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東海道NOW&THEN 43 「桑名」

宮から桑名へは海上7里。約27.5km。

 「七里の渡し」で海上を桑名へ。約2時間。名古屋港の防波堤を出ると、さすがに波が高くなり風も強くなる。木曽三川の河口を過ぎて桑名の渡し口へ。

 揖斐川の河口のすぐ近くに桑名の渡し口。広重はその桑名の渡し口を桑名城を背景に描いている。桑名城は三方を海にかこまれているため「扇城」と呼ばれたそうだ。絵の中、沖にある船は湊を出たばかりなのか帆に風をはらませて、さらに沖に向かっている。手前の舟が帆を下ろしているのは、渡し口が目の前になっているからのようだ。
 現在の渡し口跡には桑名城の櫓が再現されていて、当時の面影を偲ばせる。が、昔はなかった防波堤が築かれているのが、少し残念。
 
 渡し口から桑名へ上がると、最初に目につくのが伊勢神宮の一の鳥居。ここは伊勢国の東口でもあるのだ。江戸に暮らす者にとっては東海道がお伊勢参りの道。これ以降、あちこちの追分で伊勢神宮の鳥居に出会うことになる。一の鳥居から少し行くと「春日神社」の大鳥居。正しくは「桑名宗社」、桑名の総鎮守。この青銅の大鳥居の左前に「志類べ以志(しるべいし)」という石標が立っている。この石標の左側面には「たずぬ留かた」、右には「おしゆるかた」とあり、子どもが迷子になると左にわが子の特徴や服装などを描いた紙を貼り、心当たりのある者はどこで見かけたかを紙に書いて右に貼る。迷子探しの掲示板というわけだ。「迷い子石」とも呼ばれ、大勢の人が行きかう場所に立てられたのだとか。
 「その手は桑名の焼き蛤」という言葉がある。ぜひ焼き蛤を食べてみたいところだが、先を急いで四日市を目指す。桑名の宿内、東海道沿いに「貝増商店」。しぐれ煮が評判の店だそうで、焼き蛤を食せないかわりに、しぐれ煮を購入。

 宿内を行くと「一目連神社」。一目連神社は鋳物師の守護神。桑名藩は鋳物に力を入れたそうだ。当時、鋳物師は朝廷の許可がなければ開業や家業の継承は認められなかったというが、桑名藩主は幾人かの「御鋳物師」を招聘して、藩の産業として梵鐘や農具、鍋などの製造に力を入れたのだとか。桑名の鋳物業については、シーボルトの紀行文の中にも登場するらしい。
 一目連神社から約1時間。桑名宿を出た少し先に「浄泉坊」。藩主の奥方の菩提寺。その奥方が徳川家に縁が繋がっていたとかで、山門や鬼瓦に三つ葉葵の紋を用いることが許されていた。そのため参勤交代の大名は駕籠を降りて一礼することが決まりだった。
 さらに30分ほど行き朝明川を越えると四日市。そこにタカハシ酒造がある。伊勢神宮のお神酒「三重の新嘗」の蔵元。銘酒「天遊琳」を購入。

 そこから四日市までは、約1時間半。

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