記事一覧
名前のない書物(第十一回)
神殿Ⅳ.
この年の雨季は、国人が〈蛇の婚礼〉と呼び習わす、十年に一度の大雨季であった。
例年であれば、一日の半分ほど降っては止み、止んでは降りをくり返す降雨がまる一日続き、それが連日に及んだ。しかもそのことごとくが、天の水瓶がひっくり返ったかと思われるほどの豪雨なのだった。
ヤン河の流れは常にもまして濁り、水位は日増しに高くなっていった。ついにそのときが訪れた。〈大氾濫〉である。毎年の肥
名前のない書物(第十回)
図書館4、
その日のうちに、アパートのぼくの部屋に、市警の警官がやって来た。〈図書館警察〉の連絡を受けてのことだ。理由は定かでないが、渦巻町は行政上、《渦巻市渦巻町》になるらしい。したがって、図書館を除く渦巻町全域を管轄する法執行機関の名称は、〈渦巻市警察〉になる。
四十年配の北東アジア系男性と、二十代半ばの東南アジア系女性の二人づれで、生活安全課失踪人係を名のった。〈図書館警察〉の双子警
名前のない書物(第七回)
図書館3、
眠りの訪れを切望して、寝床の中で悶々と展転反側し続ける時間ほど、神経をささくれ立たせ、心を削ることはない。眠りたい、眠るべきだ、という強迫的な想念と焦燥がジリジリと精神を灼き、やくたいもない想像が亡霊みたく脳内を徘徊する絶望感は、苦行以外のなにものでもなかった。
睡眠導入剤による入眠には、助走がなかった。人によって効き方は違うだろうが、少なくともぼくの場合はそうだ。
予告も何
名前のない書物(第四回)
図書館2、
ホールの真ん中のベンチでうつむいたまま、さらに二時間ねばった。夜が更けるにしたがって、館内から、ひとりまたひとりと利用者たちが去っていった。十九時の鐘をしおに、先の初老の図書館員が、ぼくを家に帰るようにうながした。
「一度、お休みになられてはいかがですか?」
ここでまた倒れられたらかなわない、と思うのは、もっともな感覚だろう。見返したぼくの強ばった表情がどんな風に映ったものか、
名前のない書物(第二回)
神殿Ⅰ.
母は玲瓏で強大な力の持ち主だった。母からわたしは〈力〉を、妹は〈美〉を受け継いだ。
このちょっとした、しかし決定的な産み分けは、必然として、わたしたち姉妹に役割分担をもたらした。すなわち、妹は神殿の前面に立ち、巡礼や民草や諸侯らに語りかける表の貌を受け持ち、わたしは神殿の奥津城にひそみ、神力をふるう裏の貌を受け持った。
だからといって誤解をしないで欲しいのだが、わたしたち二人は
名前のない書物(第一回)
《人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ》(チャールズ・チャップリン)
図書館1、
*
図書館へ行こう、きみと一緒に。
*
そのときぼくは、いらだっていた。あるいは少し憤慨していたのかもしれない。不機嫌なのは、不眠症によるいつもの頭痛のせいだけではなかった。予定の時刻に、スウが姿を見せなかったからだ。
待ち合わせ場所は、図書館のエント
とりとめのないファンタジー
とりとめのないファンタジーを書きます。
ごちゃごちゃしていて、まとまりがなく、不恰好で、アンバランスなお話になる予定です。
「キャラに魅力がない」「文章が独りよがりで読みにくい」「プロットが平板で盛り上りに欠ける」「何が言いたいのかさっぱりわからない」「読者が何を面白がるかリサーチしたほうがいい」とか、「設定が甘くて破綻している。もっと勉強しなさい」「描きたいことを整理したほうがいい」てな感想
読み切り短編「天馬狩り」
天馬を創ったのは、すでに滅びた種族である。今や姿かたちすら分からないその種族は、上空に巨大な構造体を幾つも浮かべ、構造体のあいだを天馬にまたがって自由自在に往き来した。
主のいなくなった構造体は、ひとつところに留まることが出来なくなり、今では〈はぐれ島〉と呼ばれている。雲のように漂うそれは、時おり宙をよぎり、快晴の日に、迷惑千万な翳りを地上に落とすのだ。
*
さて現今、天馬狩りは、高地族
読み切り短編「唄うたい」
唄うたいのほっそりとした指が最後の和音を奏でると、妙なる調べの余韻が豪奢な私室に深々と拡がったのだった。
その房室のしつらえは、精緻な織りの壁掛けといい、銀の水差しといい、紫檀の小卓といい、どれ一つをとってもおよそ、平民の一生涯で贖えない逸品ばかりであった。
「玄妙なる哉!」
煙管を片手に紫煙を燻らせていた男は、夢見心地で聞き惚れていたが、我に返ると火皿を逆さにして、燃えかすを灰皿に落とした