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Appleの広告戦略について Apple映像CMおよびキャッチコピー

以前にQuoraで回答を作成したある質問。

質問『Apple が広告に使っている音楽はイケてると思いますが、どうやって探していると思いますか?』

この回答を大幅加筆しました。

今回の記事に関してはAppleという会社、および『スティーブ・ジョブズ』と広告との関わりについてです。

AppleのCM曲は確かに『イケてる』のが多いですが、広告なので広告代理店が担当してると思います。
著作権やタイアップなど、いろんなクリアしないといけない問題があると思うので。

ただ、スティーブ・ジョブズ自身は若い頃から音楽好きでした。(これは有名な話)
大学生の頃はいかにも70年代のアメリカの若者らしく、『ビートルズ』『グレイトフル・デッド』などを聴きまくっていたそうです。
だからこそのちにiTunesやiPodなどの音楽配信や音楽携帯デバイスなどの音楽関連のアイデアも浮かんだはず。
またジョブズは、音楽だけでなく、映像と融合したCMというものに結構拘っていました。

Appleは過去にいくつか、革新的とも言えるCMや広告展開をリリースしてきています。

画期的だった初代MacintoshのテレビCM『1984』

1984 Apple's Macintosh Commercial (HD)

1984年 Appleから発売された初のMacintoshコンピュータ128Kの発売を記念して、『リドリー・スコット』が監督したテレビCM。
広告の傑作と呼ばれている。
ジョージ・オーウェルの小説『1984年』の世界観を基にされており、60秒のCMである。
・『アンヤ・メジャー』=実際の円盤投げの選手。
・『デヴィッド・グラハム』=『1984年』におけるビッグ・ブラザー役で出演。

『発売商品を見せず、具体的に説明しない』ことで、広告史に名を残している。

『CHIAT\DAY』(ティービーダブリューエー\シャイアット\デイ)

当時のAppleの広告代理店である。

1982年 「1984年が小説『1984』に描かれているような年にならない」というキャッチコピーで、すでにApple IIの広告をデザインしていた。
しかし、このApple Ⅱの広告は『ウォール・ストリート・ジャーナル』に向けたもので、一度も放映されることはなかった。

1983年 スティーブ・ヘイデンとブレント・トーマスがMacintoshの広告のためにこのキャッチコピーを復活。
CHIAT\DAYが絵コンテを作成した。
広告がAppleに提示されると、当時の最高経営責任者の『ジョン・スカリー』は消極的だった。
しかしスティーブ・ジョブズはMacintoshという製品が、急進的で革新的なテレビCMに値すると考えていた。
ジョブズに説得されたスカリーは、2人ともCM撮影の許可を出す。
その後、スーパーボウルの60秒と30秒の2つの広告枠を購入した。

『リー・クロウ』氏=大手広告代理店『TBWA/Media Arst Lab』を設立し、メディアアーツ担当グローバルディレクターおよび会長を務めた人物。
広告業界入りして約50年、うち30年以上ものアップルとのパートナーシップ。

『リドリー・スコット』監督

・1979年 映画『エイリアン』

Alien Trailer HD (Original 1979 Ridley Scott Film) Sigourney Weaver

映画『エイリアン』Alien 監督 リドリー・スコット 脚本 ダン・オバノン
出演 トム・スケリット、シガニー・ウィーバー、ヴェロニカ・カートライト、ハリー・ディーン・スタントン、ジョン・ハート、イアン・ホルム、ヤフェット・コットーほか
公開 1979年5月25日

・1982年『ブレードランナー』

Blade Runner (1982) Official Trailer - Ridley Scott, Harrison Ford Movie

映画『ブレードランナー』Blade Runner 監督 リドリー・スコット
脚本 ハンプトン・ファンチャー、デヴィッド・ピープルズ
出演 ハリソン・フォード、ルトガー・ハウアー、ショーン・ヤング、エドワード・ジェームズ・オルモスほか
公開 1982年6月25日

などのヒット作で注目を集めていた映画監督。

『エイリアン』と『ブレードランナー』を監督したリドリー・スコットが『1984』と『アローン・アゲイン』と呼ばれるLisaの広告の監督に起用された。
『1984』では、スコット監督は、映画『ブレードランナー』と同様にフリッツ・ラングの映画『メトロポリス』から一部発想を得ている。

Metropolis (1927) Trailer #1 | Movieclips Classic Trailers

映画『メトロポリス』Metropolis 監督 フリッツ・ラング
脚本 テア・フォン・ハルボウ、フリッツ・ラング 製作 エリッヒ・ポマー
出演 ブリギッテ・ヘルム、アルフレート・アーベル、グスタフ・フレーリッヒほか
公開 1927年1月10日

『メトロポリス』は、フリッツ・ラング監督によって1926年製作、1927年に公開されたモノクロサイレント映画。
ヴァイマル共和政時代に製作されたドイツ映画。
製作時から100年後のディストピア未来都市を描いた映画。
以降多数のSF作品に多大な影響を与え、SF映画黎明期の傑作。
また、前年の1925年に製作された『戦艦ポチョムキン』と並んで、当時の資本主義と共産主義の対立を描いた作品でもある。

スティーブ・ジョブズとジョン・スカリーはAppleの取締役会にテレビCMを提示したが、評価は予想通りではなく、誰も高く評価しなかった。
取締役会が『1984』の公開に反対していた本当の理由は、取締役会がIBMに立ち向かう自信がなかったからだ。
※『1984』Macintosh CMにおいて『ビッグブラザー』はIBM、アスリートは『Apple』および『Macintosh』を暗喩している。

商業的に失敗した場合に問われる責任から自分を守るために、スカリーは『ウィリアム・V・キャンプベル』(マーケティング担当副社長)と『E・フロイド・クヴァム』(マーケティング・営業担当副社長)にテレビCMを放映するための決定を委任した。
結局、キャンベルとクヴァムは『1984』CMを、1500万ドルの予算をかけたMacintoshの100日間の大々的なプロモーションキャンペーンに含めて放送することにした。

 CM『1984』の放送および評価

1984年1月22日 第18回スーパーボウルは、タンパ(アメリカ合衆国フロリダ州中部のメキシコ湾側のタンパ湾の奥部に位置する都市)のタンパ・スタジアムでワシントン・レッドスキンズがロサンゼルス・レイダースと対戦した。
『1984』は、CBSのハーフタイム後の最初のコマーシャルブレークであるサードクォータータイムの初めに放送されている。
この時の視聴者は9,000万人以上と推定されている。
『1984』放送直後は、CM内で言及されたものの具体的に紹介されていない『Macintosh』というワード。
「『Macintosh』とは何なのか?」と、Apple、CHIAT\DAY、CBSへの電話が殺到。
当時のABC、CBS、NBCの3つの主要テレビネットワークが『1984』について言及し、夕方のニュースで繰り返すほどの注目を集めた。
CHIAT\DAYの見積もりによると、これにより500万ドルの広告を生み出した。
俗説とは裏腹に『1984』は複数回放送された。
1984年1月17日から数週間にわたり、広告代理店のスクリーンビジョンによって短縮バージョン(30秒)がアメリカの多くの劇場で放送された。

1984年1月24日のMacintosh発売から1週間後、何が起こるかわからないまま、Macintoshの幹部が月例の取締役会に招かれた。
部屋に入ると、役員からスタンディングオベーションを受け、『1984』の放映反対に関する間違いを認め、Macintoshの発売成功を祝福した。

『1984』はMacintoshの販売に好影響を与え、最初の100日間で7万台が販売された。
広告の効果は放送期間を超え、売上にも表れている。

2004年 Apple "1984" CMのリニューアル版

Apple "1984" CM_renewal_aptv

こちらはMacintosh発売20周年記念に伝説のCM 『1984』をリニューアル(パロディ)し、リメイクしたCM。
オリジナルと何が違うかというと、ヒロインであるハンマーを持ったアスリートが腰にiPodをつけている。

AppleはMacintoshの20周年を記念して、ヒロインのベルトにiPodが見える広告の修正版を制作していた。
2004年1月6日『1984』から少し手を加えたこのバージョンは、モスコーニ・センターで開催されたMacworld - iWorldの開会基調講演の際に公開された。
また、しばらくの間はAppleのウェブサイトでも公開されていた。

スティーブ・ジョブズAppleから解雇

1984年後半、ジョブズはMacintoshの需要予測を大幅に誤り、Appleは過剰在庫に悩まされ、初めての赤字を計上してしまった。

これによりジョブズは、当時のApple CEO『ジョン・スカリー』と対立する。

1985年5月31日 ジョブズは全ての業務から解任され、代わりに実権を持たない名目上の会長職を与えられた。
Appleでの仕事がなくなったジョブズは、新たなプロジェクトすら立ち上げられない状況にとどまることに絶望した。

1986年9月12日 ジョブズは、新しい会社NeXTを立ち上げるため、正式にスカリー宛てに辞表を送付した。

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