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心の師を求めよ

 世に教訓をする人は多し。教訓をよろこぶ人はすくなし。まして教訓に従ふ人はまれなり。年三十も越したる者は、教訓する人もなし。教訓の道ふさがりて、我儘わがままなる故、一生非を重ね、愚を増して、すたるなり。道を知れる人には、何卒なにとぞれ近づきて教訓を受くべき事なり。

葉隠 聞書第一 一五四

   説教されて快く思う人間などいるものではない。まして素直に実行に移す人など正に「稀なり」である。

 ただし、三十歳を過ぎると説教をしてくれる人はめっきり少なくなるものだ。分別が十分にできる年代になったということで、遠慮するのであろうか。しかしながら、ここからが危ないのである。辛辣しんらつな忠告が遠ざかって、つい自分の言動に歯止めが効かなくなり、そのために人の心を傷つけては反感を買ったり、失笑を買うような事をしでかしては馬鹿さ加減を露呈したり、信用を失墜するのも自己過信のこんな時期に起こりやすいものである。

 人間何歳になろうと、常に自分に厳しく目を向けることを怠ってはいけない。そのためにも、教えを乞うに足りる師を自分の力で見つける努力をすべきである。そして、この人と思う人に出会ったら、積極的にアドバイスを受けることである。

 天下第一の剣術家である柳生但馬守宗矩やぎゅうたじまのかみむねのりも、禅宗の沢庵和尚たくあんおしょうに師事している。沢庵は折にふれ、遠慮の無いアドバイスをしている。剣術の第一人者に対し、剣の修行に関する所見を書き送ったこともあった。「不動ぶどう神妙しんみょうろく」といわれるものがそれであるが、剣術家として最も大切な目の付け所、心の置き所について、禅の修行を通して得た悟りに基づいて述べている。

 それにしても宗矩の謙虚な自己研鑽けんさんには頭が下がる。柳生家が単に将軍家剣術指南しなんという立場に止まらず、将軍のブレーンとして政治的な役割も大いに果たしていたとを思えば、もっともなことと思われる。


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