Jin HASHIMOTO

現代ARTやっています。2020年より家庭菜園をスタート。日本では芸能界や製造業と混同…

Jin HASHIMOTO

現代ARTやっています。2020年より家庭菜園をスタート。日本では芸能界や製造業と混同されがちなARTの世界。付加価値と思想哲学による本当のARTの世界を身近な物事から紐解くきっかけになればと思い、日々の活動を綴っていきます。

最近の記事

スピ考 最終章✨

これまでいくつか自分なりに“スピリチュアル”についての考察を進めてきたが、ある程度はカタがついたと考えている。 誤解がないように記しておくが、それは私という存在が少しでも善なるものに近づいたとかそうしたことでは全くなく、むしろ「悟り」とは何かをなんとなく言語的に理解してみたところで、「成る」という状態にはますます程遠いものであるということがはっきりしただけのことである。 ーーーーーーーーーー 昨今、我々人類という存在自体や人類社会は間違いなく岐路を迎えていて、簡単にいえ

    • 結局、いつも最後は“ascension”。

      先日、【かなざわオープンキッチン】という団体を知った。 今年1月1日に起きた奥能登の震災をきっかけに立ち上がった団体だ。 業務内容は被災地の食糧支援をベースに自然体験、食育活動や農産物の代行販売を行っているという。 私は彼らの活動を知ってあることを思い出した。 それは、東日本大震災の折、1933年3月3日の昭和三陸沖地震と現代の東日本大震災の被災地の写真が並べられている写真をSNSで見かけた時のことだった。 まず、SNS上に転がるこういった安易な比較や扇動的な主張には十

      • 死んでみるしかないのかも

        「不謹慎」 人はその一言で真実を見ることをやめる。 現に、世界はまた死に満ち溢れ、人々はそこへの憐憫を示すことが一つのコモンセンスとなっているのが現在であるからだ。 「死」が近づいてくる。 人々はそれに慄き、憐憫と同情で蓋をする。 しかし、もっと根本的な意味で、人類には向き合うべき限界が見えているというのに。 存在の本質は多次元世界である。しかし我々は身体、認識や知覚という三次元の認識呪縛から逃れられない。 たとえ降り注ぐ宇宙線を莫大なコストと巨大な施設で捕まえ

        • コミッションワーク完成を機に思ったこと🎨

          先日、長らくお客様をお待たせしていていた作品が完成した。 普段からでもあるが、作品制作期間中はとくに色々なことを考える。 今回はそんな日々の一端を以下に綴る。 さて、いきなりだが正直、私は「現代アート」が苦手だ。 いままで自分なりに迎合してきたつもりだが、もうやめた。 ブランディングとかプレゼンテーションとか、もういいかなと思う。 いわゆる“アートワールド”の住人には共通言語でも、自分が作品を通して出会えて良かったと思う人々は必ずしもそんな理屈で私の作品を見たりしな

        スピ考 最終章✨

          2024年 春節 🐉

          前回は太陽暦(グレゴリオ暦)での正月を迎えて、文章は書いても1月いっぱいアップすることができなかったというところから始まり、いつも通り、お先真っ暗な日本を勝手に憂いて筆を置いた。 そんなことで、遅れ過ぎている新年の挨拶を巻き返すべく、今回は旧正月(太陽太陰暦)についてのご挨拶をアップしたい。それでも大幅に遅れてはいるのだけれど。。 さて、今回はハナからスピリチュアルな内容へフルスイングで入っていく。 今年は旧正月を境に新たな時代に突入したことを強く感じた。 簡単にいう

          2024年 春節 🐉

          🎍新年のご挨拶と抱負🎍

          今年のNew Yearは元旦から能登の大地震があり、新年の挨拶を書く気にもなれなかった。 とはいえ、そのうち書き始めたが次はそれをアップすることができなかった。 早々に山本太郎が現地入りすればそれを批判し、自らを正当化するために現地入り”しない”協定を与野党で結ぶなど、あまりに小粒のセコさに吐き気を覚えた。 おまけに森のお気に入りらしい脳筋の下品なオヤジがそれを後押しするように被災地入りを自粛するよう声明を発した。石川県知事である。口裏を合わせていないと考える方が不自然だ

          🎍新年のご挨拶と抱負🎍

          ある日の新幹線で🚄

          日本の電車は清潔で気持ちが良い。けして郊外から都市部へ労働者を運ぶためだけのものとしては考えられていない。車両もダイヤも働く人々も、必ずしも全員とは言わないが、目を凝らせば鉄道に関わる人々の鉄道愛を感じられる場面が日本では必ずあるだろう。 だから、初めてNYで電車に乗った時は驚いた。味気ないトタンのような外装に、うるさい走行音。座り心地の悪いイスに時間帯によっては明らかにジャンキーめいた黒人もいる。しかし、そんな電車もマンハッタンではなにやら味があるように見えるのが不思議だ

          ある日の新幹線で🚄

          橋仔頭糖廠藝術村 滞在日記✏️

          私は台湾に来るとなんとも定まらない気持ちを持つ。 それは来る度に台湾の複雑さが身に染みてくるからだろう。 この国では一つの視座でものを語ることはできない。 エスニシティの視点から語られているのを目にするが、実際に「台湾人」としての帰属意識がどこまで共有されているかは分からない。 私の持つ台湾との繋がりは日本統治時代、3世代に渡って住み暮らした高橋家の記憶だが、隆盛を誇った諸物はすべて面影になり、いまは時々祖母から話を聞いて想像を膨らませるほかはない。 その統治時代も「統

          橋仔頭糖廠藝術村 滞在日記✏️

          来台。祖国を振り返る。

          9月13日から台湾の高雄にあるアーティストインレジデンス橋仔頭糖廠藝術村で滞在制作を行なっている。 今回は記念すべきアートユニット”OSER”での初活動だ。 これまで私自身できることをやってきたが、今回は企業や地域とアートプロジェクトとの連携など、アートの社会実装に取り組む妻とユニットを組むことで、また新たな角度から社会的拡張を獲得していきたいと考えている。 この度の機会では、私がずっと行いたいと思っている「東アジアの文化交流」に一歩近づくリサーチと展示にしたい。 とはい

          来台。祖国を振り返る。

          アートフェア参加から考えるアーティストの近未来。

          9月1日から開催していた、三越銀座での小さなアートフェアが終わった。今日からは第2弾が始まっている。 今回は会場全体でも売上が渋く、私自身も激シブだった。第2弾で挽回できるか否か。私は知らない。 思えば、今年の4月に行われたアートフェアから業界を取り巻く空気の変化を感じていた。 まず、コレクターが来なくなった。 見る人の層が変わり、そもそもの来場者数も激減した。 無論、私が在籍しているプラットフォームが飽きられたということもあるだろう。 なにしろ何をもってして“現代”を

          アートフェア参加から考えるアーティストの近未来。

          坂口恭平を知った日👀

          最近は自分的パラダイムシフトが激しくて言葉を吐き出さずにはいられない。 いや、それは以前からか。元々、言葉は言葉で綴っておかないと頭と気持ちの整理がつかない。 現時点で私の思考をまとめると、 「物理学的視点では、全ては振動する紐らしい。でね、我々が知覚しているのは3次元世界だけど、次元はいくつも層になって併存していて、振動する膜として在るのが次元なんだと。その膜は物理学的にはブレーンって呼ばれている。その振動する膜を“弱い重力が行き来している”というのが、次元的視点の基本

          坂口恭平を知った日👀

          自分の感覚を信じていいのなら。

          もう2年前のことだが、プロセスエコノミーなるものがあるらしいことを知った。 完成されたものへの直接的な価値ではなく、プロセスに価値を見出すことだ。 プロセスに価値を見出すとは具体的に対価が発生しているということで、目の前のモノゴトが経てきた時間、一見しただけでは分からないような不可視の価値が「新しい」と思われたようだ。 今はその動向がどのように進化したのか知る由もないが、正直いうと私としては今更感が拭えなかった。 そもそもプロセスに着目することで私は蓄積という行為を始めたの

          自分の感覚を信じていいのなら。

          スピから飛び出し梵我一如へレッツゴー🔥🚀

          「存在の本質は魂」 この一言でいきなり風通しが良くなったと感じる。 そう、今まで感覚的に理解してきたことの言語化が、まさにこの一言に尽きるのだ。 ちなみに私の場合、この言はエドガー・ケーシーによるものだった。 身体は魂の入れ物。ナマモノであるが故に酸化し衰える身体を健康に維持管理しなければならない。 それも含めて、生きる上での合理性を追求するのが脳だ。脳は主に高次意識からやってくるイメジネーションのアンテナであり、膨大な記憶のメモリアルボックスである。端的に言えば「創造と

          スピから飛び出し梵我一如へレッツゴー🔥🚀

          スピ考 ③✨

          「スピリチュアル」や「波動」 この言葉を聞くだけで嫌悪感を抱く人も多いのではないだろうか。 無論、私もその一人だった。いや、詳細に言えば、まだちょっとその気はある。 そもそも近代社会の前提を学んでいく中で「見ず知らずから成る我々」や「自由とは制度による負担免除」に希望を見出した私にとって、全てを「はからい」などというざっくりとした他人(神)任せの意識で政治社会に参加しない言い訳のような構えは言語道断。怒りを覚えるような態度である。 現在も続く日本政府の国民軽視、人権無視

          山登り つらつら思い 綴るの記⛰️

          埼玉県飯能市の山を歩くのは楽しい。 低山ばかりで高い山はなく、あっても1000m程度だ。 飯能で歩いているかぎりでは山好きの猛者たちからはアマちゃんのにわか登山者扱いしかされないが、そんなことはどうでもいい。 山はひとつの宇宙だ。 その関係性にすっぽりと包まれるようにして、人間はなんとなく登り、下り、湯に浸かり酒宴を開いて気分が良くなる。 空に雲に太陽、それぞれ目には見えない土中の糸状菌と木々や草花たちのコミュニケーションが、私を嬉しい気持ちにさせるのだ。 しかし、時折り

          山登り つらつら思い 綴るの記⛰️

          宮崎駿「君たちはどう生きるか」感想✏️

          最近、確信を得たこと。 明言として遅いとは思うけど、極端な見方には気を付けている。だからこそ避けてきた明言でもある しかし、あのバイデンという男。間違いなくジョージ・ブッシュと同等もしくはそれ以上の”戦争好き”だ。 世界秩序の不均衡を好んで創り出し、不破と憎しみの連鎖を利用して多大な益を貪り食う、餓鬼そのものである。 NATOが東京に支部を置くという話でまた一部がざわついていたが、フランスの反対でその案はなくなったようだ。 まず、NATOを我が物顔で便利道具扱いする今の米

          宮崎駿「君たちはどう生きるか」感想✏️