軍事政権による市民への暴力や弾圧、銃殺
ミャンマーを知る⑰【1,666字】
ミャンマーにおいて、軍事政権による市民への暴力や弾圧、銃殺が「当然のこと」ように行われているのは、複雑な歴史的、政治的、社会的紛争が絡み合っているからです。
ミャンマーの悲劇の連続です。
謀略や弾圧、銃殺がなぜ可能になっているのかについては、以下のような理由が考えられます。
1.軍の独自の歴史と認識
ミャンマーの軍事政権(タットマドー)は、長い歴史を持ち、国家の独立を維持する守護者としての役割を自認しています。
特に第二次世界大戦後の独立重視で、軍は重要な役割を担っていますおり、その後の内戦でも国家を統一し守る存在として自らを位置づけました。
軍の認識は、「国家を守るために必要なことは何でもする」という考え方が根底にあります。人権擁護派の投獄のような弾圧も正当化する論理となっている。
2.エリート主義と権力への執着
ミャンマー軍は国家エリート層として、自らを特権的な存在と見なしており、その特権を維持するために国民の意思を無視して政府を握り続けています。
民主化の過程で、軍が政治の一部の権力を民間に移譲したもの、経済的・軍事的な支配は譲歩されてつつも、維持されていた。そのため、市民の声を弾圧することを選択しました。
3.民族的な断絶
ミャンマーは多数の民族が住む多様な国であり、長い間民族間の対立や不信感が続いてきました。
軍はこれを利用して「分割して支配する」戦略を取り、一部の民族また、これにより市民同士が団結しにくい環境を抱えているため、軍は市民への支配を容易にしてきました。
4.恐怖による支配
軍事政権は恐怖政治を展開しており、暴力や失追跡、苦痛などによって国民に恐怖を植え付け、反抗することができないようにしています。
恐怖が社会に広がることで、人々は安全のために声を上げます上げることを考えて、軍の暴力が続く環境が許容されるようになっています。
5.仏教と国家の二重性
仏教が社会的に根付いているのではなく、軍事政権の暴力が続いている理由として、仏教の勧告が国家の独立や政治と注目していないという点もあります。
僧侶や寺院との関係を強化するために、政治的な暴力や抑圧のための手段として宗教を巧みに使っています。
6.国際社会の制約
ミャンマーの軍事政権に対して国際社会からの非難や情勢があるもの、実際に有効な国際的な介入は限定されている。
また、地理的に中国やインドと接しているため、これらの大国が積極的に軍政を支持または黙認する姿勢も、軍の強行な市民への銃殺の横行を加速させてきました。
7.内部分裂と協力の欠如
ミャンマー国内では市民の間でも意見の分裂があり、団結して軍に対抗することが難しい状態です。
例えば、都市部の若者や活動家は民主化を強く求めていますが、地方では軍の支配者に慣れている人々もおり、現状全ての市民が一致団結しているわけではない。
これらの課題が重なり合い、軍が同じミャンマー人である市民を弾圧することが許されているように見える実際の現状となってしまっています。
【次回に続きます】
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