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vol.17 チェーホフ「桜の園」を読んで(神西清訳)

一回読んだだけではなんのことがさっぱりわからなかった。

内容は、先祖代々の美しい領地が抵当にはいって、近く競売になろうというのに、昔の甘い生活の夢を捨てきれないでいる地主家族の物語。これじゃぁありふれている。おもしろくない。感想文なんかとても書けない。

戯曲は登場人物をしっかり把握しておかないと分からなくなってしまう。誰がどのタイミングでなにを言ったか、どう動いたか。一人一人書き出した。また、この戯曲をより楽しむ上で、当時のロシアのこと知る必要があると感じた。そして横に解説ページを開きながらもう一度読んだ。

初演の1904年のロシアは、翌年にあの「血の日曜日事件」が起こっている。労働者の平和的なデモ行進に対して軍隊が発砲し、多数の死傷者を出した事件。これをきっかけに全国で反政府運動が起こり、ロシア革命につながっている。帝政を打倒して、やがて社会主義政権を樹立することになる。一方、イギリスから始まった産業革命によって、ロシア国内でも貴族の衰退と農民からのブルジョアジーの台頭が顕著になっている。また、この1905年は日露戦争が起きている。(ウィキペディアなどなどを参照)

そんな時代背景を知ってからこの戯曲をもう一度読むと、帝政ロシアの没落寸前を背景に、過去との決別がなかなかできない生まれつきの地主貴族と、地主家族の恩恵を受けながらも、未来へ希望を持って出発する若い世代を喜劇として描いた作品だと、一歩進んだ理解ができた。

一方、戯曲の中では、商人「ロパーヒン」の父は農奴として、この屋敷「桜の園」でこき使われていた。しかし、貴族の「桜の園」は競売にかけられ、農奴の息子で商人の「ロハーヒン」が競り落とす。

また、皇帝専制の中で何不自由なくぬくぬくと過ごしていた貴族の桜の木が、切られていくシーンがある。「遠くで、桜の木に斧を打ち込む音が聞こえる」と。

この桜の木は貴族の比喩だと思った。貴族たち(桜の木)が、階層社会の崩壊の中で倒れていく。この桜の園が美しくあるのは、農奴たちの不当な労働力が犠牲になっているからこそだ。チェーホフはそれを書いたのだと思った。実際チェーホフの祖父は農奴で、父は雑貨屋を営んでいたが、破産し、夜逃げしている。貴族たちの生活は誰が支えていたか、チェーホフ自身、下層階級のひどい実情がしっかりと身にしみているに違いない。

ひょっとしたら、桜の木の下に農奴たちの屍が埋められているかもしれない。本来は恐ろしい背景をチェーホフは独特のユーモアセンスで書いているところに、この作品の高い評価があると思った。

ちょっとこの戯曲から離れてしまうが、僕は満開の桜が昔からどうも好きになれない。誇らしげな満開の姿は「どうだ、美しいでしょ」と言わんばかりの自己主張の強さを感じ、鼻につく。パッと散る潔さを美化する引用にゾッとする。

「文学 桜の木の下」で検索すると、梶井基次郎が「桜の木の下には屍が埋まっている」という都市伝説のような冒頭文で始まる小説「櫻の樹の下には」があった。また、坂口安吾のエッセイ「桜の花ざかり」では、東京大空襲の死者たちを上野の山に集めて焼いたとき、折しも桜が満開で、人けのない森を風だけが吹き抜け、「逃げだしたくなるような静寂がはりつめて」と記している。

きっと、チューホフの「桜の園」が満開になったとき、そこで働かされていた農奴たちの屍が横たわっていたに違いない。

どれもこれも、桜の美しさには重大な秘密がある気がしてきた。110年前の戯曲、この「桜の園」も。

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