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主体的な学びを促す。個々の生徒に合わせた柔軟な指導法

割引あり

パーソナリティの葛原祥太です。このチャンネルでは全国の子供たちが自ら考え、自ら学び、自ら生きられるようになるために考えられた教育論についてお話をしていきます。今日は12月26日に校内研修でお世話になった学校で、研修の後に先生方といろいろとお話をさせていただいて、その中で出た質問について僕がどのように答えたかということをご紹介したいと思っています。これも全部収録した後なのですけれども、非常に長くなってしまいましたのでのんびりと聞いていただければ幸いです。


研修での出会いと準備

では、お話していきましょう。先日、校内研修がありまして、他の学校に呼んでいただいたんです。ありがたいことに講習で呼んでいただいて、たまたまですけれども、大学院時代の友人がそこで勤務していて、というご縁と、研究主任の方はその友人とは別の方なのですが、その方はその方で数年前に別の学校に勤務している時に一度私を講師として招いていただいていて、その時の研修がとても良かったからということで、その方が今転任して違う学校にお勤めになられていますが、この学校でも是非一度研修をということで呼んでいただいたということだったんです。なので、何かご縁を感じるというか、そしてまたその学校自体が私が通っていた大学院と近い距離にあるということで、昔からご縁のある方々に呼んでいただいて講習させていただいたということで、非常に嬉しいというか安心できるというか、そういう場でした。

大規模な学校で先生たちの人数も多かったのですけれども、非常に空気がいいというか、先生たちの表情やら、風通しの良さ、対話的にグループ活動に時間を振った時の空気とかが本当に軽やかで、いい学校だなと思いながら関わらせていただいておりました。ツイートやポストもしましたけれども、結局「主体性って何?」みたいな話をもう1時間ずっと皆さんで考え続けたということでした。

そうそう、それで言うと研究主任の方に、ちょっと学校に着いてから1つお願いがあるんですけどということで、直前で申し訳ないのですが、裁断機ってありますか、みたいな。裁断機でカードを、紙をカード型に切って欲しいんです、と言って。裏紙でも何でもいいので、数はかなり欲しくて、5、600枚ぐらいのカードの束みたいなものをちょっと作っていただきたいんですけど、みたいな話をしたら、いいですよ、と言って。空いているものがあるので作らせますね、みたいなことを言ってくださり、ありがとうございます、みたいな。で今日、帰ってこられて、もう頼んでおきました、と言って。すいません直前に、とか言ったら、頼んだ彼が、そういうオファーをした瞬間、あ、それNカードですか?と言ったっていう。びっくりしましたね。もうこの僕のオファーだけで、葛原が来て紙をカード型に切り抜くというオファーをしてきた、あ、これNカードだな、ってここまでピンと来られる方が校内におられるっていう。非常にびっくりしたし嬉しかったですね。

Nカードって、Qnksという私の思考を操作するとか促進するためのキーワードや合言葉として、そして実践構造として作り上げているものなんです。Nは抜き出しなんです。Qはあんまり関係ないですけど。抜き出しです。アイデアを抜き出すためにはカード型にして、アイデア1枚のカードとして書いて、書き出して、カードにして抜き出していくっていうことをすると、対話的に考える時に非常にその対話を促進するんです。アイデアが操作可能になるっていうのが非常に強いわけなんです。なので、そういう構造、そういうことを引き起こしたくって今回も使ったんですけれども、人のご縁ということで言うと、大学の友人、昔呼んでくださった研究主任の方、そしてカード型に切り抜いてって言った瞬間、Nカードとピンとくるだけの私の発信を受け取ってくださっている先生みたいな。結局研修終わりには校長室にたくさん集まっていただいて、そこから追加の質問をたくさん受けまして、結局予定よりも1時間ちょいぐらい長くその学校に留まらせていただいて、たくさん実際の話ができて非常に嬉しかったなと思っているわけです。

この放送ではどうしようかな。具体的な内容はツイートやポストしましたし、ちょっとそれで喋り始めるとえ1時間かかっちゃうので、その事後ですね、それを受けてどんな質問が出て、それに対してどう答えていったか、どう考えているかみたいなことをこの放送ではご紹介しようかなという風に思っております。

勉強が苦手な子への対応策

まず1つ目ですね、ありがちな質問ですけれども、勉強が苦手な子どうするの?みたいな話です。でもうちょい具体的に言うと、5年生を担任しているのだが、子供がかけ算すらままならない子がいて、なかなか分数の勉強とかになっても、もうそこに至る前提の知識がないから、もうずっともう無駄な時間を過ごすみたいな日々を過ごさせてしまっていて、すごく申し訳ないと思うんだが、打つ手がないっていう状況に今なっていて、どうしたらいいですかね、みたいな話でした。

僕の超シンプルな答えを言うと、「九九ができないなら九九やりゃいいじゃん」です。でもうそれはなんて言うか、もうちょっと詳しく答えていくと、教室がどういう場かっていう話です。教室は分数、5年生の学習をする場なのだったら、5年生の学習までたどり着いていない人はもう何もできなくなるわけです。この場所は5年生の勉強する場所ですって捉えてしまうと、無理なわけなんです。その子は勉強できないんだ。5年生まで到達してないんだから、5年生が勉強する部屋に入れられてもすることもないじゃないですか。でもその教室を現在地から一歩進む、つまり学ぶっていうことを君たちは日々するんだよね、という捉えになると、かけ算が苦手ならかけ算をするしかないんです。そこまで分かるところまで戻るっていうのが勉強の基本ですし、それがかけ算が分からないのであれば、その1時間、苦手なかけ算とか持ってきて、いっぱいいっぱい読んで覚えて、その1時間で7の段がちょっとすらすら言えるようになったとか、それがその子の現在力からの一歩じゃないですか。めちゃくちゃすごいわけです。それって学校に来た価値があるし、だってそんなん家でしないでしょ。帰って勉強苦手、かけ算苦手だからちょっとやろっかみたいな、そんな意欲なんて、そんな意欲が出る子なんてね、っていうことなんです。

学校でみんながもう分数やっていて、先生もいて、みんなで勉強してるから、勉強しなきゃいけない空気がもう存分に溢れてるからこそ、やんなきゃ、やろうって思いやすいわけですよね。学校という場はその場だからこそ、じゃあ自分の苦手なかけ算だからやろうって言ってやれたら、めちゃくちゃ学校来た意味あるじゃないですか。もう最高の1日なんです。っていう捉えでどうですか、と言ったら、あ、そうなると5年生の算数分数できないですよね。うん、でもしょうがないだって。しょうがないじゃん、だってかけ算できないんだもん。かけ算できないならかけ算できるようになってからしか分数できないんでしょって話だから、しょうがなくないみたい。そんなの現状としてそうなってるんだから。分数の、5年生の分数はその単元内に間に合いませんでした。それはそうでしょ。2年生からのかけ算から入ってないんだから、そっから2、3、4、5まで追いつくっていう学習をその単元時間内にするって、そんなの無理に決まってますよね、って話。しょうがないって話ですね。

だからうん、点数としてはとか分数の評価としてはもう全然だめです。それはそれもしょうがない。そこはもうドライに、構造上そうなるんだから、その子にも伝える。そういうことじゃないよね。成績表は5年生の勉強ができていますか、っていう成績をもらうので、その子はてなると5年生の勉強はできてないよね、っていう成績が返ってくる。これもしょうがないです。できてないんだから。でも、あなたはじゃあ日々前進してませんでしたか、と言うと、めちゃくちゃ前進しましたよね、って話です。じゃあ君は学校に来た意味はものすごくあるし、1日1日賢くなれたっていうその実績は誰にも否定することができない。先生はものすごくそこを見ているし知っているし、それは成績にも書くし、なんかね、見える、学習力、いろんな見え方する手段があるなら、そういうことで、こんだけの学びを積み重ねてきたんだっていうことに気づいて欲しいし、そこに価値を見出してほしいし、それこそが自分で学ぶとか、勉強するっていうことの大切なことなんだよっていうことを、その子には伝えてあげたいかな、ということを喋ってました。

これ言うとね、また戦われそうな、そんな難しいリスナーの方いないいないので、いいんですけど、通知表のA、A、CとかC、C、A問題みたいな、あるじゃないですか。技能と知識・思考判断C、だけど主体的に学ぶ力がAはありえない、みたいな。これはダメだみたいな論調ってあるじゃないですか。ちょっとね、でも今のようなことを描くと、C、C、Aあり得るんじゃないですか、という。5年生だそれって。あそこを知識技能って、あれ5年生のっていう枕言葉ついてるじゃないですか。なんです。2つってね。でも主体的に学びに向かう態度って5年生のっていう枕言葉がちょっと薄れますよね。そこまで発達段階にあった内容構成をそこ整理しとできてませんし。5年生の知識、学びに向かう態度ですか、という質問にはなってない。C、Cです。学びとしてさきほど描いたように、自分の苦手に向き合って一歩1歩進むっていうことは、別に何年生としてということを考えなくとも主体的に学びに向かってるじゃないですか、っていう話でしょう。じゃあ5年生の知識技能思考判断表現は頑張ろうがCつくかもしれないが、主体的には学んでるよね、Aだよね。

ここをこの構造から、困難とかがあるなら保護者の方にもこれを伝えてあげたい。こうやって1つずつこの子は毎日進んできましたっていうことを伝えてあげたいし、確実にこの子が学校に来る意味があるし、この学びの連続の中で1つずつ追いついていけばいい、というスイッチが入るような学びは積み上げられています、みたいな話をしてあげたいところですね、みたいなことを言ったかな。

上位層の生徒への対応と心マトリクス

次は上位層ですね。よくできる子に関するご質問ですが出ていました。具体的な姿で言うと、とってもよくできているのだが、課題が終わった後なんかもう友達にちょっかい掛けに行っちゃう、みたいな話ですね。授業の中でなかなか抑えられずに、指導してもやめましょうね、もうなかなか入らず、みたいなことで困ってます、みたいな話がありまして。

それに対して言ったのは、まず現在位置の把握ですね。自分が今どのような状態なのかっていうことを客観的にというか、メタ認知できていますか、その子が、っていうこと。そこを促してあげるっていうのがすごく大切なのかなと思います、みたいな話をしました。で、心マトリクスを出してきて、うちの学級ではこんな図を使ってます、と。友達に関わるっていうのは太陽軸、横軸の太陽軸ですね。ではあるんだけれども、太陽と左側北風ゾーンとなり。北風ゾーンっていうのは、疑う、自己中、自分のことしか考えてないってゾーンですよね。

あなたが今授業中に関わっているのは相手のことを信じてはいるよね、というのは、だって疑っちゃったら、どうせプラスのポジティブな反応はしてくれないだろうって思ったら多分声かけないだろうけれども、そういうことはないので、あなた友達のこと信じて、きっとポジティブに反応してくれるだろうと思ってその行動を起こしているわけだが、果たしてそれは相手のことを思い合った行動なのかな、という話ですね。

その子は今現在あなたとの関わりを求めていますか、という話ですね。求めていないのならば、それはあなただけのことしか考えていない、自己中ですね。自分中心の行動になってはいませんか。自分だけ、自分たちだけみたいな、自分のやりたさで他者の学習を邪魔してしまう、みたいな行動になっている可能性があるけれども、どう?っていう話をして、マトリクスを貼っといて。

その瞬間飲み込めるか分からないけれども、そのマトリクスっていうものが、心マトリクスで全員もね、振り返りますし、ということを知った時に、いつかねどっかのタイミングでなんかギアが噛み合った時に、俺今日北風だったかもしれない、ってその子がもし思えたならば、そっからかな、っていう話をしました。まずは自分でそのマトリクスの中に点を打てること。そこには人も相手も自分も相手も嫌な顔って書いてありますから、なんかそういうシーンとかがね、多分出るんです。どっかで「もう集中してるからちょっと」とか言われて「なんだよ」ってなった、その瞬間、心マトリクスがちょっとでも意識にあるならば、あれ俺も友達も今嫌な顔になってない?で振り返った時に、そこには自分だけ自分さえよければ、て書いてあるわけです。自己中って書いてあるわけです。

あれ、僕は太陽で活動しようとしたけれども、実は思いやる心よりも自分が喋りたいという気持ちで動いてしまっていたのではないか、っていう内省が、もし始まればね、それが成長のきっかけというか1歩目なんですね。そこを待つっていうことです。

環境整備と成長の待ち方

ただ、こういうね画像も気づきを促すような構造の中には入れてあげないと、芽は出しにくいわけです。なんかその辺に、植物の種で言っても、芽を出しやすい環境を整えてあげるじゃないですか。ポットを入れて、なんかいい土を入れてあげて、必要最低限の水をあげて、みたいなことするじゃないですか。ということはしてあげたいわけです。

それは何かっていうと、心マトリクスで学級全体が道場ですから、学級全体がそれで自分を見続けるっていうことはしたいわけです。その子だけがその別なツールを使って自分を見なさい、ってみんなは使ってないけど自分だけ使わされてる、みたいな状況だとやっぱり飲み込みにくいわけでしょ。全員これをやっているっていう状況が、やっぱりその子にとってもすごく大切で、その中でみんながそれを使って自己分析をし、自分で自分を見るっていう道具の1つとして有効に使っている感じがあるな、っていうことをその子がキャッチすれば、そういうふうな雰囲気が出始めれば、じゃあ俺もこれを使って自分を見ようかな、っていう気持ちになりますね、という環境作りです。

マトリクスを貼る、全員でそれを見て自己分析をしようとする、という土壌を豊かに豊かに整えて、その中にその子がちゃんとすっぽりと収まるというか、植えられるというか、みたいなことは多分指導者としてはしなきゃいけない。けれども、芽を出すかどうか、いつ出すかどうかっていうのはもう本人次第なので、植物育てても全然芽が出ない種っていうのもあるわけじゃないですか。でも忘れた頃にポンと芽出してくるっていう芽もあって、その早い遅いは長期的な店で見ると別にそこまで大差ないわけです。みんな芽出しちゃいいわけですから。上ですぐ出た芽と1週間かかった芽と、別にいいじゃない、いいでしょ。別にそんな違いって。そんな感じで一歩進めればそれでいいの。

でそれをただただ待つしかないわけです。芽が出ない種に向かってこちらがすることってあまりないわけです。その環境を整えさえすれば芽が芽を出すことが可能である環境は常に維持し続けなければならない。私たちはそれをする責任というか、可能性です。可能ではあるんだけど、そういうことをする努力は可能ではあるんだけれども、直接芽に手を、種に芽を、種に手を触れて、なんかその中から芽を引っ張り出す、みたいなことを私たちはできないわけです。

これは学びも同じで、実際に芽生えるっていうのはもうその子のそのタイミングでしかないわけですね。それを待てるだけの状況を整えるっていうことが大切なんじゃないかな、っていう話をしまして。

そのお話の流れでというか、別の方がね、別のクラスにはこうやって寝ちゃって、なんかベタベタってなっちゃう子がいて、それその子が、なんか振り返りにある日ね、次はベタってならないようになんかこういうことをしようと思って書いて、実際に次の日はねそれを実行して豊かに過ごせる、みたいな姿がありましたよ、みたいなことを教えてくださって。

もう本当にもう、僕はそれを聞いても本当にその通りだな、それこそが学びであり、それこそが主体的に学びに向かう態度、そして力をつけるためのもう王道中の王道である姿だよね、っていう話をしました。もうそういうことが出たら本当にもう全員クラス止めて紹介するレベルで素晴らしいことだし、全員が目指すべき姿であるんです。

新しい評価軸:自己コントロールと変容

で、こういう評価軸ですよ。今までの学校では勉強できるかどうか、みたいな、真面目かどうか、みたいなことばかりが図られていたが、今のように自分で自分のことをコントロールしようとしたり見つめようとしたりすることにこそ価値がある、っていう評価軸を持ってくると、また別の子にフィーチャーされたりするわけですよね。授業寝ちゃった子が次の日、次の授業では傾向と対策を打って、何か変容しようとしている姿ですよね。これに価値を置いていくわけです。

すると、上位層がだんだん焦るわけです。何でもかんでも余裕でよくできる俺たちは、努力もせずにただ先生の言うことを真面目に聞いていれば学校生活安全に過ごせる、って右から左へやらされる命令を受け流していた子たちが、やおや、なんかゲームが変わったぞ、っていうことになるわけです。ここではそういう姿はあまり求められていないというか、それならばそれでそこから一歩進みましょう、っていうのがこのクラスの中心的なメッセージなわけです。

先ほどの質問とつなげると、かけ算が苦手ならかけ算やりゃいいわけです。かけ算で勉強できたなら本当に素晴らしい1時間だったね、ってその子には言ってあげられる。その時に上位層で、何でもかんでも余裕でできちゃってる子ができる問題だけをやって、できる、できる、100点、100点って喜んでいる、その瞬間、あなたは学校に来る意味あったの今日?っていうことを問うたわけです。そうなるとだんだんだんだん価値基準というか、振る舞い方というか、意識の比重というか、そういうものが変わっていって、学びに向かう姿、そして自己を見つめ、次のステップを自分で踏み出す、みたいな地に足のついた学習者になっていくような関わりとして、こういうこと大切なんじゃないかな、って話をしました。

そういうことを延長していくと、もうまとめに入りますけれども、年度は伏せますがクラスを4月に持つと、まあまあ、それはそれは大変な子っていうのがいるわけです。特に、というか、まあ僕としてはもう経験年数が上がってきていますので、もう毎年なんか前年度の一番大変だった子たちみたいなのは引き受けようとはしているので、特にですね。本当に大変な子というのは、もう4月ね、1年間うまくいかずに本当に学校にも不信感があるし先生にも不信感があるし友達にも信頼関係築けてないし、自分の不適切な行動がもう暴走状態に入っているし、みたいな。

そういう自分を他者からも確定させられてしまって、あの子はああいうやつ、みたいな感じで確定させられてしまってるが故に、その周りから押し付けられるペルソナから出られずに、もうずっともがき苦しんでいる、みたいな、まあそんな構造にある子っていうのは毎年現れるわけです。うち自分のクラスにいると。そういう子たちにもう本当にその子の魂の向きというか、を考えて、あなたがあなたの人生を輝かせることが、この教室でみんなにやって欲しいことなんだから、例えばね算数がよくできて、算数さっきの例で言うところの算数がよくできて、めちゃくちゃもう算数に関してはもう申し分ない知識技能と思考判断表現の力を持っている。でもだからこそ授業中にやることがなくって、その結果として友達の邪魔するとか、暴れるとか、大声出すとか、不適切な行動をしてしまう、みたいなケースが発生するのであれば、損だよね、って。

そこで、散らし方と、じゃあどうするの?ですよね。じゃあどうすりゃいいの、の選択肢がその子に与えないと、やっぱりどうすることもできないわけです。北風ゾーンだった、友達を真心で思いやるべきだった、みたいなことまではさっきのチャプターの構造で解決できるんだけれども、じゃ思いやった結果、あ今声かけるべきじゃないな、っていう判断をした時に、じゃあ俺どうしよう、なんです。そのじゃあ俺どうしようの選択肢の幅が狭ければ狭いほど、その子は算数の時間を無駄な時間としてそれを捉えてしまうわけです。退屈の時間として。それなかなかかわいそうじゃないですか。

個別対応の重要性と選択肢の提供

その子だってその子の人生があるのに、ただ算数が賢いがために学校に来たその算数の時間の45分がその子にとって無駄になってしまうっていうのは、人生レベルで損失をその子に与えてしまっているわけです。だってこちらが学校に来いって言って、この席に座れ、て今から算数だって言ってるにも関わらず、にも関わらずその子にとって求められるレベルはもう完璧だったっていう、ただのその結果がゆえにその子はその時間何もすることがなく、能力を高めることもなく、トライアンドエラーのサイクルを回すこともなく、ただただ時間が過ぎるだけの45分になってしまっている。こちらが来いと言って、こちらが算数をやれと言っているにも関わらずです。これおかしいじゃないですか。どう考えてもここをちゃんとチューニングしてあげたいわけです。

で、例えばその子が絵が好きなら、もう算数完璧なら絵描きゃいいじゃんなんです。3年生でこの1年で人生最高の絵画を作る、みたいなことを算数の時間にやってもいいわけです。あなたの人生、あなたが輝かせることがこの時間でできたらとても素晴らしいのだから。そういうことをみんなやろうとしていて、その中でトライアンドエラーのサイクルを回して、作っては壊し、どうすればいいんだろうと考えて現在力から一歩進もうとするっていうのがこの時間でみんなにやってほしいことなんだから、あなたは算数の勉強が完璧ならば、違うフィールドでそのトライアンドエラーのサイクルを回せばいい、っていう話です。

それが絵っていうならば、どうぞ絵の具を取ってきて書いてください、っていう話なんです。実際に格好いいですとか、習字したいからって言って算数の時間に習字セット出して習字する子もいます。ちょっとね、ここで例を上げるともう本当にいろんなバランスの中でやってるのでなかなか分かりにくいかもしれませんが、例えばタブレットでゲームするんです。タブレットでゲームするっていう選択を、その子の生活リズムそして人生レベルの構造と、今までの背景の中で、それが今最も合理的だって判断できるならば、どうぞタブレットでゲームをしてください、なんです。

それについては、こちらもすっごくその子を見るし、その子の生活背景との今までの学校での経験とっていうものを本当にもう細かに診断して、何をやるかっていうことを考えて。勉強が余裕なんだったらこれやればいいじゃん、それは先生はとっても素敵なことだと思うよって、ちゃんと本当に心から言ってあげるっていう。なんか暇だ、やることないんだ、絵でも書いとけ、みたいな関わりじゃないんです。それじゃあ子供たちはその子は納得できないじゃないですか。なんか仲間外れにされてるだけです。それって一緒に算数できないんだったら1人で黙ってでも描いとけっていう提案ではないんです。

もう徹底的に前向きに、徹底的に合理的に、普通にちゃんと筋道立てて考えた結果、君今から絵描くのが1番じゃない、っていう提案です。ここの差はめちゃくちゃ大きいと思っていて、もう黙ってゲームしとけじゃないんです。全部考えて全部のバランスを見た時に、今あなたに1番必要なのはゲームじゃないの、っていうことが判断できるだけの診断的な目線っていうのは、もうずっとそれはそれはそれは持っとかなきゃならないんだけれども、その上でこういうこと言うわけです。

そんな子供が1人で判断できるわけないので、こちらもよく見て、その子の能力のバランスとか、気持ちのバランスとか、やりたいこと、得意なこと、苦手なこと、好きなこと、嫌いなこと、みたいなことよく見ていて、いやいやちょっと待って、算数やらなくてよくない?みたいな。この時間じゃこれやればあなたの人生において一番プラスじゃないの?っていうことを、もうゼロベースでというか、100ベースでというか、もう学校で取り得る全ての手段を参照した上で、これでいいじゃん、ていう。何でもやっていい、これをやればいい、算数なんて別にやらなくていい、だってできてるじゃん、ていうことを言ってあげたいし、そういう関わりをしていくと、例えばね、さっきの絵で絵を書く、みたいなことですよね、はどうなるかっていうと、本当にここが人間素敵だなと思うわけですけれども、周りの子は算数をやってるわけです。だって算数がまだできてないんだから。

その子は絵を書いているんです。だってその瞬間も算数はできているし、その子の助けが必要な子はまだ発生していないわけですから。みんながみんな自分のやりたいこととやるべきことのバランスを考えて、1人1人が魂を輝かせているその瞬間なわけです。でも時間割は算数で、みんなは算数やってる、俺は絵を書いているっていう状況は変わらないわけですよね。

全員に適用される柔軟な学習方法

そこで何が起こるか。そこに入る前に、全体に対してもあいつだけ特別扱いではないよっていうことは、もうずっと言うわけです。1人1人が魂を輝かせるために学校に来ていて、かつやるべきことっていうのは学校にはあって、それは算数のこういう単元でこういうことが全部できるようになりましょう、はもう法律レベルで決まっている。だからみんな算数の時間だよって言われて。言われないと、だって算数なんて家で休日あなた算数やりますか、って話。やらないでしょ。だから皆さんはここに来させられてやらされているんです、って。それをやろう、みんなでやろうっていう1時間が、この1時間なわけだが、逆に言うとそれさえできていれば、この時間は算数でやらなくてもいい、っていうのはもう至極の理屈で。

それは全員に適用される。だからこの単元でもう余裕であるとか、単元配当時間の半分で自分は完璧になったっていうなら、その半分の使い方はあなた次第なわけです。あなたの人生は、その算数の残りの時間をただダラダラ過ごすっていうような無駄な使い方をして欲しくないのは、もうあなたも全く一緒、っていう構造なので、その子だけの特別扱いでは全くなく、全員に同じルールが適用されているんだよ、っていうことをずっと強調するわけです。

ここでもまた上位層がドキッとするわけですね。じゃあなんかできることにあを書いてやってる振りをして、脳みそに汗をかかずにさらさらと流してしまっている、そのうわべの優等性、あなたの過ごし方はこのクラスで求められるものではない、という話にまた繋がっていくわけです。

そうやっていくと、どうなるかの話ですね。みんなは算数をやっている、俺は絵を書いている、その状況がもう数時間続くだけで、その子は何をするかっていうと、俺のこの絵を算数の勉強に近づけよう、っていう動きが出てくるわけなんです。この単元のポイントとかを絵の具を使って、絵を使って表現していく。そしてこの単元のポイントとかを書く、みたいな絵を書き始めるわけなんです。それは最初は本当にもう別に役に立たないみたいな絵なんです。その子も書いた瞬間捨てちゃったりもするわけです。

でも、めちゃくちゃ素敵じゃないですか。これ、この心の動きってすっごい素敵だと思うんです。そういうことを子供たちみんなにも語るわけです。こうやってなんか自分のやってることとみんなの必要性とか、みんなが頑張っていることっていうのをなんかこう響き合わせて、自分の好きなことをこう伸ばしていくというか、開化させていくというか、なんか共鳴させていく、みたいな話です。こういう魂の動きって人間するんだよね、っていう。めっちゃくちゃ素敵だよね。こんな豊かな教室、本当に先生は最高だと思う、っていう話をするわけです。

そしたらその子からしたらもう今までとはもう180°世界が変わるわけです。今まではもうちゃんとやらなかっただけで怒られて、黙って座っとけ、本でも読んとけ、みたいな関わりをされることが多いわけじゃないですか。でも全然逆で、そういうクラスでは自分は邪魔者で、のけ者で、できるだけ存在感を消すことがもう求められている、みたいなメッセージはもうすぐに受け取っちゃうでしょう。そんなもので、3年生4年生で上がっていくと反抗的にもなるでしょう。それは自分の人権を回復させようとして、守ろうとして攻撃的にもなるだろうし、っていうことなんですけれども、その世界と本当に真逆というか。

自分のやることなすことがなんかみんなのためになったりとか、もしくはすごく素敵な姿としてみんなに受け入れられたりとか、みたいなことすると、友達からの信頼っていうのは本当にすぐに回復しますし、もう本当にね、これがね、また子供のすごく素敵なところだなと思うわけですね。

一旦固定化されたキャラってなかなか変えるの難しいでしょ。大きくなればなるほど。でもね、本当にちっちゃく、逆に言うとちっちゃくなればなるほど、そのキャラ、固定化されたキャラっていうのはすぐに更新してくれるんです、子供たちは。もう「ああすごいね、すごいね」って言って認識をね、更新してくれるので、本当にその辺はね、尊いなと思いながら見るわけですけれども。

そうやってその子の選択がどこまで最大化されるかっていう話ですね。算数余裕なら苦手な国語をやればいいわけですし、勉強全般が余裕ならば芸術系、図工とか音楽とかやればいいわけなんです。何をしたいかっていうと、現在力からの1歩を、トライアンドエラーのサイクルを回しながら1つずつ進んでいくっていうことが全員できたかどうかっていう評価軸でずっと見るわけですよね。

それさえできていれば、どのような...それさえできていれば、かつ最低ラインは確実に明示されているので、やるべきことはクリアできるかっていう視点はえ常に持つわけですね。ここは外さないわけです。いかなる手段も柔軟に引き受けるわけだが、その過ごし方というのは常に目的目標に刺さっている手段であるかどうかっていうことは常に見るわけです。

目的と目標を見失わない自由な学び

だからどんな選択も、あなたの今の教室が共有している、そして小学生として持っている目標と目的に繋がる手段として、それ今実行されてますか?どのようにつながるとあなたは考えてますか?ということは外さないわけですね。ここが丸投げの自由との違いです。目的と目標が確実にあるわけです。

目標は教科書の学習内容を確実に学習すること。もうこれがもう客観的に、なんていうか、シンプルにやるべきことなんですね。これやんなきゃいけないんです。もうここは外さない、絶対外さない。もうこれをやる、やるために君たちは学校に来させられているんだよ、っていうことは言うし。それこそ、それを求めるための、求めることが私たちには求められている。教師っていうのはいつどこまで言っても、やらせる存在で、求める存在ですからね。

そのために人権違反行為、他者に命令して、他者の行動を制限するっていう、まあ権限を私たちは免じて許されてるわけなので。それで学習指導要領に示された内容、姿、状況を生み出しましょう。生み出せますか?て言われて、はい生み出せます、て言って私たちは採用されてるはずなんです。だそこは外しちゃいけないんです。

目的は大きいと人格の完成ですし、その人格の完成につながるようなステップとして私は現在力の一歩、トライアンドエラーのサイクルみたいなことを徹底的に子供たちには言うわけですし。その中で友達との繋がりとか、温かい交流とかももちろんね、いろんなものが含まれていて、そういうことさえできればいいんだよ、っていう行動評価軸。これは心マトリクスで行くと月軸と太陽軸ですね。人に優しくなれてますか?人と暖かく繋がれてますか?っていうことと。

さっきの文脈で言うと、そういう必要性が今の今この瞬間発生していないならば、月軸にその努力の、あなたのエネルギーを向けてみましょうね、なんです。それが別教科、いろんな習字、芸術みたいなことに向かって努力する、トライアンドエラーのサイクルっていうのを当然あり、それは月軸の学び、月軸の努力として、ものすごく素晴らしいことだが、やりましょう、なんです。

まとめ:主体的学びの本質

でもう当然太陽の学びがそこで噛み合うならば太陽の努力をすればいいわけです。友達を信じて思い合って、深く繋がって認め合って、っていうことも全然否定されることではないので。心マトリクスで示されてるのはその2つですね。その2つを確実にこの1年間で豊かに育てていきましょうね、っていう話であって。

あなたたちが取りうる、受け取っているその自由というのの使い道は、その2つの目的目標、そして目的目標、そして教科書の学びっていうものを確実に実行するために使ってね。だから自由なんだ、っていうことですね。

そんなことを喋ってました。なんか長くなりすぎるから簡潔とか言いながら多分めっちゃ喋ってますよね今。あら大変だ。そろそろ終わりましょう。

そんな話をしましたということです。なんかこうやってやっぱり具体的な質問を受けるといろんな話しちゃいますね。なんかどっかで放送も相談というか質問受け付けて、それについて喋るみたいなことをしたいなと思いながら、今のところそういうコストを払えそうにないな、っていうコストのバランスを考えながら思ってるところです。

はい、ということでした。ごめんなさいね、1個ちょっとずっとこれも言わなきゃなと思いながら思っていることだけ言います。自由を受け取って、あなたなりに進めばいいんだよ、ってなった時に、でもやっぱりじゃあどうするの、は必要なわけです。だからけテぶれ、QNKSですっていう話でした。

はい、では明日の放送でもお会いしましょう。バイバイ。


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