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アートフェア参加から考えるアーティストの近未来。

9月1日から開催していた、三越銀座での小さなアートフェアが終わった。今日からは第2弾が始まっている。
今回は会場全体でも売上が渋く、私自身も激シブだった。第2弾で挽回できるか否か。私は知らない。

思えば、今年の4月に行われたアートフェアから業界を取り巻く空気の変化を感じていた。

まず、コレクターが来なくなった。
見る人の層が変わり、そもそもの来場者数も激減した。

無論、私が在籍しているプラットフォームが飽きられたということもあるだろう。
なにしろ何をもってして“現代”を標榜するのか分からない“アート”がいくら空間を埋め尽くしたとて、もしそこに少しでも知的な営みを期待する人がいたとしたら、とても満足させられることはできないだろう。

とはいえ、その有象無象ぶりがちょうど良かった時期もあった。
そんな時は、オムニバスのように人それぞれの琴線に触れるような多様性があったと思う。

しかし、限られた時間内で設置と撤収を行い、回を重ねるごとに数的動員として磨耗させられていくアーティスト側は、やがてコストを下げることで自身のバランスを保つようになる。人間だから当たり前だ。これはアーティストの「人権」の話である。

そのようにして現場のクオリティーにも独自性が失われ、平板化した内容ではブランドが集まる既存の大きなアートフェアに太刀打ちできるはずもないのであった。

また同時期、大手オークション会社サザビーズでの取引額が伸び悩み、コレクターがアート自体から離れているというニュースも気を引いた。

以上の視点から今回出展した三越銀座との共同アートフェアを考えてみると、現状理解への助けになるだろうと考え記録する。

一昨年あたりはギャラリーとデパートとのコラボレーションや、デパート単体での“現代アート”フェアが目立っていたように感じた。
しかし、新コロの影響で思ったような成果が上げられなかったのだろう。
今ではその名残りすら見られない。

新コロはいきなりだったので計画を変えるわけにもいかず、そのまま走らせたというのが現場の判断だったのではないだろうか。
しかし、それでも緊急事態宣言の合間を縫ってはなんとかイベントは開催され、その都度溜まった鬱憤を晴らすかのように人々は喜んで密集地に突っ込んでいった。

結果、新コロ感染者は激増し、いつまで経っても終わらない“緊急事態宣言”が人々の精神を蝕み社会を疲弊させていったように思う。
次いで現在は中国危機を煽られる中、マイナンバーを通した管理統制強化と超重税社会への不安と諦めという真っ黒い雲が、我々の想像する未来をすっぽりと覆い隠してしまっている。

年々顧客を減らすデパートでは“刷新”の二文字が空回りするように、空虚な“現代アート”がなんとなくフロアを埋め始めた。
老舗デパートの“箔”をつけたい現代アートギャラリーと、なんとなく新しくなったと思われたいデパート側とのニーズは一致していたが、それはさながら老害が自分自身を省みず変えることもないまま手を繋いでみたかのような様相であり、醜悪の一言に尽きる。

その証拠に、昨年アートフェアでの成功を見込んで行った数ヶ月後の三越銀座でのアートフェアは、初日から大変な閑古鳥であり、それは今年も同じようなものだった。
無論、今年は一応、去年の反省を活かし土日に初日を持ってきたり、14時以降は入場規制を取り払ったために来場者数は去年より多かったし、免税階の強みを活かした中国人の爆買いもあった。とはいえ、やはり入場規制中のVIP来場者数はVIPという名に泥を塗るほど寒い風が吹き荒んでいたのは事実である。

それは今年4月のアートフェアも同様で、VIPなど無くしてしまえと言いたくなるほど、だだっ広い空間に作品と良縁を期待するアーティストがポツネンと立ち尽くすだけの大変にお寒いオープニングであった。

日本で“現代アート”が注目されたのはやはり村上隆の作品が海外オークションで評価されたのが大きなきっかけだったろう。この時初めて「アートマーケット」なるものが社会やプレイヤーに広く認知され、いつしかバブル後冷え込んでいたアーティストの金銭的未来に光が当たり始めたかのように思われた。

しかし内実はただの厳しい競争原理と己の擦り減らしだけが待っていて、爆発的に売れたと思ったら作風を変えられずに苦しみもがいて病んでは消えてゆくアーティストが後を絶たなかった。

それでもミレニアムの上機嫌は9.11、3.11を経験してもなお治らず「カネを稼いでこそのアーティストなのだ」という金科玉条は廃れることがなかった。

欧米人価値観の牙城であるアートマーケットにおいて、日本人でも村上隆に次いで奈良美智や名和康平など色々な有名人が出てきて、更には松山智一という若手もNYから自力で萌芽してくる中で脈々と日本人の現代アートマーケットでの道筋がつけられていくかのように見えていた昨今、今や世界は「アートどころではない」というのが本音のようだ。

理由は戦争や環境危機など色々あげられるだろうが、おそらく、空虚なお祭り騒ぎは終わったのだ。

私はむしろ安心している。
“アート”も“現代アート”も私は呼称として気に入っていない。

美術作家、藝術家、アーティストの行いは「社会的な表現活動」である。
同時代に生きてやむにやまれぬ衝動と情念から紡ぎ出される表現活動は、まさに今を共に生きる他者へ向けられた共感への呼び掛けであり、それがためにその表現は厳然と社会的な活動であると言えるのだ。

アーティストは個人だが、対象は常に同時代に生きる同民族であり、その形成社会であり、更には最も遠い関係性にある他者を含む、全人類だ。

しかし、そんな表現活動はいつしか力を失った。

そもそも現代アートは哲学的で難解なものであったはずだ。それがためにある近寄り難さがあり、事実、訳知り顔した人たちの密やかな教養のような趣があったと思う。
それが2000年代に入っていきなりミレニアムの乱痴気騒ぎに加わるようになり、いつしかアートはファッションやジュエリーのようなラグジュアリーな文化へと変貌を遂げた。村上隆が出てきたのはちょうどこの辺りだろう。

そこからダジャレやヘタウマのようなちょっとクスッとさせるものが日本では好まれていったように思う。
まだまだマーケット規模が小さい日本では、とにかく敷居を低くしようと感覚的、視覚的な見方から鑑賞者すべてを肯定するようなものへと変化していき、ついにはイラストっぽいなどではなく、完全なる“イラスト”がアートになった。

今では“アート”も“現代アート”も至極便利な言葉として成り下がり、ついに最底辺の局地へと着地した感がある。

何でもかんでも“アート”で“現代アート”だ。敷居は低くなりすぎて踏まれて磨耗しもはや見えなくなっている。

知的な楽しみという面は極限まで薄れ、単に手持ちの空間を適当に彩る「便利な買い物」にまで成り下がった。
私のプラットフォームではとくに10万円以内くらいの絵画が人気だ。誠に丁度いいのだろう。

「便利な買い物」は空間が埋まればそれでおしまいなのだ。しばらく買い替えることもない。
“コレクター”なるものは今は別の方向を向いているのだろう。しかし私にはどこを見ているかも分からない。

思うに、アートや芸術というものは、そもそもの原点に立ち返る時がきているのだと思われる。

適当なものでもなく、ニーズに合わせたものでもなく、カネ目当てに制作されるものでもなく、ただ、同時代を生きる人間が、やむにやまれず行う表現活動へと、立ち返る時がきている。そんな気がするのだ。

戦中の小説家たちは相互扶助の精神で団結した。よもや文化、文学そのものが消えてしまうという焦燥感に駆られていたに違いない。
戦後はその団体がアカデミアを形成し若手を輩出していった。

現在のアーティストもまた、これまでのように切磋琢磨し少ない牌を奪い合うライバルではなく、共に手を携え生き残りに賭ける同士になっていくのではないだろうか。

売れたモン勝ちな世界ではなく、皆、思うように思うまま表現し、協力もする、そして作品の発表のみに捉われず、あらゆる求めに応じて自らの創造性を惜しみなく社会へと還元させていく、そんな集団になっていくのではないかと、私は考えている。

これからは「地球で協力して生きる」ことが、少なくとも日本ではとても大きなキーワード、身に迫るキーワードになるだろう。
そんな時、確かな観察眼と三次元的実現力を備えた、「アーティスト」という比較的自由な存在が、とても重要な役割担っていくこととなるはずだ。

今回は台湾行きが目前に迫る中での展示になり、正直、断ろうとしたが断れなかった中での参加だった。
しかし、やはり展示は展示。その時できうることをやり切れば、それに見合う学びと思考があるものだ。

今回の展示で得た感想も、今後の活動の糧として精進していきたい。

余談だが、上記写真は会場で「ビッグバンですか?」と聞かれた作品。
無論、受け取り方は自由だし、それを作者に聞くのも良いことだし自身としても嬉しいことだ。

しかし、アーティストはもちろん、その表現にも、“思考”というものが必ず介在しているということを、ほんの少しでいいから考えてみるともっと面白く感じられるかもしれない。

もしかしたら、作者にとっては「目の前にあるものが見たままの意味を持つものではない」かもしれないからだ。

そもそも鑑賞行為には受け取り手の自由が優先されるため、作者の目線がかならずしも“正解”ではないにしろ、「鑑賞行為とは作品を見ることで自身の内側を照射すると共に、作者の思考を受け取る行為である」という側面もあるということはきちんと記しておきたい。

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