夏の畑🍆
今年は夏場の管理を頑張っている。
というのも、家庭菜園を始めて三年間、ずっと夏場は展示が入っていて忙しかった。
そのため、畑は雑草の森のようになっていた。
初年度は雑草というよりはカボチャとトウモロコシで森化していたが、翌年はどうだったか忘れてしまった。
昨年が背丈を超える雑草の森だった。
ということで、今年はなんとか頑張っている。
とはいえ、畝三つ分は休ませているので、管理をマックスで行なっているわけではない。
しかし、それでも、やはり夏場は自然の力に押されてしまう。
近くの畑では容赦なく除草剤を撒いていたが、まぁ責められない。
本腰入れて管理する気がない限り、土地を人力で管理するというのは大変なこと。
売っ払えばただ味気のない建売かなんかがバカスカと建ち並び、地域の温暖化に貢献するだけだ。
うちの周りだけでもそんな土地が山ほどある。
昔は森林があり、畑があり、小川が流れていた豊かな土地だったが、先代が亡くなり、財産分与で相続税が家族に重くのしかかり、売り払われた土地にはマンション、アパート、建て売り住宅がひしめき、区画整理の錦の御旗を振り翳し、大規模な伐採や埋め立てを嬉々として行なってきたために、クーラーもいらなかった土地はみるみる温暖化を遂げていき、畑がなくなった代わりには大手スーパーマーケットが我が物顔で居座った。
役所は税収が増えたと喜んでいるのかもしれないが、その税収は結局、問題だらけの区画整理事業などを通して関係業者に垂れ流されるだけなのだ。
そんな関係業者の汚いツラした一軍から、取り敢えず民族主義的な発言をして右派政治家連中に気に入られることで自身の議席を確保するような俗物の最低人間が担ぎ上げられてきたのだろう。
土地の目線からすれば悪くしかなっていないのに、カネの目線から見れば、素晴らしい開発を行なったと言われるのだ。
人間は、果たしてカネを食う生き物か。
畑では、夏の果菜類がたわわに実り、土から直接、食べ物が顔をのぞかせているというというのに。
地球はまず、我々にとって既に完璧だったのだ。
それを何が足りないのか、「足りない、足りない」と言い出して、森林を切り開き水を汚して空気も汚す。
温暖化がのっぴきならないと騒いではライフスタイルを微塵も変えようとはしない人間たち。
笑えないくらい、馬鹿ばっかりだ。
なんでもいいから、トマトひとつ、ナスひとつ、作ってみろよ。
臭いに鼻をつまんで捨てているその生ゴミを土に埋めてみろよ。
その生ゴミでできた豊かな土から、一体どれだけの実りが得られるか。
それが少しでも理解できたら、今の社会の見え方がガラリと変わるよ。
きっとこんな馬鹿なシステムを、一刻も早く変えたいと心から思うだろう。
「与えられた生き方」の中から選択をする時代から、「生き方」を考えて実行する時代にならなきゃいかん。
脳を使え!
身体を使え!
もっと頑張るんだ、人類。
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