東海道NOW&THEN 44 「四日市」
桑名から四日市まで3里8町。約12.7km。
タカハシ酒造の少し手前に「壽命長久」と刻まれた多賀大社の常夜灯。近江の国の多賀大社は伊勢神宮の天照大神の親神にあたるところから、伊勢参拝をする人の多くが立ち寄ったのだとか。常夜灯から次の四日市宿の手前の三ツ谷の一里塚までは約6km。1時間半。
広重が描いているのは、四日市宿の手前にある三滝川(広重は「三重川」と記している)に架かる橋。折からの強風で大きくしなる柳の枝、菅笠を飛ばされあわてて追いかける旅人、橋の上には強風にあおられる合羽を体に巻き付けて先を急ぐ旅人。遠くには舟の帆柱が見えるので、そこは四日市湊だと思われる。四日市湊からは宮宿へ向けて「十里の渡し」が出ていたそうだ。
写真は、三滝川にかかる三滝橋。絵と同じように写真の奥の方向に四日市港があり、石油コンビナートの施設が小さく見える。
四日市市に入ってすぐ、朝明川の南詰に力石。江戸末期からここにあった茶店「橋南のつる」の女主人、大久保つるが残したもの。東海道を往来する力自慢の旅人や駕籠かきが茶店で一休みしたときにかついだものらしい。力石の多くは神社や寺院に残されているが、民家の前にあるというのは珍しいそうだ。力石、四日市では3つ見た。このあとに見たのは八幡神社の力石。さらに茂福地区の力石。どれも由来書きを見るとなんらかの祈願のために神社や寺院に奉納され、それを若者たちが祭事のときに力くらべをする、担ぎ上げるとそれは仕事のできる証しといわれ、いつしか健康長寿への信仰になったということらしい。それにしても四日市だけで3つの力石を見るとは…。
宿場の江戸口の少し手前にある「志氐(しで)神社」。大海人皇子が鈴鹿越えの折に伊勢を遥拝したとき、御幣(しで)を垂らしてお祓いをしたことがそもそもの由来なのだとか。街道沿いにある大鳥居の下に「妋石(みよといし・夫婦石)」、二つの石が東海道を挟んで向かい合っている。この神社にはイザナギとイザナミを祀ってあり、東海道を行く人々は古くから縁結び・夫婦円満の願いを込めて、この石を撫ぜたという。ふたつ並べてあるのではなく、道を挟んでというのがなんとも…。私もすでに結婚40年をいくつか越えていますが、さらなる円満を願ってひと撫ぜ。
広重の絵に描かれた三滝川を越えてすぐ左手に「笹井屋」。16世紀半ば創業の和菓子屋で「なが餅」が名高い。私の両親は三重県の出身で、父は三重に出掛けると土産にこれをよく買ってきてくれたことを今でも覚えている。「ここが、あのなが餅の…」としばし立ち止まり、かつての父のように土産に買い求めました。
東海道は近鉄四日市駅のそばの商店街を通り抜け、萬金丹などで有名な鈴木製薬所跡を過ぎて、江戸から100番目の日永の一里塚へ。近鉄四日市駅からそこまで約4km、1時間。
日永の一里塚から次の石薬師までは約8kmだ。
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