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立待月 第十話 (10/22)

十〈あやめ〉

 ブラジャーはしばらくノンワイヤーを使っていたのだが、前職の後輩から最近のはワイヤーブラのほうがいい! と聞いたのでしばらくワイヤーブラにしていた。しかし痛い。胸を強調する服なんか着ないから、やっぱりノンワイヤーでいいのかなという気がしていた。ちょうど木曜会なので、女子高校生の意見を聞いてみようと思った。

 今回の木曜会には三人の女子高校生がきた。話題になったのは香水の話だったので、わたしにはチンプンカンプンだった。そこで例の彼を呼ぶことにした。彼は典型的なフルタイム勤務だったので、仕事終わりでこちらに来ることになった。

それまでの間、ムダ毛処理の話や、バイトで扱っているエロ下着をプレゼントされそうになったが、用途がないので丁重にお断りした話などを語った。AVの話に関しては相手が高校生ということでいちおう自主規制した。それでもなお当然の流れか、いつしか女子会独特のえげつない話になった。

夜になり、例の彼が到着した。名前は甘木さんといった。本物の女子高校生を目の前にして目が血走っていたが、下半身に異常はなかった。まさか襲いかかりはしないと思ったので、そのままにしていた。すると彼は彼女らに対して、こうまくし立てた。

「君はイイ女系だから、クロエ! ただし、使ってる人多すぎだからかぶる可能性はあるが! 君はアリュールだ! ワンプッシュで濃すぎるからつける量には気をつけて! 君は断然マルジェラ! ただ値段が高いから、もしつけるならアトマイザーにわけてあげるよ! ついでにあやめさんはエスカーダのハート型のイビザヒッピーが合うはず!」

「――ついで」

 ついで扱いにされたわたしは単純にへこんだ。そのタイミングで、真由子さんと沙々ちゃんがあらわれた。その二人を見た彼は、

「大人の彼女にはバーバリーのウイークエンド! あどけなさの残る君がつけるには若すぎるが、あと五年したらカルバンクラインのエタニティかエスケープが合うはず!」

 それを言い終わったところで、冷静になった彼が、わたしの部屋の家具や小物に違和感を覚えたような様子で、部屋をすみずみまで見回した。

「あやめさんはアンティーク物が好きなんですか。とくに昭和アンティーク」

 甘木さんが意外なことに興味を示したので不思議に思った。

「うん、好きだよ。アンティーク雑貨のお店やりたいと思ってるくらい好き」

 彼はしばらく思案していた。三人の女子高校生は、黙ってなりゆきを見守っていた。

「お店やりませんか? アンティーク雑貨のお店 あやめさん求職中なんですよね?」

 と言って、小物をじっくりと見ていた彼はわたしのほうに向き直った。

最近ちょっとした用があって電話したときに、自分が半無職であることは彼に伝えていた。

「え? どういうこと」

 なにか明るい出来事が自分自身に訪れる気がした。

「どういうことかと言いますと――」

 彼は畳に直接腰をおろして、経緯を話し始めた。

「僕の祖母がアンティーク雑貨のお店をやっていたんですけど、今年の夏ごろ他界しまして、お店を閉めてしまったんです。でも、祖母がとっても大事にしていたお店ですから、誰かよい人がいたら、お店をお任せして、再開してもらおうかと考えていたんです。求人で探すような人ではなく、信用がある人に」

「まさに棚からぼたもち」

 人生に根拠は必要ない。

「よかったら一度お店を見にきていただけませんか?」

「いくー!」

「今日はもう遅いんで、日を改めて」

 三人の女子高生は、

「こんど香水見に行こうよ」

 などという会話をしていた。甘木さんおすすめの香水を試すのだろうか。いつになく濃い内容の木曜会はそれで解散になった。

 その週の土曜、わたしは彼と隣街の最寄り駅で落ち合った。学校と会社ばかりの街なので、土曜はすいている。こんな場所にお店があるとは思いもよらなかった。

 西口の大通りをまっすぐ進んで、右に曲がり、すこし進んだところの左側の角にそのお店はあった。ガラガラとガラス戸を開けて、店内に入った。

「うおーっ! すごい! これも! これも!」

 昭和アンティークの雑貨を目の前にして、わたしは興奮のあまり前後不覚におちいりそうであった。

「雇われ店長ということでいかがでしょう? 給料は――」

 と彼は条件を提示した。

「そ、そんなに!? やります! わたしやります!」

 まだまだ興奮はおさまらなかった。もはや武者震いしそうなほどであった。

「では、書類などはのちほど記入してもらうとして、これからある程度掃除やっちゃいますか? 二階に掃除用具がそろっていますんで」

「わかりました! あやめ、全力でやります!」

 掃除用具を取りに二階にあがると、店内に置けなかったであろう大型のアンティーク家具がほこりにまみれていた。わたしが掃除用具箱を開けると、ほこりが舞って、窓から差し込む光の行き先をあらわしていた。

ある程度の掃除が済んで、店の奥の式台に腰をかけて甘木さんとお茶を飲んだ。ありきたりだが、人生は本当になにがあるかわからない、などという話しをした。早くみんなに知らせて、早くみんなに来てほしいと思った。

「では、お店の鍵をお渡ししときますね。お店の名前と定休日、検討しておいてくださいね!」

 彼とはお店で別れた。わたしは店に残って、だいたいの物の位置を覚えておこうと考えた。家に帰って、まず真由子さんに今回の話を伝えなければと思った。

わたしはここまでの道のりを逆戻りした。真由子さんは家にいて、夕飯の支度をする前だった。

「そう。それはよかったわ。あやめちゃんと仕事できなくなるのは残念だけど――わたし頑張らなきゃ」

「――すみません、こんなことになってしまって」

「ううん、あやめちゃんがあやまることじゃないわ。もともとわたしがわがままを言ってお願いしてたことだし」

 真由子さんはいつもどおりおだやかである。真由子さんと暮らすなかで、わたしも少しはおだやかになったのだろうか。

「作業場の片づけしてきます!」

 いまのうちに片づけをしておかないと、だらだら切なさが続くことになると思った。

 作業場に入ると、目に映るものすべてがひっそりとしていた。作業テーブルの上には、名前シールに菖蒲と書いて貼った自分専用のハサミや、カッター、定規、サインペンなどが無造作に置かれていた。

ハサミを商品に同梱してしまって回収した思い出や、色を間違ったり、サイズを間違ったり、単純な発送ミスをした思い出や、カッターで納品された商品まで一緒に切ってしまった思い出などが一気にあふれてきた。わたしはシールはがしを使って、自分の名前シールをはがしにかかった。もしつぎにこれを使う人がいるのだとしたら、それはいったい誰なんだろう。シールをはがすたびに、ひとつずつ自分の居場所がうばわれていくような気がして、なんだかとても悲しい気持ちになった。鼻の頭がきゅっと締まって、涙が流れてきた。不意に庭を見ると、花壇に咲いたカトレアが夕焼けに輝いていた。

突然ある考えにたどりついて、真由子さんのところに行って、

「ふと思ったんですけど、亜由美ちゃんなんかどうですかね? 夕方だけ、ちょっとバイトをお願いするとか」

「それはいいアイデアかもしれないわね。いつでもかまわないから、ちょっと亜由美ちゃんに聞いてみてね」

「わかりました」

 作業所の片づけを済ませたあとの勢いで、ガーデンライトを頼りに庭の草取りにかかった。ずいぶん放置していたので、なかなかやりがいがある。鼻歌を歌いながら、草取り鎌を上手にあやつった。その技術には自信がある。


   うちの裏のせんざいに

   すずめが三匹とまって

   一羽のすずめのいうことにゃ

   おらが在所の陣屋の殿様

   狩り好き酒好き女好き

   わけて好きなが女でござる

   女たれがよい枡屋の娘

   枡屋器量よしじゃがうわばみ娘

   枡ではかって漏斗で飲んで

   日がないちにち酒浸り

   それでも足らぬとて返された――


「なんでそんな物騒な唄、歌ってるんだ。横溝正史の悪魔の手毬唄だろう」

 草取りの途中、セイが突然現れた。

「よくわかったね! 金田一シリーズの名作だよ。気分的になんか自然と出てきた。どうしたの急に?」

 こういう小ネタはわかってくれる人がいるととても嬉しい。

「欽さんのところにベースの楽譜を借りに行った帰りなんだ。なんとなく寄ってみた」

「なるほどね。ベースは調子いいですか」

 と言いながら、まとめてざっと草を刈って、麻袋に放り込んだ。

「いや、まったくだね。わっさんの娘さんいるだろう? その子がとてもベースが上手でな。レベルが違いすぎて、やる気をなくしそうだ」

 セイが庭に突っ立ったまま、なんの仕草も交えずに言った。仕草からなにも読み取られないようにしているようだった。

「ふーん。会ったことない。かわいい?」

 自分が気にしていることをそのまま口にした。なんと答えが返ってくるのか楽しみであった。その答えによっては鋭く突っ込む必要がある。

「亜由美ちゃんと友達だからな。そのうち会うだろう」

 うまく逃げたなと思った。わたしはおとなしく流すことにした。

「セイにいわなきゃいけないことあるんだけどさ、聞く?」

 さっきからわたしはしゃがんだままだった。自然とセイを見上げる形になっていた。

「いや聞くよ。なんでそんなもったいぶるの」

 わたしは立ち上がって、ズボンについた土や草を払った。

「雑貨屋で働くことになりました! 雇われ店長ですが!」

 セイは一瞬なにが起きたのかわからないといった様子で抜けた顔をしていた。

「おーっ! やったじゃないか! 雇われ店長? いや、素晴らしいよ!」

 わたしは提示された勤務条件を説明した。

「いいじゃないか。よくそんないい条件の仕事見つけたな」

 甘木さんのことなど今までの流れについておおまかに話した。泊まったことやサブウェイを食べたことなどについては一切口をつぐんだ。

「なにか僕にできることがあったら言ってくれ。全力で協力する」

 セイは自分のことのように生き生きとしていた。

「オープンはいつなんだ?」

「今週の日曜日!」

「もうすぐだな。店の準備は完璧なのか」

「完璧。しっかり掃除したよ」

「では、フライヤーを作って配ろう。開店記念と言うことでフライヤー代は出す。写真は僕が撮るから、デザインは演くんに頼もう。彼はデザインの学校に行ってるからな。実際プロ級の腕前だ」

 わたしは頭のなかで勝手にフライヤーをデザインした。センスがないので出来上がりはまったく違ってくると思うが、胸が躍ったには違いなかった。

「ひゃーっ、盛り上がってくるねえ! 自分のことじゃないみたい!

「たいてい物事がうまくいくときはそんな気がするもんだ! よし、今日は寿司に行こう! 回らないやつだ! もちろんおごりだ!」

「ほんとっ! 回んないのはもう何年前だかわからないくらいひさしぶりだよ!」

「欽ちゃんから何分か歩くとあるだろう? 田舎鮨だ。そこに行こう」

 草取りの片付けはほったらかして、すぐに着替えてちゃっちゃか身支度を整えた。けものが山に放たれたような喜びを感じながら、鮨屋までの道のりを楽しんだ。

 田舎鮨に着くと若大将が迎えてくれた。若大将はちゃらちゃらしているが、実はしっかりしていて、嫁持ちの子持ちであった。

刺身盛と握りをいくつか出してもらった。テーブル全体が輝くようであった。

「もうあやめは仕事のことに関して苦しむことはなくなるな。減るばかりの貯金通帳とはさよならだ」

 セイが刺身に手をつけてから言う。わたしが大好きなイナダの刺身は避けてくれているようだった。

「ギリギリ橋を渡ってる感じも好きだったんだけどね」

自分がつり橋を渡っていて、無事に向こう岸にたどり着いたイメージが浮かんだ。

「不安定はひとつの魅力だからな」

 それにしてもずいぶん長い不安定だった。おかげさまでもうほとんど金がない。仕事が見つかったのは非常にベストなタイミングだと言わざるを得ない。 

「定休日いつにするかだなぁ。木曜日かなやっぱ」

 目だけを上に向けて、ちょっと考えてから言った。

「木曜会か。ちょこちょこ人が集まってきてるみたいじゃないか。そのうち先生とでも呼ばれるか」

 セイはちょっと冷やかすような感じで、笑いまじりの声で言った。

「先生どころかさあ、高校生に教えられることが多くて、自分がいかに何も考えず怠惰に生きてきたんだなと実感するよ。そういう点では、木曜会はわたしにとって貴重な時間になっている」

 冷やかしは受け流して、わたしは至って真面目であった。

「その気持ちはわかるな。最近、わっさんの娘さん、千影ちゃんだが、その子と欽ちゃんで話したんだけど、もうなんというか、あの歳では考えられないくらいしっかりしていて、はっきり聞いてはいないけど、自分のなかにしっかりとしたビジョンがある。まだ概念として理解しているだけで、体感として理解していない部分はあると思うけど、場合によっては一気に突き抜けて、なにかひとつの大きな気づきのようなものにたどり着くんじゃないかと思うほどだよ」

「へえ。わたしにはよくわからない」

 と流す以外の言葉が見つからなかった。

こういった話は苦手である。欽ちゃんの好きな釈迦とかそっち関係の話だ。セイと欽ちゃんはそれで意気投合したのだ。素粒子とか量子論なんかも好きらしい。

 二時間位店にいただろうか、食欲も飲酒欲も満たし、ふたりともほんわかとした気分になっていた。テーブルの上の料理はすっかり平らげていた。

「さて、フライヤーの件もあるし、今日はそろそろ締めにしようか」

 セイは演くんに早くフライヤーの件を伝えたくてたまらない様子だった。

「じゃあな」

「ごちそうさまー」

 セイとわたしはは店の前で別れた。

 わたしは帰ってから、草取りの片づけをした。もう夜になっていた。腰が痛くてどうしようもない状態で鎌を洗っていると、沙々ちゃんが真由子さんのほうのガラス戸を開けて顔を出した。

「終わった?」

「うん。終わったよ。ご飯食べた?」

 沙々ちゃんは無言でうなずいた。

「猫、かえってこないね。せっかく沙々ちゃんがトラって名前つけたのに」

 飼い猫には名前がなかったが、都合が悪いので先日沙々ちゃんがトラ猫だからトラと名前をつけたばかりだった。

「どこかで元気に暮らしてればいいな。飼い猫でいることが必ずしもしあわせだとは限らないよね」

 なでるようなやさしい声で沙々ちゃんが言った。

「そうだね。トラは人間みたいに頭のよさそうな猫だったから、そんな考えもあって、人から離れていったのかもね」

 わたしは沙々ちゃんの日常が、誰にも邪魔されることなく、このままずっと続けばいいなと思った。夏に聴いたいくつもの虫たちが奏でる音楽を、今年は沙々ちゃんと聴きたいなと思った。

#創作大賞2024 #お仕事小説部門

第一話 https://note.com/iromachiotome/n/n634f7b3d9f01
第二話 https://note.com/iromachiotome/n/n06fea091c7c4
第三話 https://note.com/iromachiotome/n/n2757ae715e4b
第四話 https://note.com/iromachiotome/n/naf327bded639
第五話 https://note.com/iromachiotome/n/n09fbcf6e500e
第六話 https://note.com/iromachiotome/n/n11d2ea994725
第七話 https://note.com/iromachiotome/n/n36fb8588928c
第八話 https://note.com/iromachiotome/n/nfac57a916034
第九話 https://note.com/iromachiotome/n/n2691df3703f9
第十一話 https://note.com/iromachiotome/n/na870cc1ce979


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