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最期を支える人々  −母余命2ヶ月の日々−

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#日記

2015.8.5 「頑張っているのに。」

2015.8.5 「頑張っているのに。」

 抗がん剤の可否が決まる通院を控え、私は焦っていた。あまり食が進まないので、「お母さん、もっと食べなきゃ」と言ってしまった。母は「頑張って食べているのに。」とつぶやいた。

 母の動作能力は、少しずつ落ちていた。ベッドから数歩先の食卓まで歩行器を使うようになった。トイレまで歩けず、ベッド横にあるポータブルトイレを使い始めた。そうめんが喉につかえて、吐き出してしまった。

 それでも母は精一杯踏ん張

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2015.8.7 「望みが絶たれた。」

 リクライニング型の車いすごと乗り込める患者送迎車で病院に向かった。暑い日で、小さな車の冷房がほとんど効かず、汗が流れおちた。

 血液検査などを済ませた後、看護師から問診を受けた。事前に病院のソーシャルワーカーが処置室のベッドを確保してくださったので、母は横になって待ち時間を過ごすことができた。

 外科医はベッドサイドに来るなり、母に「抗がん剤は始められません。」とはっきり告げた。通院がこれだ

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2015.8.12 「安心のために」

 母から「口から血がでてきた」と携帯メッセージが届いた。驚いた私は緊急通報のボタンを押すようにと電話をして実家に向かった。

 私の到着前に、ヘルパーが駆けつけ、ケアマネジャー経由で訪問看護師にも連絡が届いた。

 血を見ると不安が増幅する。母はうろたえていた。主治医に確認すると、大量の吐血は考えにくいが、じわじわとした出血は続くという。「24時間看護師が傍にいる」という環境が必要なタイミングが迫

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2015.8.14 「もう一度お願いします」

 2ヶ月前に初めての要介護認定を受けて要支援2だった母は、入院中に区分変更申請をしていた。その結果が届き、要介護2だった。目の前の母の状態とはかけ離れた認定結果だった。

 がん末期の患者に対する要介護認定調査には倫理的にも、評価の妥当性からも疑問を感じていた。回復しないことを漸く受け入れた人に「できますか」「していますか」と質問を投げ続ける。そこに意味があるのだろうか。今日できることが、明日はで

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2015.8.18 「体に力が入らない」

ベッドから食卓まで歩行器で移動していたが、3日前の朝、「体に力が入らない」と訴えた。機転の効くヘルパーがベッドから椅子に母を移し、椅子ごと食卓まで運んでくださった。

 2日前には、ポータブルトイレの蓋を開けられなくなり、開けっ放しにしてほしいと言った。

 薬を飲み込むのが負担になって、服用せずに残すことが増えてきた。寝返りがおっくうになり、同じ姿勢で寝ている時間が増えた。

 こうして、毎日

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2015.8.20 「家族に言えないことを」

 介護保険を利用していると、1ヶ月に1回、サービス提供をしている関係者と家族が集まって会議が開かれる。退院後2回目の会議を翌日に控え、助けて欲しいことをメモにまとめた。

 看護師には、医療面でのヘルパーや家族の支援、清潔の確保、介護手法の提案のほか、本人の精神的な支えとして以下の点をお願いした。

・ 症状に対する本人の理解を助ける

・ 誤った知識による無用な不安を取り除く

・ 家族に言えな

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2015.8.20 「押してみましょう」

 7月のサービス提供者との会議のときだったか、夜間対応型随時訪問のサービス責任者の方が緊急ボタンの使い方を説明してくださった。

 私が「遠慮なく押していいんだよ」と言っても渋い顔をする母に、「では、やってみますね。」と、見本を見せてくださった。一通りのやり取りをした後、母に「押してみましょう。」と促す。オペレーターが名乗らずとも「はいA子さん、どうされましたか。」と返答してくださったり、自分の細

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2015.8.21 「どの香りにしますか」

 退院した頃には、看護師さんの助けを借りて風呂場でシャワーを浴びていた母。しかし立ち上がることも難しくなり、ケアマネジャーの提案を受け、訪問入浴サービスを試すことにした。

 訪問入浴は3人のスタッフで行われる。ダイニングセットを脇によけて、お風呂を組み立てること。風呂場から水を引き込むこと。タオルや石鹸などを準備すること。母の体調を把握すること。着替えや寝具を整えること。何もかもを無駄な動きひと

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2015.8.22 「使ってくれないのよ」

 福祉機器メーカーに勤めた経験のある私が、母の介護生活に真っ先に取り入れたのが「マルチグローブ」という介助用手袋だった。介助するひとが手に装着して、体の下にあるパジャマのシワを伸ばしたり、体の位置をずらしたりするときに使う。滑らかな素材でできているので、差し込む手やシーツの摩擦が軽減し、本人も介護者も心地よいという優れものだ。

 母の介助に携わってくれた方々の誰一人マルチグローブを知らなかった。

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2015.8.23 「ワンタン並んでるよ!」

 半分に折ったそうめんも喉にひっかかるようになり、この頃、母はワンタンやおじやなどの飲み込みやすいものを主食にしていた。

 ところがいつも通うスーパーマーケットにお気に入りだったワンタンスープが並ばなくなった。困った私は、SNSで見つけたスーパーマーケットのバイヤーにメッセージを送ってみた。末期がんの母が気に入っていること、また扱ってほしいこと。ダメでもともと、だった。

 次の日、夫から興奮し

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2015.8.27 「何を食べたいって聞かないで」

 重い食器を持ち上げることができなくなった。自力で起き上がれなくなった。座位が不安定になり、背もたれが必要になった。痛み止めが増え、ウトウトとする時間が増えてきた。

 順番に来るヘルパーたちは、日々の変化を把握し、都度工夫して対応した様子をメモに残してくださった。その中にこんなメモがあった。

 −「何を食べたいか」と聞くのは負担になるとのことです。冷蔵庫にあるものをお伝えし、選べるように聞いて

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2015.8.28 「のどを通らない」

 1/4に砕いた薬も、のどを通らなくなっていた。体の痛みは増し、起きたり、トイレに移ったりするときにも痛みで顔をしかめた。

 母は「じっとしていれば痛まないから」と言うが、動くときに痛むなら薬を増やした方がよいと医師は判断した。この日から、体に貼る痛み止めと舌の下に入れて溶かす痛み止めとを使うことになった。同時に、看護師には毎日訪問して様子を見てもらうことになった。

 体に貼る痛み止めは、朝、

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2015.8.30 「おかわり」

2015.8.30 「おかわり」

 薬を飲み込むのも難しくなった母の食事を何にするか悩む毎日だった。この頃は蒸しパンやお茶漬け、スープなどを食べていた。だんだんと足をおろして座るのも辛くなってきて、寝たまま食べたいと言う。しかし、定番メニューの汁物は寝たままでは自力で食べられない。といって、人に食べさせられるのも嫌そうだった。

 ふと、娘に作った離乳食を思い出して、海苔巻きを作ることにした。ひじき、人参、油揚げを甘辛く煮たものを

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2015.8.30 「そろそろですか」

2015.8.30 「そろそろですか」

 私 「また明日ね」

 母 「明日会えるかなぁ」

 私 「大丈夫、また会えるよ。おやすみ」

大丈夫の確信がないまま、交わしていた言葉。

 「2ヶ月」が近づいていた。母がうとうととする時間も増えている。看護師を見送りながら「そろそろですかねぇ」と聞いた。彼女は「そうですねぇ」とうなずき、一呼吸置いて言った。

 「娘さん、私たちの経験では、お一人で息をひきとる方は、ご自身がそれを選んでいるっ

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