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短編小説「file:0 幻燈城市」(第五話)

11、
「ダメだよ、シオンちゃん。これ以上はもう危険だ」
 夕方、警察から解放されたわたしを事務所まで送ってくれたコーリャ小父さんは、わたしが事件に関わるのを牽制した。
 来客用のソファに腰かけ、向かいに座ったわたしの目をしっかりと見据えている。真剣な眼差しで。あるいはわけしり顔で「こういう場合にきっちりと子どもに忠告するのが本当の優しさだ」などと述べる人もいるかもしれない。しかし、頭ごなしに禁止しないコーリャ小父さんの言葉のほうが、わたしの胸に、よりいっそう刺さった。
 小父さんの弁は正論で、反対できる余地はなかった。ことは殺人事件であり、わたしのような素人がーーしかも一介の高校生がーー口をはさめるはずもない。
 わたしはまだ子どもだ。悔しいけど。少なくとも、独りで立つことはできない。何か行動を起こして、その結果、自分や誰かに被害が及んでも、その責任を取ることはできないだろう。
 でも逆の場合はどうだろうか。わたしがやらなかったこと、云うべきなのに云わなかったことで引き起こされた出来事の責任は?
「わたしは殺人事件を解決したいんじゃありません。〈有翼飛天〉を見つけたいだけなんです」
 おずおずと反論するとわたしは、お願いして小父さんに時間をとってもらうことにした。
 立ち上がって、給湯スペースに行く。手早く用意をして、珈琲を二つ煎れた。わたしはブラックで、小父さんにはミルクと角砂糖をそえて。
 戻って珈琲を出し、それから自分が見聞きしたこと、そしてそこからわたしなりに導きだした推理ーーというのもおこがましい妄想ーーを聞いてもらった。
 小父さんは、珈琲が冷めるのも構わず聞いてくれた。
 

 すっかり冷えたカップにミルクと角砂糖を落として、小父さんは珈琲をがぶ飲みした。そしてまったく溶けていない角砂糖をバリバリと噛んだ。
「ーー確認すべきことを挙げてみるよ」
「それって……」
 厳しい言葉を想像していたわたしは、うつむいていた顔を勢いよく上げた。
「仮説を検証しないと納得しないだろ、シオンちゃん」
 わたしはソファから飛び上がって、思わず小父さんに抱きついた。首っ玉にかじりついて、頬っぺにキスをする。子どものころみたいに。
 ちょっと照れた様子の小父さんは、真面目な表情を作って項目を指折った。
「まず、すれ違った男の身元確認。ちょっと心当たりがあってね。これは私が確認してみる。あと、遺体に関する情報も、マクレイン警部補からできるだけ引き出してみよう。まあ、どれだけ引っ張っれるかはわからないが。それと最近、〈有翼飛天〉を仕入れた密売業者がいるかどうか、その筋の人間にそれとなく訊いてみるよ」
「わたし、目撃者を探そうと思います」
 わたしはひとまず、〈ガビちゃんを持ち出した人間が殺人犯〉という仮定で考えることにした。予断は禁物というのは承知している。だけど同じ部屋に殺人犯と窃盗犯の二人が存在していたと考えると、前提が増えてこんがらがってきてしまう。とりあえず出発点をシンプルにしたかった。
 ホアンさんの部屋には、空の鳥籠だけが残されていた。そこで次に考えるのは、犯人がどんな手順でガビちゃんを持ち出したのか、である。少なくとも、自分ならどうするだろうか。
 〈有翼飛天〉を、隠さずにビルの外に持って出るのは、論外に思えた。いくらなんでも目立ちすぎる。仮に裸で持ち出したとしたら、すぐに何かに隠さなくてはならないだろう。
 その場合、隠せるものとして真っ先に浮かぶのは自動車だが、住民以外が外部から車で乗り入れることはかなり難しい。應龍は路が狭く入り組んでいる。迷うこともあるだろうし、人で身動きできなくなる可能性が高い。
 次善の策は、自転車の荷台に載せるパターンだ。実際、【應龍寨城】で自転車は、車よりも機動力が高くよく利用されている。ただこれにも難点がある。應龍内は良いとしても、その後が難儀なのだ。
 西側と南側に走っている幹線道路は、往来が激しく横断は禁止されている。無理矢理渡ればできなくはないが、道路沿いに連なっている防犯カメラに映像が残ることになる。
 應龍住民や来訪者が道の反対側に行くには、幹線道路の下をくぐっている地下道を使うか、陸橋を渡らなければならない。そしてこの二ルートのどちらにも、警官が立っている。ここの立番の警官は、気まぐれに横断者を呼び止めて職務質問することで悪名高い(きっと暇なんだと思う)。わたしが犯罪者ならば、一か八かに賭けたくない。應龍から素早く、しかも目立たず離れたいならば、自転車はけっこう面倒なのだ。
 そこで、わたしが想像する最善の手段はこうだ。
 まず、〈有翼飛天〉を隠して徒歩で應龍内を移動する。幹線道路まで来たら、タクシーをつかまえて速やかに立ち去る。これが一番シンプルで、目立ちにくい方法だと思う。
 あとは幾つか細部をつめてみる。
 城内を移動するあいだ、ガビちゃんを隠すやり方で一番オーソドックスなのは、竹籠になるだろう。食用の鶏やネズミを容れる竹籠に布を被せれば、周囲に溶け込める。だが家禽の入った竹籠を持った客に、タクシーはいい顔をしないだろう。ヴィクトリア市、特に應龍周辺のタクシードライバーは気が荒い。平気で乗車拒否をする。
 だからもしガビちゃんが暴れない子なのであれば、頭まですっぽりと覆うタイプの抱っこ紐がベストだと思う。これならば城内でも怪しまれず、かつタクシーにもすぐに乗れる。
 途中まで同じ手順で、城外から地下鉄を使って移動する方法もある。だが、地下鉄構内の監視カメラには死角が少なく逃げ場がない。万が一の用心に避けたほうが無難ではないだろうか。それにどのみち鉄道会社が、何の権限もないわたしにカメラ映像を提供してくれるはずもない。わたしは地下鉄ルートを頭から閉め出した。
 以上の説明をしてからわたしは、こう続けた。
「現場周辺で聞き込みをして、赤ん坊を抱いた人物がビルから出てこなかったかを調べてみます。ついでに、タクシー会社に問い合わせて、あの時間、あの場所で客を拾ったドライバーがいたかどうかも、尋ねます」
 わたしとコーリャ小父さんは、その後もいろいろと調べる範囲を打ち合わせた。
 やはり自分ひとりでは、太刀打ちできない。だけど今は前に進むことを優先しよう、とわたしは誓ったのだった。
 
12、
 月曜日の放課後の聞き込みは、あまり上手くいかなかった。
 わたしは問題のビル周囲の店や通行人を、片っ端から尋ねて回った。こんな場合は、堂々と探偵を名乗ったほうが質問しやすい。わたしは、例のテクニックを使い、いかにも〈認可調査機関〉っぽく聞いて回った。
 だが次々と声をかけたわりには、該当する人物を見たという証言は得られなかった。あるいはわたしの聞き込みテクニックの問題なのかもしれない。適切なタイミングで、適切な質問をすること。それが出来ているのかは、確かに心許ない。
 日が傾いてきて、少し疲れが出てきた。思っていた以上に気を張っていたのかもしれない。ビルの近所で見つけた小さな公園で、休憩を取ることにする。
 おそらく市が、建物と建物のすき間の空き地を無理やり緑化した公園で、細長い敷地に植栽や遊具や東屋あずまや、木製のベンチが並んでいた。わたしはベンチに腰かけて、どこの国の料理なのかわからない、魚のすり身団子がピリ辛のスープに入ったものを食べ、ふかふかの蒸しパンをかじった。
 若いお母さんが、幼児をブランコで遊ばせていた。金属製のオムツみたいなバケットが、鎖で支柱から釣り下がっていて、子どもがすっぽりそれにはまっている。お母さんがバケットを揺らすと笑い声が上がった。地面は臙脂色のゴム製マットが敷かれているから、万が一落ちても大怪我はしなさそうだ。東屋には石造りの将棋盤があって、もう薄暗いのにお年寄り二人が、煙草を吹かしながら対戦していた。
 冷たいミルクティを飲んで公園をボーッと眺めているうち、少し元気が出てきた。落胆している暇はない。
 テイクアウト用の容器をまとめて仕舞うと、携帯電話とメモ帳を取り出す。
 メモ帳を見ながら、應龍近辺を流している市内のタクシー会社に電話をかけた。ヴィクトリア市のタクシー会社は営業エリアがきっかり分かれているし、調べるまでもなく各車輛のサイドドアには、たいていデカデカと会社名と電話番号が書いてある。
 わたしは次のような話をして、彼らのネットワークに流してもらうようお願いした。
「昨日、具合が悪くて道端でうずくまっていたわたしのお祖母ちゃんに親切にしてくれた人がいます。その人にお礼がしたいので探しています。相手の方は、お祖母ちゃんを介抱したあとタクシーで去っていったそうです。なので昨日の昼ごろ、應龍で思い当たる人物を拾ったドライバーさんがいたら、教えて欲しいのです。ちなみにその人は、赤ちゃん連れだったそうです……」
 このお涙頂戴の作り話ソブ・ストーリーがどれだけ功を奏するのか、しばし待つしかないだろう。
 数社に電話をして同じ話を繰り返した。ふと目を上げると、公園は水底みなぞこのような瑠璃紺るりこんに染まっていた。
 ブランコの親子連れもお年寄りも、とっくにいなくなっていた。
 
13、
 ホアンさんの葬儀は、翌週の日曜日の午後、ヴィクトリア市の共同墓地で執り行われた。検死は終わっていて検死報告書もすでに作成されていたのだが、墓地が決まっていなかったようだ。ようやく引き取り先が決まり、今日の埋葬となったのだった。
 わたしは馴れない喪服姿で駆けつけた。父方の祖父の葬儀の際、ミカサさんにお下がりをもらっていたのが役に立った。
 丘の上にあるその墓地は、画一的なかたちの御影石の墓標が並ぶ、無機質で素っ気ない空間だった。素っ気ないのは、共同墓地が宗教や宗派を問わず、庶民の埋葬を安価に引き受けてくれるからかもしれなかった。
 父によれば、秋はヴィクトリア市が最も美しい季節だ。うんざりするような暑気が払われ、湿度が低くなる。平均気温は二〇度前後。晴れの日が多く清々しい日和ひよりが続く。この日もまた、空の高い秋晴れだった。
 ホアンさんの埋葬場所は、すぐそばに洋紫荊バウヒニアの木立のある区画で、青空に赤紫色の花がもの悲しく映えている。
 掘り起こした土が積まれた横に墓穴があり、今しも墓地の作業員が、吊り索を操作して棺を下ろしているところだった。墓穴に土を入れた親族は一人だけだった。喪服姿の二十代前半の女性で、年齢からいって、おそらくホアンさんの妹さんだろう。
 そのあとは、作業員たちが機械的に土で埋めていった。最後に一輪車を往復させて平らにならすと、彼らは一礼して去っていった。
 喪服の女性は微動だにしなかった。哀しんでいるというよりも、突然の不幸に茫然と立ち尽くしているように見える。
 こんなときに、どういう言葉をかければよいのか。わたしのような若輩者に何が云えるのか。考え出すと切りがない。気後れしてしまう。
 しり込みしてきびすを返したくなる自分を叱咤して、わたしは彼女に近寄っていった。ぎこちなく、お悔やみを述べる。
「あなたが、お兄ちゃんを見つけてくれたの?」
 うなずくわたしの両手を取ると彼女は、ありがとう、とお辞儀をした。ひどくいとけない仕草に思え、わたしは居たたまれない心持ちになった。わたしは、ホアンさんを犯罪者として指弾した依頼人の側で仕事をしていたのだ。わたしは心を圧し殺して、質問をした。
「犯人はまだ見つかって……?」
「警察なんて!!」
 妹さんーーチリンさんと云ったーーは、吐き出すように叫んだ。
「警察なんて……まともに捜査してくれないわ……」
 急に勢いを失うと、チリンさんは暗い眼で云った。
「お兄ちゃんはーー雇い主のお邸から何かを盗んだみたい。警察はその盗品に関するもめ事で殺されたんだろうって。だから、身を入れて犯人捜しなんてしないのよ」
 マクレイン警部補やキム刑事がそこまで冷淡だとは思えなかったが、被害者家族には感じる何かがあるのかもしれない。
 墓地の出口に向かってわたしたちは、とぼとぼと遊歩道を歩きだした。周囲の芝生はきれいに刈り込まれていたが、季節を反映して退色し始めている。
 遊歩道の途中でふいに、私のせいなの、とチリンさんが、悲痛な面持ちで呟いた。
「娘が、私の娘がいま入院しているの。心臓に欠陥が見つかって……お兄ちゃんは……」
 彼女は顔を両手で覆って、遊歩道脇にしゃがみこんだ。後半はほとんど嗚咽に変わった。
「お兄ちゃんは……たぶん手術代を捻出しようとして、こんな無茶を……」
 わたしはせめてもの慰めにと、チリンさんの背中をゆっくりとさすった。胸が痛くなる話だった。犯罪は、もちろん許されることではないだろう。だが、貧しさや追い詰められて罪に手を染めてしまった人間を、断罪すればこと足りるとも思えない。思いたくない。少なくとも應龍に住むわたしにとっては、遠い世界の出来事ではない。わたしの友だちや隣人、そしてわたし自身にも、充分に待ち受けている可能性だからだ。
 墓地の入り口まで来るとわたしは、登録してある番号でタクシーを呼んだ。虚脱状態のチアンさんを支えて座席に座らせると、わたしは一緒に乗り込んで自宅まで送って行った。
 彼女の家は第八区の、とある雑居ビルの半地下の一室だった。地面の近くに(つまり部屋の上部に)採光や通風のための横長のスリット窓はあるが、やはり少し湿っぽい気がする。
 この場所に〈有翼飛天〉を隠すことはできないだろう。瞬時にそんなことを考えた自分に対して、とてつもない自己嫌悪が沸き上がった。
 應龍への帰り道、地下鉄の出入口を登ったところで携帯電話が鳴った。チリンさんを送るために連絡した、タクシー会社の配車係の人からだった。
「おう、嬢ちゃん。さっき云い忘れたんだけど、あんたの話、けっこうウチでもちらほら話題になってるよ。それでねーー」
 配車係によると、その会社が契約しているドライバーが、わたしの話に心当たりがあると申し出てくれたらしかった。
 ドライバーが問題の客を下ろしたのは、わたしの予想にかなり合致した場所だった。

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