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スピ考 最終章✨

これまでいくつか自分なりに“スピリチュアル”についての考察を進めてきたが、ある程度はカタがついたと考えている。

誤解がないように記しておくが、それは私という存在が少しでも善なるものに近づいたとかそうしたことでは全くなく、むしろ「悟り」とは何かをなんとなく言語的に理解してみたところで、「成る」という状態にはますます程遠いものであるということがはっきりしただけのことである。

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昨今、我々人類という存在自体や人類社会は間違いなく岐路を迎えていて、簡単にいえば「神の在、不在を己で決めなければならない」という分岐点に立っている状態だ。

人類社会と科学技術は既に臨界点を迎えていて、我々がその全てを善なるものとして扱うように振り切れるか、はたまたこれまで通り悪用と隠蔽を続け共に滅亡するのか、そのどちらかへの回答を迫られている格好である。

もし、「神」としか言いようのないモノや世界そのものの存在を「信じる」と言うならば、無論、それは各宗教で言ってきたように、我々は神に背かず自らの生を生ききっていかねばならないし、もし、「神なんていやしねーんだよ」という立場をとるのであれば、残念ながら現在地から見えている未来図の通りに、環境破壊と戦争というキーワードが破壊と破滅への道を用意するだろう。

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さて、ここでは何度も書いているが、私は特定の宗教には入信していないし、今後もそれはありえないだろう。
なぜなら、全人類が「神」を理由にしてでも善行を行うべきであるというのは共感できるが、私は「神」を持ち出すまでもなく善行を行えるような、人間における「魂の内発性」にこそ希望を抱いているし、期待もしているからだ。

また、「神」を中心とした信仰は歴史上何度も戦争、殺戮、差別、虐待を生み出してきた。大事なことは、ある特定の何かへの信仰心ではなく、漠とした巨大な愛や感謝への恩返しのようなものを内部に抱くことであると私は考えている。

「神」なるものが人間になど到底掴み切れるものではない巨大な何かであればあるほど、人が「私の神」などという尊大な価値観を振り回し「他の神」を暴力でもって制圧するなど、考えることは無くなるではあるまいか。

故に「神」などというものは、とにかくとにかくデッカくデッカくイメージして、最終的には棚上げして拝んでいるというのがもっも平和でよろしいのではないかと私などは思っているのだが、はてさてそれが正しい!ともまた思えないなんてあやふやさが、まさに「神」の本質めいていて私は気に入っている。

「曖昧さ」には「寛容な構え」というものが必須なのだ。

かつて大江健三郎が「曖昧な日本人としての私」と言ったが、なるほど、一周回って、それでいいのだと私は思う。

不確かでハッキリしない、欧米人の嫌いそうなその「曖昧さ」こそが、争いを忌避し回避する秘訣ではあるまいか。それは無論、「中庸」とも言い換えることができる。

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はてさて、また話が逸れたが、今回は私なりに参考となった人物やYoutubeを列記しながら私なりにスピリチュアルの構造を概観的に説明して、今後は内的探求を深める方向にシフトしていきたいと思う。

いきなり最初に意地悪な釘を刺しておきたいのだが、スピリチュアルと人類社会への無関心は別だし、スピリチュアルと大人の無責任も別だ。

我々は大人の人間として最低限の社会的責任があるし、自由意志に基づくとはいえ社会参加は大人のマナーだ。
我々は一人の大人として後世に何を伝え紡いでいくのかを選択しなければならないし、世界であまりに悲しい出来事が人為的に為されたのであれば、一人一人がその責任を大いに感じるべきなのだ。

だから、スピリチュアルだからといって不勉強でいいとか無関心でいいとか、責任なんてものは存在しないとか現実逃避にもってこいだとか、そうした身体と存在に失礼な構えは容赦なく「ニセモノ、マガイモノ」であると、私は強く弾劾する。

全ては大いなる必然性に基づいて行われているのは事実だが、前述の通り陰陽極点の岐路に立たされている以上、我々が何を選択するかはやはり重要な意味を持つのだと私は考えている。

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さて本題に入っていこう。
以下に色々と固有名詞など挙げていくが、いちいち親切にリンクなど貼っていくつもりはない。

現代は誠に便利な時代である。
気になったところをマークすればすぐにそこから検索に飛べるのだ。
情報も一つの感性を試されるツールで、何かにピンとくるものがあればすぐさまそれを掴み取るという意味では、野性の反射神経を必要とするものだと捉えている。

まず「存在の本質が魂」であるということは、エイリアンインタビューとエドガー・ケーシーのリーディングから入ると分かりやすいと思う。

存在の本質は魂であり身体は乗り物ではあるのだが、けして我々が授かったこの三次元身体は「不必要なもの」などではなく、愛しき三次元世界を生きていく上で必要かつ本当によく創られた一つの奇跡である。

存在の本質が魂であることを真に了解できたのであれば、次は並木良和さんや矢作直樹さんの言を聞くのが一番だと思う。
もちろん、はせきらみゆきさんやショーゲンさんもいいだろうが、個人的には上記二名の方が波長が合う。

次に、「魂の在り方」が了解できたが具体的にどうしたらいいのだ?といよいよ自身と向き合い実践に移りたくなってきた人にはネドじゅんさんがオススメだ。
彼女自身が「普通のオカン」を標榜しているように、普通の人間がどういった意識を持てば「魂の解放」に至るのかということを分かりやすく発信してくれている。
無論、そのどれもが降臨してきた内容であると仰るように、まさに「人間バイアス」がかかっていない内容がそのままストンと自身の内にハマるのを感じるのではないだろうか。

そのほか、まとめて大事なエッセンスを次々インストールしたい人にオススメなのはダントツでナオキマンである。
このふざけた名前の方は動画編集、インタビューともに秀逸で、間違いなく日本人に対しての「気付きのメッセンジャー」としてセンター的な役割を担っているだろう。
「スピリチュアルの電波塔」だとイメージしていただければ分かりやすいかもしれない。
霊的な感性に乏しい左脳人間は取り敢えずナオキマンのYoutubeを視聴することを強く薦める。

また最近知った中では悪魔祓い師トシという方との対談動画が出ている。
この方も非常にわかりやすく芯をとらえており、きちんと三次元世界に足を置いて話してくれる。最近の自分には一番のお気に入りだ。

以上、数多あるスピ系動画などある中で、私の感性に響いたいくつかを勝手にご紹介させていただいた。

スピリチュアルの基本構造は、存在の本質が魂であり、三次元世界は学びの場。三次元世界で学ぶためにこの身体があるわけで、身体はとても大事なもの。

身体は常に大いなる存在からのスパイラルエネルギーを受けているため、身体と向き合うことが、根本への回帰の入り口となる。ヨーガがその好例だ。

我々も我々を包括する環境も全ては成るように成っていて、それらの大いなる流れや意思を掴んで善なる意志と行動を能動的に行えるようになることが即ち魂の浄化だ。

我々が三次元世界で行っているのはまさにこの魂の浄化に他ならない。だから、今生とは一切皆苦なのだ。
我々はそもそも浄化するために生きているのだから、楽や幸せばかりではないことは自明だろう。

しかし、どんな状況にあっても仲間と共に協力し生きていくことで、我々は魂の浄化を行いながら、初めて「光」を知ることができるのだ。

光を知ったなら、自分自身も世界そのものも全てにその光が注いでいることに気がつけるだろう。
これがいわゆる「悟り」と呼ばれる境地である。

全てが完璧なんだと、全てが成るように成っているのだと理解したとき、我々の魂はようやくにしてその役割を悟ることができるのだ。

そうすれば、もう三次元での浄化も修行も必要ないだろう。我々はこうしてアセンションつまりは次元上昇していくのだ。

今現在、まさにそのタイミングがやってきている。我々は常にこの魂を磨いておかねばならないし、身体は常に清く軽やかに保っておかねばならない。全ては次なる世界で次なる生を楽しむために。

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最後はちょっと現実へ引き戻すが、この2024年は大体において「ホンマかいな」といった感じで凪として過ぎていくかもしれない。
しかし、平穏無事で無風の日常がいかにありがたいものであったかを、我々は来年以降骨身に沁みて理解していくことになるだろう。

これは予言でもなんでもなく、宇宙のリズムとして当たり前に起こることであり、既に夥しい数のメッセージが霊言などとして主にYoutube上に開陳されている。

我々は実際の災害に備えつつ、なぜそれが必然的に起こるのかを理解しなければならないし、その後に振る舞う自身の魂と身体の行動を一つの「構え」として自らの腹に据えておかねばならないのだ。

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日本はこれからまだ二、三段階、下降する。人心は荒廃し種々の対立も深まるだろう。
政治はさらに腐敗を極め、日本は米国、中国を筆頭に多国籍企業に食い荒らされ、欧米諸国では反対されることがことごとく日本に持ち込まれ、さながら大きな人体実験場の体をなすだろう。

とはいえ、それは既に今もそうなっていて、ほんの少し目を凝らせば分かることなのだが、まだまだ日本人の大半は完全に睡眠状態のまま奴隷化している。

もはやそれを嘆くまい。
これまで心ある人々が「目覚めよ、目覚めよ」と言ってきたのにもかかわらず、日本人の大半はそれらに無視を決め込み、興味関心すら寄せてこなかったのだ。

これは私も含め、日本人の大人の責任である。
これから我々に起きることは全て贖罪である。

しかし、それらを経て、我々は目覚め、世界を目覚めさせていくのだという。

私はそれを信じているし、信じたい。

我々は我々が思うほどに愚かではない、はずだと。

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