現在、台湾の台北にある「大院子」という会場で個展&昭和町藝術祭を開催中です。 まず個展は初期の作品と新作を含めた、ここ10年の足跡を辿る内容になっています。 個展は個展として鑑賞者に十分楽しんでいただきたいのですが、今回は昭和町のお話を重点的にさせていただきます。 まず昭和町というのは日本統治時代の台湾帝国大学の教授や教員たちが多く住んでいた地域です。 この昭和町は正式には温州街といい、現地の方々も温州街としてしか認識していないと思いますが、この地域は中央研究院民族學研究
昨年は9月13日から台湾は高雄にある橋仔頭糖廠藝術村で2ヶ月間の滞在制作を行なった。 今年は10月15日から台北で個展があり、また同じような時期に台湾へ思いを馳せていることが興味深い。 台湾から始まり台湾へ。 ということで、ここ1年を区切りに思考の変遷を公開することとした。 ところで、滞在制作とは「アーティスト イン レジデンス」(AIR)と呼ばれるもので、大まかに ①滞在先で往復費用、制作費、生活費を賄ってもらう ②全額実費で賄うがスタジオと住居使用可能 ③有料でスタ
じりじりと容赦なく光を浴びせる太陽。じっとりと汗ばむ湿度。 しかし幼い頃から育った地域だからか、不思議と嫌ではない。 少し急だが短い神社の階段を登る。 階段の中腹で酸味を伴った発酵臭がぷんと香る。樹液の匂いだ。 とたんに幼い頃を思い出し、胸が期待で膨らみ匂いの元を辿らずにはいられない気持ちになる。 まだ見ぬカブトムシやクワガタを想像しながら、至る所から樹液を垂らしている一本の太いクヌギの木の幹を周りながら、目を皿のようにして目当ての虫を探し出す。 すぐにメスのノコギリク
巷ではAIはいまだに賛否両論あるらしい。 いつまでくだらない論争をしているのだろう。物事には陰陽両面があるのは当たり前である。 簡単に言えば、AIには陽の可能性もあるが、人間は己の腐敗によってAIの陽なる活用は難しいだろう。 AIは記憶とその横断において既に人間より優秀である。 人間がほくそ笑むクリエイティブ方面においても躍進は高速だ。 アニメ映画一本作れるようになる時代はすぐそこだろう。 なんぞ嘆く必要があろうや。 優秀な人間にとってAI以上に完璧な秘書はおらず、A
これまでいくつか自分なりに“スピリチュアル”についての考察を進めてきたが、ある程度はカタがついたと考えている。 誤解がないように記しておくが、それは私という存在が少しでも善なるものに近づいたとかそうしたことでは全くなく、むしろ「悟り」とは何かをなんとなく言語的に理解してみたところで、「成る」という状態にはますます程遠いものであるということがはっきりしただけのことである。 ーーーーーーーーーー 昨今、我々人類という存在自体や人類社会は間違いなく岐路を迎えていて、簡単にいえ
先日、【かなざわオープンキッチン】という団体を知った。 今年1月1日に起きた奥能登の震災をきっかけに立ち上がった団体だ。 業務内容は被災地の食糧支援をベースに自然体験、食育活動や農産物の代行販売を行っているという。 私は彼らの活動を知ってあることを思い出した。 それは、東日本大震災の折、1933年3月3日の昭和三陸沖地震と現代の東日本大震災の被災地の写真が並べられている写真をSNSで見かけた時のことだった。 まず、SNS上に転がるこういった安易な比較や扇動的な主張には十
「不謹慎」 人はその一言で真実を見ることをやめる。 現に、世界はまた死に満ち溢れ、人々はそこへの憐憫を示すことが一つのコモンセンスとなっているのが現在であるからだ。 「死」が近づいてくる。 人々はそれに慄き、憐憫と同情で蓋をする。 しかし、もっと根本的な意味で、人類には向き合うべき限界が見えているというのに。 存在の本質は多次元世界である。しかし我々は身体、認識や知覚という三次元の認識呪縛から逃れられない。 たとえ降り注ぐ宇宙線を莫大なコストと巨大な施設で捕まえ
先日、長らくお客様をお待たせしていていた作品が完成した。 普段からでもあるが、作品制作期間中はとくに色々なことを考える。 今回はそんな日々の一端を以下に綴る。 さて、いきなりだが正直、私は「現代アート」が苦手だ。 いままで自分なりに迎合してきたつもりだが、もうやめた。 ブランディングとかプレゼンテーションとか、もういいかなと思う。 いわゆる“アートワールド”の住人には共通言語でも、自分が作品を通して出会えて良かったと思う人々は必ずしもそんな理屈で私の作品を見たりしな
前回は太陽暦(グレゴリオ暦)での正月を迎えて、文章は書いても1月いっぱいアップすることができなかったというところから始まり、いつも通り、お先真っ暗な日本を勝手に憂いて筆を置いた。 そんなことで、遅れ過ぎている新年の挨拶を巻き返すべく、今回は旧正月(太陽太陰暦)についてのご挨拶をアップしたい。それでも大幅に遅れてはいるのだけれど。。 さて、今回はハナからスピリチュアルな内容へフルスイングで入っていく。 今年は旧正月を境に新たな時代に突入したことを強く感じた。 簡単にいう
今年のNew Yearは元旦から能登の大地震があり、新年の挨拶を書く気にもなれなかった。 とはいえ、そのうち書き始めたが次はそれをアップすることができなかった。 早々に山本太郎が現地入りすればそれを批判し、自らを正当化するために現地入り”しない”協定を与野党で結ぶなど、あまりに小粒のセコさに吐き気を覚えた。 おまけに森のお気に入りらしい脳筋の下品なオヤジがそれを後押しするように被災地入りを自粛するよう声明を発した。石川県知事である。口裏を合わせていないと考える方が不自然だ
日本の電車は清潔で気持ちが良い。けして郊外から都市部へ労働者を運ぶためだけのものとしては考えられていない。車両もダイヤも働く人々も、必ずしも全員とは言わないが、目を凝らせば鉄道に関わる人々の鉄道愛を感じられる場面が日本では必ずあるだろう。 だから、初めてNYで電車に乗った時は驚いた。味気ないトタンのような外装に、うるさい走行音。座り心地の悪いイスに時間帯によっては明らかにジャンキーめいた黒人もいる。しかし、そんな電車もマンハッタンではなにやら味があるように見えるのが不思議だ
私は台湾に来るとなんとも定まらない気持ちを持つ。 それは来る度に台湾の複雑さが身に染みてくるからだろう。 この国では一つの視座でものを語ることはできない。 エスニシティの視点から語られているのを目にするが、実際に「台湾人」としての帰属意識がどこまで共有されているかは分からない。 私の持つ台湾との繋がりは日本統治時代、3世代に渡って住み暮らした高橋家の記憶だが、隆盛を誇った諸物はすべて面影になり、いまは時々祖母から話を聞いて想像を膨らませるほかはない。 その統治時代も「統
9月13日から台湾の高雄にあるアーティストインレジデンス橋仔頭糖廠藝術村で滞在制作を行なっている。 今回は記念すべきアートユニット”OSER”での初活動だ。 これまで私自身できることをやってきたが、今回は企業や地域とアートプロジェクトとの連携など、アートの社会実装に取り組む妻とユニットを組むことで、また新たな角度から社会的拡張を獲得していきたいと考えている。 この度の機会では、私がずっと行いたいと思っている「東アジアの文化交流」に一歩近づくリサーチと展示にしたい。 とはい
9月1日から開催していた、三越銀座での小さなアートフェアが終わった。今日からは第2弾が始まっている。 今回は会場全体でも売上が渋く、私自身も激シブだった。第2弾で挽回できるか否か。私は知らない。 思えば、今年の4月に行われたアートフェアから業界を取り巻く空気の変化を感じていた。 まず、コレクターが来なくなった。 見る人の層が変わり、そもそもの来場者数も激減した。 無論、私が在籍しているプラットフォームが飽きられたということもあるだろう。 なにしろ何をもってして“現代”を
最近は自分的パラダイムシフトが激しくて言葉を吐き出さずにはいられない。 いや、それは以前からか。元々、言葉は言葉で綴っておかないと頭と気持ちの整理がつかない。 現時点で私の思考をまとめると、 「物理学的視点では、全ては振動する紐らしい。でね、我々が知覚しているのは3次元世界だけど、次元はいくつも層になって併存していて、振動する膜として在るのが次元なんだと。その膜は物理学的にはブレーンって呼ばれている。その振動する膜を“弱い重力が行き来している”というのが、次元的視点の基本
もう2年前のことだが、プロセスエコノミーなるものがあるらしいことを知った。 完成されたものへの直接的な価値ではなく、プロセスに価値を見出すことだ。 プロセスに価値を見出すとは具体的に対価が発生しているということで、目の前のモノゴトが経てきた時間、一見しただけでは分からないような不可視の価値が「新しい」と思われたようだ。 今はその動向がどのように進化したのか知る由もないが、正直いうと私としては今更感が拭えなかった。 そもそもプロセスに着目することで私は蓄積という行為を始めたの