあちこちのゲートがゆるゆるになりますし、放っておくと身を蝕みますので定期的に放出しなければならないというわけ。迷惑な話です。

彼らが、かつて自分が優秀だったかのように錯覚してしまったのは、単に周りより少しだけ早く物事を理解できたに過ぎません。
ですが1+1を簡単に理解したところで、その早さになど何の価値も無いのです。そんなものは最終的にクラスの全員が理解できるようになりますし、空いた時間で1+2に行かずにただ待っていただけの人の事を優秀とは言わないんですよ。

若いころの優秀さなど、所詮は若いフィールドでの優秀さに過ぎないのです。

にもかかわらず、著名な経営者やイノベータの本や話を聞いて、自分も同じ天才なのになぜ周りは評価してくれないのだろうって本気で思っているんです。
カリスマが大活躍するヒーロー牽引型の組織は、コドモの夢ですからね。
本当に(少なくとも日本型の)社会から求められているのは個としての性能ではなく、組織として何を生み出せるかなんですけど、そういう世界を生きている事に気づいていないあたりがまだ子供なんですよ。まだというか永遠にですが。

彼らは小さなころの成功体験から周りを全員自分以下のアホだと見下しているので組織をマネジメントすることができません。
もちろん周りも同様に彼らの事を子供だと見下しているので、ついてくる人もいません。

本質を伴わないまま「優秀さ」に憑りつかれ、自分は他者より優れていると思い込んだまま「天才は孤独だ」などと言いながら本当の原因や問題点から目を背け続け、取り返しのつかない重大な局面で初めて挫折を経験する人がいます。

辛いですよね。助けてくれる仲間もいません。

そこで一発終了みたいな場所で必ずしくじってしまうんです。小さな失敗とリカバリの経験、積み重ねがないからですね。

彼らは優秀な自分になりたかったのではなく、優秀だと人から褒められたかっただけなのです。
その能力で何かを成したかったのではなく、何かを成した人として名を遺したかっただけなのです。
誰かに勝ちたいと思っただけで、手段になど興味はなかったのです。

人に負けるのが嫌い。
人から見下されたくない。

なら負けないように強くなりたい。
ではなく、なら戦わなければいい。を選んでしまった。
戦いではなく相手を蹴落とす事を選んでしまった。

人々が自慢するのがいつの時期の話かを注意深く聞いていると、彼らがいつ「挑戦」を放棄したのかが分かります。
大学ですか?高校ですか?それとも小学校ですか?もしかして、幼児の頃、人より言葉を話すのが早かったりしましたか?

すごいですね。

そんなに若いころに、勝利を。

今ここではっきりしてしまいましょう。
実はあなたは、敗北者なのです。

今の視度にあった眼鏡を持っていないので、周りの人間が持っているトロフィの価値がわかっていないだけです。
あなたの以外の全ての人々の手の中に握られている本物の経験と知識と実績と違い、あなたがいま自慢している経歴も過去の栄光もすべて「こども銀行券」以下の価値しかないのです。

10代には10代の、30代には30代の、その先にはその先のフィールドのルールとレギュレーションがありそれに従って人々は戦っているわけです。

20代に積み重ねるべきものを積まず、30代で練り上げるべきものを練らずに10代の栄光(それも虚栄ですが)のみで今中年のフィールドにいるのは恥ずかしいことだと気づかなければならない。
虚栄心を捨てて、今の世界の最下位であることを認め、一からやり直してください。まだ間に合うかもしれません。

かつて僕らが一番なりたくなかったもの、一番嫌いだったもの、一番の敵、昔話しかしないおじいちゃんおばあちゃんになりたくないでしょう。

そして、その時本当に気を付けないといけないのはそういう人たちをおだてて遊ぶ人たちや、利用しようとする人たち、そのコンプレックスを金や悪事に変換しようとする魑魅魍魎で世の中はいっぱいだという事なんですよ。

優秀な人ならこれを持っているべきだ。これを知っているべきだ。こう振舞うべきだ。
この店を知っているべきだ。この服、この靴、この食事、このお酒、この、べき、べき……

自分が特別な存在(The One)ではない(One of them)ことを認められない限り、あなたを有料で「特別な存在」にしてくれる何かにお金を払い続ける事になります。

死ぬ前に、何か一つでも見つけられると良いのですが、それがまたある種のセミナや宗教でない事を祈るばかりです。

あなたは、特別な存在などではありません。

生まれてからずっと、ナンバーワンでもオンリーワンでも無かったのです。

あなたは何者でもありません。

でも、それでいいじゃないですか。


おしまい。


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