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しあわせな人生


久しぶりにnoteを書く。

ここ最近はまた鬱状態に陥っており、
泥の中で息をするような生活をしていた。
身体は重くやる気も出ず、過食ばかりしてまた落ち込む。
体重に一喜一憂し、少しでも太ると拒食状態に、
少しでも痩せると過食状態になっていた。

しかしいつもと違うのは
親のことを思い出さなくなったことだ。

前に何かの記事でも書いたが、
私はこの歳になっても常に、
親からされたことや親が言ったことを深く考え、
重く受け止め、自分は親にさえ愛されない人間だといつも落ち込んでいた。
もう十数年前のことも毎日毎日脳で反芻することによって
まるで昨日のことのように感じていた。
親にさえ愛されればよかった。


私は去年ばあちゃんの家に越して来た。
それまでは京都に一人暮らし。
嫌で嫌でしょうがない仕事をこなし、
市販薬で自傷ばかりしていた。
去年の春、そのゴミのような生活を辞め、ばあちゃんの家に住むことになった。
春が過ぎ、ばあちゃんと過ごす時間が多くなると、自分の心持ちも変わってきた。


(もう親なんてどうでもいいや。
親が私に何をしてくれたわけでもないのに
親に固執していてもしょうがない。)

そう思うようになったのだ。
それは全て私を受け入れてくれた、
ばあちゃんとじいちゃんのおかげのような気がする。
ばあちゃんは私がどんなにダメでも、どんなに鬱だろうと、どんな仕事をしていようと、
ずっと私のことを見放さなかった。
これがどんなにすごいことか。
私はお世辞にも”普通”とは言えない人間だ。
これは「”普通”じゃない私」とイキリたくて言っているわけではない。
全てにおいて”普通”よりダメなのだ。
”普通”のことができない。
もっと詳しく、いかに自分がダメなのかをここに書くと
何千字にもなってしまいそうなので今回は書かないが、
本当に本当にダメなのだ。
時には言い合いや喧嘩のようなこともしたが、
それでもばあちゃんは私を愛してくれていると思う。
そう思えるのだ。

そんな私も受け入れてくれたばあちゃんのおかげか、
私はだんだん親のことを考えなくなった。
しまいには「どうでもいいや。」
とまで思うようになった。
そう思えるようになって、
視界の隅にずっとあった霧が少し晴れたような気がした。


私は今、三日に一度親のことを少し思い出す。
三日に一度だったらまだ親のことを考えてるじゃん。
と思われるかもしれないが、
この「三日に一度」は私にとっては大進歩、大躍進なのだ。
幸せな人生への第一歩、
いや、二歩も三歩も歩き出せている気がする。
とにかく大躍進なのだ。


大躍進を遂げた私だが、
それでもできないことがまだまだ多い。
すぐに過食に走り、気分が落ち込み鬱状態に陥り、
インターネットから離れたまま音信不通になったりもする。

今はだいぶ気分が良くなったので、またインターネットに現れている。
気分が良くないとTwitterにさえ現れない気分屋ことハムちゃんずである。
そんな私だが、Twitterでフォローしてくれたり、リプやいいねをくれたり、noteを読んでくれたり、優しい言葉をかけてくれるインターネットの人たち。
それもまた私を元気にさせているのだ。
つまり何が言いたいかと言うと

元気になってきたぜ〜〜〜!!!
みんなフォロー、いいね、リプなど
いつもありがとうな〜〜!!!
またネットに浮上してきたので
仲良くしてくれよな!!!
よろしく〜〜〜〜〜!!!


と言うことが言いたかった。

いつもありがと〜〜〜〜!!!!


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