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短編小説「大発見」



 窓から見える桜の木々にはまだ蕾すら芽吹いておらず、冬の寒さからの脱却にはもうしばらくかかることが窺えた。しかし、そんな校舎脇に植えてある桜について、そのようなことを考える人間は、この職員室には誰一人としていなかった。理由は簡単で、ある一人の若い女性教職員が世紀の大発見をし他の物事に目がいかないからである。




 夕刻と共に訪れる乾燥した外気は、校舎の廊下に立ち入りはしたが、職員室に侵入することは叶わなかった。職員室では暖房によって温められた空気が、職員の一日の激務からの解放を労っていた。県内有数の進学校でもあるこの学校は、教職員の学力も勿論高く、元来勉強好きが高じて教職の世界へ足を踏み入れた者も少なくない。そのため、先ほど世紀の大発見を口にした女性職員に対する興味関心は非常に高い。担当科目や学年の垣根を超え、多くの職員が彼女の机に集まり、机の上にある山積みになっている参考資料を順番に眺めていた。




 「この発見を世に広めれば、これからの日本教育の在り方が大きく変わるかもしれないな」最近になり、中年太りに拍車がかかっている2学年主任の男性が、顎の贅肉を揺らしながらつぶやいた。その言葉に無言で頷く者も多くかったが中には、「このような発見は口外しない方がよろしいかと思います。全国の学生をはじめ、教職に携わる者が知らなくてよい情報とも思えます」と、いかにも気の強そうな吊り目をもち、2学年主任の男性を睨みながら言い放ったのは1学年主任の女性職員であった。




 対立の意見が出たことにより、2人の言論による戦いが始まった。「この発見を応用すれば、抜き打ちテストがやりやすくなる。学校への出席率が高いんだ、成績をつける工程がかなり楽になる」「反対です。この発見の応用ということは不適切な言い方かもしれませんが、馬の目の前に人参をぶら下げて走らせているのと全く同じです。道徳的ではありません」




 2人の熱は他の教職員にも伝播し、いろいろな意見交換が行われた。「そもそも、この発見が当てはまるのは我が校だけではないのか?」「進学校である我が校でこの結果だ、他の高校に当てはまらない気がしない」「多感な時期である、この仕打ちはトラウマになってしまうのではないか?」「数年間のデモ期間を設け、秘密裏に統計を取るのはどうだろう?来年度に我々が何らかのアクションを起こし、その翌年も登校人数が変わらなけば、これはいよいよ世紀の大発見と言えるのではないか?」




 議論は熾烈を極めた。その中心となるデスクに向かい、肩をすくめるような姿勢で無言を貫く女性の内心は、決して穏やかではなかった。(私が変な関心を持ってしまったばかりに……。まさかこんな事態になるとは思わなかったな……。)女性はこの進学校唯一の養護教諭であった。




 先日の2月14日、その日彼女は休み時間に保健室へ遊びにくる生徒の数が、極端に少ないことに気が付いた。そして、それがもちろんバレンタインデーというイベントによる効力であることもすぐに理解した。理解し、ふと疑問に思ってしまったのだ。各学年の欠席人数が異様に少ないことに。彼女はすぐに社用パソコンから遡れる年度分だけ、2月14日の生徒の出席を確認した。どの年度も驚くことに前日から続く入院や、忌引等の理由以外での欠席は皆無であった。




 「バレンタインデーみたいな記念日をもっと学校主体で増やして、その日に全科目抜き打ちテストすればいいんですよ。記念日も学期末の成績をつける日を逆算して設定すれば、最高じゃないですか!」「だから、それが道徳的じゃないと言ってるんです。彼らが大人になった時、青春の1ページとして思い出すのがそんな灰色の思い出になるなんてあまりにも可愛そうです」養護教諭の彼女は、椅子に静かに気配を殺し口論の様子を眺めていた。そして、隣でいがみ合う学年主任の2人と、双方の意見に対する賛同者に奇妙な共通点を見つけた。





 (2学年主任の意見に賛同する人は、なんか大人しそうな職員が多い……。でも逆に1学年主任の意見に賛同する人は、ハキハキしている職員が多いような……。あっ!)彼女は更に外見に対する共通点を見つけたが、深くは考えないように努めた。これ以上考えると、同僚の学生時代の青春が透けてくるような気がしたためである。
 



 


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