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東海道NOW&THEN 55 「京・三条大橋」
大津から京まで3里。約11.8km。
「車石」の閑栖寺から、小関越えの道と合流するところまで約20分。そこから天智天皇陵を過ぎて、京の江戸口である「粟田口」まで1時間と少し。その先に三条大橋。それが東海道のゴール。
広重が描く京都は手前に三条大橋、その向こうに東山の連峰。後ろの茶色い山は比叡山との説もある。手前の山の中腹に見える青い屋根は清水寺。その右下には八坂の塔もある。橋の上には武士
東海道NOW&THEN 54 「大津」
草津から大津まで3里24町。約14.4km。
清宗塚から大萱新田村の立場跡を通り、月輪池の一里塚まで約45分。そこから瀬田の唐橋まで、さらに45分。唐橋から膳所城下を抜けて大津宿本陣跡までは1時間と少し。清宗塚から大津宿までは、約3時間半。
広重は、またも『東海道名所図会』の「大津」から着想を得ている。広重は『図会』に描かれた茶店に民家と山を加え、その前に荷を積んだ牛車3台を置いている。
東海道NOW&THEN 50 「土山」
坂下から土山まで2里18町。約9.8km。
鈴鹿峠の万人講常夜燈から峠の道を下ると、国道1号線に合流。そこから土山宿の東端の田村神社の手前にある、広重が描いた田村川に架かる橋まで1時間ちょっと。鈴鹿峠から西は滋賀県。近江の国だと思うと、京はもうすぐだと元気が出る。
鈴鹿峠を下ったところにある坂上田村麻呂を祀った田村神社。田村麻呂が東征の折、この地で人々を苦しめていた山賊を成敗したことから、
東海道NOW&THEN 49 「坂下」
関から坂下まで1里24町。約6.5km。
関の京口を出ると、しばらくは国道1号線に沿って歩く。約10分で「転び石」。夜な夜な怪しげな音をたて街道へ転げ出るので、恐れる里人たち。弘法大師が供養をすると鎮まったといわれる石だ。そこから20分ほどで、広重が描いた筆捨山が右に見える。坂下宿までは、さらに40分。
広重が描いた「筆捨嶺」は、国道1号沿いの歩道から見ることができる。かつては岩根山と呼
東海道NOW&THEN 47 「亀山」
庄野から亀山まで2里。約7.9km。
庄野の「女人堤防の碑」から10分ほどで、亀山藩領界石。そこから能褒野(のぼの)神社の二の鳥居までさらに10分。この神社には日本武尊の墓とされる古墳がある。鳥居から神社までは、東海道を右折して北へ約3km。東海道は、鳥居から亀山宿の江戸口まで約1時間半。
広重の絵は、右上隅に亀山宿の京口門を描いている。雪の中を門へ向かって行列が上って行く。亀山宿は江戸口
東海道NOW&THEN 45 「石薬師」
四日市から石薬師まで2里27町。約10.8km。
江戸から100番目の日永の一里塚から、日永の追分まで約20分。この追分には伊勢神宮の大きな鳥居があり、東海道が伊勢神宮へ向かう「参宮道」と分かれる所。そこから石薬師の江戸口までは1時間半。
広重は石薬師寺の山門を左に描いている。石薬師寺の本尊は、弘法大師が石面に彫った薬師如来。山門をくぐり右へ行くと本堂がある。絵の中にも、本堂の屋根らしきも
東海道NOW&THEN 44 「四日市」
桑名から四日市まで3里8町。約12.7km。
タカハシ酒造の少し手前に「壽命長久」と刻まれた多賀大社の常夜灯。近江の国の多賀大社は伊勢神宮の天照大神の親神にあたるところから、伊勢参拝をする人の多くが立ち寄ったのだとか。常夜灯から次の四日市宿の手前の三ツ谷の一里塚までは約6km。1時間半。
広重が描いているのは、四日市宿の手前にある三滝川(広重は「三重川」と記している)に架かる橋。折からの強
東海道NOW&THEN 42 「宮」
鳴海から宮まで1里半。約5.9km。
鳴海宿の京口・丹下砦跡を出て、20分ほどで江戸から88番目の笠寺の一里塚。そこから次の宮宿手前にある89番目の伝馬町一里塚まで1時間。
広重は熱田神宮の神事「馬の塔」を描いている。馬の塔は、祭礼のときや雨乞いのときに馬を神社に奉納する儀式。尾張では熱田の他にも数カ所で行われていた。熱田神宮では端午の神事だったが、今は行われていない。馬の塔には「本馬」と
東海道NOW&THEN 40 「池鯉鮒」
岡崎から池鯉鮒まで3里30町。約15.0km。
岡崎と池鯉鮒の間は約15㎞。道は平らかとはいえ、けっこうな距離だ。途中、名鉄・新安城駅近くに青麻神社。江戸から明治にかけて活躍した力士・清見潟の石像がある。清見潟はこの辺りの出身。そこから池鯉鮒の江戸口までは、さらに45分ほど。
「首夏」とは、夏の初め。広重の絵の題は「初夏の馬市」。毎年4月から5月にかけて池鯉鮒の東の外れで開かれていた馬市を