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『好悪ちゃん』


『好悪ちゃん』

 

わたしは人の好き嫌いがはげしい性格である。
しかし、みんな、大概、わたしのことを誤解していて、いい人だとか、いつも穏やかだとか、優しいだとか色々と言うけれど、それは半分くらい間違っていると思う。

なぜなら、本当のわたしはいい人ではないし、案外短気だし、冷たかったりする。
のみならず、腹のなかで相手を罵ることもあるし、相手に変なあだ名をつけて、ひとりでほくそ笑んでいるような幼稚であさましい人間なのであーる。

けれども、日常生活を送る上で、わたしなりに物事を円滑に運ぶため、そういったマイナスの部分をなるべく隠し、あまり表に出さないようにしている。


先日、友人に誘われた飲み会へ行った。
そこにわたしの苦手なタイプの女性がいた。
ルイボスティーのような髪の色をした胸の大きな女性である。彼女と会うのは初めてだが、とにかく彼女は妙に馴れ馴れしかった。のっけからタメ口であり、わたしを下の名前で呼び捨てにしてきた。
元来、わたしは他人を呼び捨てにすることがあまり好きではない。それはわたしが園児の時分、酔狂したわたしの父親がわたしの毛髪を鷲掴み、声を荒げてわたしの名前を連呼しながら、実家の茶の間の畳の上を引きずり回したせいかもしれない。
だから、仲の良い幼馴染の友人でも、いまだに「ちゃん」や「くん」をつけて呼んでいる。付き合った相手でも呼び捨てにしたことがほとんどない。


飲み会の中盤、彼女がわたしに好きな男性のタイプを聞いてきた。わたしは答えたくなかったが、仕方なく、「…まあ、優しい人と誠実な人ですかね」という毒にも薬にもならないつまらぬ答えを返すと、彼女は小さく笑いながら、「あたしはあたしのことを幸せにしてくれなさそうな軽薄な顔をしている男が好き。そういう男があたしのことを幸せにしてくれることがあたしにとっての最高の幸せ!」などと訳のわからぬことを平然と口走るので閉口した。

やはり、こいつのことは苦手だと思った。
すぐに彼女の顔を見るのも声を聞くのも嫌になった。わたしは彼女から逃げるように隅の方の席へ移動した。そして、「早く家に帰りてー。録画していたクレイジージャーニーSPの続きを観てー」とか思いながらレモンサワーを黙然と飲んでいた。

しかし、彼女はわたしに近づいてきて、なぜだかわたしの連絡先を聞こうとするだけでなく、わたしの飲みかけのレモンサワーをわたしの許可なく奪い取ると、口をつけて、つまらぬことをべらべらと喋ってきた。自分の推しだという、聞いたこともないミュージカル俳優のインスタまで見せられた。しかも、前のめりで喋りまくるものだから、わたしの顔に唾がぺっぺとかかってたまらない。

わたしは、その店の奥の厨房にある切れ味のよい料理包丁を彼女の大きな胸の谷間にサクッと突き刺してやろうかしらと逡巡したが、やはり罪を犯したくないので、何とか堪えて、愛想笑いであしらった。
そして、トイレへ避難し、数分後、席に戻ると、わたしの席に彼女の姿はなく、少し離れたカウンター席で電子タバコを吸いながら、高そうなスーツを着た下品な顔の男性と脳みそが腐敗したかのように、へらへらしていたので安堵した。


誰かと初対面のとき、わたしは心の中で、「この人、無理かも」と思ったら、すぐに相手を嫌悪してしまう。すっと心を閉ざしてしまう。それは男でも女でも子どもでも年寄りでも同じである。
ただし、嫌悪した相手にわたしが嫌悪していると悟られないように嫌悪しているつもりだ。
逆に、最初から、「何となくこの人のことが好きかもしれない」と感じるときは心が開きっぱなしだ。
宇宙レベルでその人を受け入れる。

また、わたしのこの“何となく”の直感は大概当たっていた。
数年後とかに自分で答え合わせをしてみると、嫌だなと思った相手はやっぱり嫌なやつが多かったし、いいなと思った相手はやっぱりいい人である確率が高い。
無論、一概には言えないけれど、人間の性格は外側に表れてくると思う。ちゃんとしている人はちゃんとした顔をしているし、ちゃんとしていない人はちゃんとしていない顔をしている。


今日の午後のことだった。
会社の嫌いな女性の先輩が、わたしに仕事を押しつけて、そそくさと先に帰っていった。
彼氏と好きなミュージカルを観に行くらしい。
なぜ、みんな、そんなにミュージカルに惹かれるのか。わたしは、みんなのせいで、ミュージカル・アレルギーになりかけている。
去り際、先輩は、わたしの手に三個の飴玉を握らせた。そのことがわたしの苛立ちをあおった。



わたしは飴なんか食べたくない。
ばかにしてやがる。



怒りで脳みそが破裂しそうになった。
腹の中でのたうち回る。それから、精神がぐらぐらと不安定になり、約十万本生えている自分の毛髪が一度に逆立つほどのくさくさした気分になった。
ますます先輩のことが嫌いになった。

組織の中にいると、どうしてもそういう自分勝手な人がいてやりきれない。
しかも、そういう人たちと明日も明後日もこの先もしばらく顔を合わせるのかと思うと辟易した。
昼食で食べた赤飯のおにぎりがゲロになって口から出てきそうである。
夕方、偏頭痛に見舞われながら、タイムカードを打刻し、ロッカーへ行ってスマホを見ると、今日も誰からの連絡も来ていなかった。
黄色い染みのある薄暗い天井を見上げて、



わたし、孤独じゃないか…
もう、死のうかしら



と思って、その場で舌を噛み切ろうとしたが、何とか堪えて、ふらふらになりながら会社を出た。
ビルとビルの間から見える夕景の空には薄い桃色の残光が微かに漂っていた。街は有象無象の人々が闊歩していてにぎやかである。チキンカレーのうまそうな匂いがどこからか漂ってきた。


わたしは猫背ぎみで街を歩いた。
イヤホンでマシンガンケリーを聴き、踵のすり減ったドクターマーチンで、時折、路肩の背の低い草を蹴りながら、わたしはわたしの全身の毛穴から、憂鬱という名の毒素を街の方々に放出していった。
そのときふと、


わたしはあとどれくらいこうやって自分の気持ちを押し殺しながら、このクソくだらない世の中を彷徨していかなければいけないのだろうか

と思うと、丹田が些か痛くなり、ため息が出た。
すると、わたしの後方から、
ぎゃんぎゃんぎゃんぎゃん
という悲哀に満ちた鳴き声が聞こえてきた。

鳴き声の主は、わたしの股下を敏捷な動きで見事にすり抜けていったかと思うと、
目の前の赤の横断歩道へ脇目も振らずに飛び出していった。
ぎゃんぎゃんぎゃんぎゃん
という鳴き声が周囲に響き渡る。
一匹の柴犬だった。



ああっ、あぶないよ、コタロウ!!!


わたしは思わず叫んだ。
無論、その柴犬の名前など知らないのだが、口を衝いて出た名前がコタロウだった。
わたしは完全に狂人である。

近くに飼い主らしき人はいない。
その柴犬はどこかから脱走してきたらしかった。
虚ろな目をした柴犬は赤い舌を出して、にぎやかな商店街とは反対方向へ全力疾走で走り去っていく。どこへ向かっているのかはわからない。

すぐに柴犬の姿が見えなくなったが、
ぎゃんぎゃんぎゃんぎゃん
という鳴き声だけが遠く小さく聞こえていた。
わたしは悲しくなった。
さびしくもなった。
そして、


この柴犬にも人の好き嫌いがあって、もしかしたら、飼い主のことを嫌っていたのかもしれない。
ああ、なんてこった。
結局、人間も犬も同じじゃないか!


そう思ったわたしの胸の奥にべったりとはりついている憂鬱の塊が剥がれてきて、心が軽くなった。

わたしは蚊に刺された首筋をさすりながら、横断歩道が青になるのを待っていた。
すると、わたしの左隣にいるランドセルを背負った少女がいぶかしい顔をして、わたしを見上げた。
わたしは無意識でにやにやしていることに気づいて、はっとした。顔が赤くなった。
今、この少女にだけは、本当のわたしが見えているのかもしれない。


          〜了〜




愚かな駄文を最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。
大変感謝申し上げます。

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