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作家『J・D・サリンジャー』紹介

過去にnoteに投稿した作家関連の過去記事のリンク。

そして次の記事は映画関連なのですが、SF作家『アーサー・C・クラーク』にも触れているので。

今回は、一番上の『ハーパー・リー』の記事でも少し触れている『サリンジャー』についての記事です。

まず代表作について。

『ライ麦畑でつかまえて』の概要

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The Catcher in The Rye.J.D.Salinger.

『ライ麦畑で捕まえて』J.D.サリンジャー 野崎孝 訳

『キャッチャー・イン・ザ・ライ』J.D.サリンジャー 村上春樹 訳

上の野崎孝訳の方が知られているとは思います。しかし、2006年に人気作家『村上春樹』さんによる翻訳版が出版されました。

1949年頃 サリンジャーは、コネチカット州ウェストポートに家を借り執筆生活に専念、『ライ麦畑でつかまえて』の執筆を開始。
1950年秋『ライ麦畑でつかまえて』が完成。当初ハーコード・プレスから作品は出版される予定だったが、「狂人を主人公にした作品は出版しない」という理由で出版を拒否される。結局リトル・ブラウン社から刊行された。
文壇からは賛否両論があり、また保守層やピューリタン的な道徳的思想を持った人からは激しい非難を受けた。
しかし主人公ホールデンと同世代の若者からは圧倒的な人気を誇り、2007年までに全世界で6000万部以上の売り上げを記録。現在でも毎年約50万部が売れているとされる。

これだけの大ベストセラーなのに、なぜ『ライ麦畑でつかまえて』の映画化(映像作品化)はないのか?

『ナイン・ストーリーズ 』J.D.サリンジャー 野崎 孝 訳

1950年1月 短編小説『コネチカットのひょこひょこおじさん』(『ナイン・ストーリーズ』収録作品)映画化『愚かなり我が心』をハリウッドのサミュエル・ゴールドウィンが全米公開する。

My Foolish Heart.Original 1949 Movie Trailer.

映画『愚かなり我が心』1949年公開 監督 マーク・ロブソン 脚本 ジュリアス・J・エプスタイン、フィル・G・エプステイン 出演  スーザン・ヘイワード、ダナ・アンドリュース、ロイス・ウィーラー、ロバート・キース他

しかし、映画の評判は芳しくなかった。

何よりもサリンジャーもこの映画を見て激怒。それ以来自分の作品の映画化を一切許可することはなかった。

しかしこの映画の主題歌『愚かなり我が心』(ヴィクター・ヤング作曲)は、

My Foolish Heart.Billy Eckstine.1950

1950年 ビリー・エクスタインの歌唱でヒット。

以後、ジャズのスタンダードナンバーになる。

My Foolish Heart.Bill Evans.1961

『ワルツ・フォー・デビー』ビル・エヴァンス・トリオ

ジャズ・ピアニスト『ビル・エヴァンス』による1961年ヴィレッジ・ヴァンガードでのライブ演奏が秀逸。

短編集『ナイン・ストーリーズ』と『バナナフィッシュにうってつけの日』

1953年 短編集『ナイン・ストーリーズ』発表。
サリンジャーが雑誌に発表した短編は多いが、単行本として刊行されている短編集は本作のみ。

『コネティカットのひょこひょこおじさん』は本作2編目に収録。
短編の原作を映画化するために、原作に存在しないキャラクターやシーンが追加され、情緒的で感傷的な作品となり、批評家から酷評された。
「ハリウッドではひどいめに遭った」 ー サリンジャー

しかしここで注目して欲しいのは、

『バナナフィッシュにうってつけの日』 ー 本作1編目収録。

『シーモア・グラース』が初登場する、一連のグラース家物語の嚆矢。
本作は『ザ・ニューヨーカー』誌に1948年初出。同編集部に高く評価され、サリンジャーが作家として注目されるきっかけにもなった短編作品。

〜ネタバレ〜

ビーチでは黄色い水着を着た幼女シビル・カーペンターが母親にサンオイルを塗られながら、「もっと鏡を見て(See more glass)」と何度も繰り返している。
シビルは砂浜の上で仰向けに寝転がっている青年シーモアと出会う。
2人は数日前からお互いが同じホテルに泊まっている、という程度の顔見知りである。
シーモアはシビルにバナナフィッシュをつかまえようと提案して海に入る。
バナナフィッシュはバナナが入っている穴に泳いでいく魚だと説明し、今日はバナナフィッシュにうってつけの日だと言う。
波がやってきて2人を襲うと、シビルは「バナナフィッシュが一匹見えた」と言う。
部屋に戻ると、妻は眠っている。
彼女を見つめながらシーモアは拳銃で自分のこめかみを撃ち抜く。

シーモアの唐突な自殺で幕引き。

〜ネタバレ終わり〜

以降シーモアの家族グラース一家(父母、5男2女兄弟)がいろんな作品に登場するようになる。これら連作を『グラース・サーガ』と呼ぶ。

シーモアはグラース家の長男で、彼の存在と彼の死が、他の『グラース・サーガ』での登場人物たちに大きな影響を与えている。

『ナイン・ストーリーズ』以降の『グラース・サーガ』①

『フラニーとゾーイー』J.D.サリンジャー 野崎 孝 訳

『フラニーとズーイ』サリンジャー  村上 春樹 訳

1961年 連作2編『フラニー』と『ゾーイー』を1つの本にまとめて刊行。

『フラニー』 ー グラース家の末っ子である女子大生。
『ゾーイー』 ー フラニーのすぐ上の兄で俳優。

ストーリーはこの二人をめぐる1955年11月のある土曜日の午前中から、翌週の月曜日にかけての展開。

池澤夏樹(作家) ー 「アメリカ青春小説を一冊選んで下さい」の中で『ゾーイー』を取り上げ、「青春小説を書くには特別の資質が必要で、それがサリンジャーにはある」と語っている。

『フラニーとゾーイー』は、これまでサリンジャーが個別に発表していた幾つかの短編が、実は「グラース家物語」というべき長大なサーガの一部であり、一家の次男で小説家のバディ・グラースが書き続けている「散文で書かれた一家の記録映画」であることが明かされた最初の作品である。

ストーリーテラー役の「バディ」は、小説家になって、田舎に閉じこもっているという設定。

『グラース・サーガ』②

『大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章 』J.D. サリンジャー 野崎孝、井上謙治 訳

『大工よ〜』初出1955年。『シーモア〜』初出1959年。

1963年 この二つの中編を1冊にまとめて刊行。

『フラニーとゾーイー』同様グラース家次男『バディ・グラース』が語り手役。

『大工よ〜』
長男シーモアが1942年の結婚式当日に「幸福すぎる」という理由から行方を眩ませ、花嫁となるミュリエルと一緒に駆け落ちのような形でハネムーンに旅立つ一部始終をバディの目線を通して語られてゆく。

『シーモア-序章-』
シーモアの弟でありグラース家物語の語り部であるバディが数々のエピソードとシーモアの手紙を交えて、兄シーモアの内面的本質と、グラース・サーガ最大の謎とされる『バナナフィッシュにうってつけの日 』の最後のシーンで、幸せの絶頂の中にいたはずのシーモアが自殺してしまう真相を解き明かそうと試みた独白。

***

『ナイン・ストーリーズ』収録の『バナナフィッシュ〜』から単行本刊行順に読むと、作者サリンジャーの意図が次第に見えてきます。

つまりグラース家長男シーモアの自殺の真相に興味を持たせ、順番に兄弟たちのエピソードを紹介し、そこにシーモアの思い出を絡めて、自殺の真相に近づいていく。

しかしさらに本当の意図は『シーモア・グラース』という人物への興味・関心を読者に喚起させることではないだろうか?

その後も同シリーズの刊行が続くものと思われた。

『グラース・サーガ』③

『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる/ハプワース16、1924年 』J・D・サリンジャー 金原 瑞人 訳

日本で現在手に入るこちらの単行本に収録されている「ハプワース16、1924年」

1965年 『ハプワース16、一九二四』(中編小説)サリンジャーによって、雑誌『ザ・ニューヨーカー』に発表。

『グラース・サーガ』最終作どころか、サリンジャーが生前に発表した最後の小説。そして米国では現在に至るまで単行本化されていない。
※一説によると、書評家 ミチコ・カクタニによる酷評が雑誌に掲載され、これにショックを受けたサリンジャー自らが企画を取り下げたと言われている。

・内容紹介
グラース家長男、7歳のシーモア・グラースが、1924年の夏休みにメイン州のキャンプ地・ハプワースに来てから16日目に家族に送った長い手紙。
1965年に弟バディがその手紙をタイプライターで書き写しすという形式。
シーモアの、キャンプ地の大人たちに対する批判意見、文学作品や哲学に対する考察、自身の性的欲求などが、7歳児としてはありえないほど高等かつ饒舌な文体で語られている。

『大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章 』からかなり怪しかったけど、内容的には完全シーモア主観の個人的手紙に徹しているので、一般の読者が読んで楽しむ『小説』としても破綻。

しかし、『グラース・サーガ』最終作として、そしてシーモアという人物への関心を喚起するというテーマの刊行順の流れだと自然だとわかる。

ただし『グラース・サーガ』の代表作を一応読んでいないと意味不明だし、テーマも難しすぎるし、何よりも結局シーモアの自殺の理由が明らかになっていない。

サリンジャーはライフワークとまで言われた連作『グラース・サーガ』を、一つの作品として完結させることに失敗、もしくは挫折したと僕個人は思っています。

これを最後にサリンジャーは作家業から事実上引退。

その後のサリンジャー

1967年にクレアと離婚。(クレア・ダグラスという1955年に結婚した最初の妻)
1972年に当時18歳だったジョイス・メイナードと短期間同棲。
1990年頃からは約50歳年下の看護婦と結婚生活を送っていたという。

サリンジャー事件 1985年

『サリンジャーをつかまえて』イアン ハミルトン 海保眞夫 訳

1985年
作家・評論家のイアン・ハミルトンが、テキサス大学でサリンジャーの書簡多数を発見し、これをもとにサリンジャーの伝記を書いた。
しかし校正刷りの段階でサリンジャーが異議を申し立てて裁判を起こした。
ハミルトンは二度書き直したものの、サリンジャーはニューヨークの法廷に姿を現し、一審でハミルトン側が勝ったが、二審で覆り、結局ハミルトンはサリンジャーの書簡を引用しない版を刊行した。

1995年
イランの監督ダリウシュ・メルジュイは、無許可で『フラニーとゾーイー』を映画化し、パリで公開。
この映画は合衆国と著作権関係がないため、イランで合法的に配給される可能性があり、サリンジャーは彼の弁護士にリンカーンセンターでの1998年の計画された上映を阻止させた。
メルジュイはサリンジャーの行動を「当惑させられた」とコメントし、彼の映画を「一種の文化交流」と見なしたと説明した。

1996年
サリンジャーは小さな出版社であるOrchises Press(オーキシーズ・プレス)に、『ハプワース16、1924』を出版する許可を与えた。その年に出版されることになっていて、作品リストはAmazon.comや他の書店に掲載された。
記事の急増と物語の批評的なレビューがマスコミに掲載された後、無期限延期された。

2009年6月
サリンジャーが代表作「ライ麦畑でつかまえて」の続編出版を予定している著者と出版社を相手取り、著作権侵害で提訴した。
続編はタイトルが「60 Years Later: Coming Through the Rye」著者は「J.D.カリフォルニア」となっている。
スウェーデンの出版社、Nicotextから9月に出版される予定だった。
サリンジャーは、マンハッタン地区連邦裁判所に提出した訴状で「続編はパロディではないし、原作に論評を加えたり、批評したりするものでもない。ただ不当な作品にすぎない」と述べ、続編の出版差し止めを求めた。
2011年 事件は解決され、「J.D.カリフォルニア」は続編の本、電子書籍、その他の版を、米国またはカナダで出版またはその他の方法で配布しないことに同意した。

2010年1月27日 サリンジャーは、ニューハンプシャー州コーニッシュにある自宅にて老衰のため死去。

その後のサリンジャーに関する伝記と関連映画

『サリンジャー ――生涯91年の真実』ケネス・スラウェンスキー 田中啓史 訳

Rebel in The Rye- Official Trailer I HD I IFC Films

映画『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』2017年公開 監督・脚本 ダニー・ストロング 出演  ニコラス・ホルト、ゾーイ・ドゥイッチ、ケヴィン・スペイシー、サラ・ポールソン他

ケネス・スラウェンスキーによる伝記を基に映画化。

Coming Through the Rye Official Trailer 1 (2016) - Alex Wolff Movie

映画『ライ麦畑で出会ったら』2016年公開 監督・脚本 ジェームズ・スティーヴン・サドウィズ 出演  アレックス・ウルフ、ステファニア・ラヴィー・オーウェン、クリス・クーパー、ジェイコブ・ラインバックほか

本作はサドウィズの映画監督デビュー作となった。
1969年16歳のジェイミー・シュワルツは『ライ麦畑でつかまえて』を舞台化することを計画し始めた。
台本を書き上げたジェイミーは、上演するためには原作者であるサリンジャーの許可が必要だと知る。
そこで、ジェイミーはサリンジャーに会うためにニューハンプシャー州へと旅をすることに。
道中、ジェイミーはディーディーと名乗る同年代の女の子と出会い、彼女が旅に同行することになった。
旅を通して、ジェイミーは期せずして人生の意味を知ることになった。

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