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味の焔と魔力

 じぐざぐに欠けた長方形の空が覗き、ヘリコプターがしつこく見え隠れしていた。壁と壁が圧迫して、至るところに貼られた張り紙は剥がれかけて牡蠣のようだ。路地の狭さに誘われるまま歩いたりしようものならあらぬ方角へ追い込まれたり追いだされてしまったりする。そんな経験が幼いころの私にもあった。
 めあての店の情報は、デジタル化された地図にさえぼやかされている。錯覚の迷路と呼ばれるこの路地を二人は歩き、地下へ降りると、彼女お勧めの、名のない密かな店の扉を入った。
 店内を見て、地下に壁を作るのを忘れたのかと思った。剥きだしの赤土のような壁が囲っていた。安っぽいパイプ椅子にパイプのテーブル、テーブルの上には筒がたれ下がっている。女将さんが七輪を持ってきて、テーブルに置いた。水の入ったグラスはなぜか四つ置かれた。ネギ塩タンとカルビにサンチュ、それからホルモンを彼女が頼むと、すぐに運ばれてきた。茶の種類が豊富な店だった。
 カルビを焼かずに食べてみなさいといいながら、彼女が生で食べて見せた。私もそうした。味が広がりながらとけて行く。大変な美味さだった。彼女がカルビを焼くと、肉はあっという間に燃え上がって、それをサンチュで消火して食べていた。妙なことに、肉を網へ近づけると、焔がよってくるようだった。気のせいだろうかと肉をゆっくり近づけてみれば焔が箸の先に巻きついて思わず仰け反ると、それ私もやった、と笑われる。
 焼く肉に巻きつく焔が土壁にまで伸びるたび立ち上がってしまう私へ、人には近よらないからと彼女が教えた。生き物のような焔の方向に注目していると、確かにこちらへは向かってこないようだ。私の注意は肉へ向いた。焔を纏うその肉を、いわれたとおりサンチュで消火して口に入れると、食べたことのない味のいいようのなさに、地元にこんな店があったのかと自分の行動範囲を訝った。
 肉の脂が染み込んだ箸が点火されて燃え上がり、箸の先がすぐに炭になってしまう。箸先が炭になるまえに水の入ったグラスに突っ込んで消火するのだと彼女が教えた。肉の脂がそれほど燃えやすい。筒へと吸い込まれて紡錘形になった焔ごしに透ける彼女が、あらためておつきあいをよろしくお願いします、といった。
 先が炭になった箸を女将さんに替えてもらって、彼女が私のために麦入りご飯を注文してから、焔に包まれた獅子唐をそのまま口のなかの真空に放り込んで消火して見せた。手品のつもりらしい。私は燃え盛る肉をやってきた麦入りご飯に突っ込んだ。
 ここまでなのかと思うほど精がつくのを実感できる。だが、やたらと喉が渇く。数々の茶がメニューに並んでいるのを納得した。もう一リットル以上の冷たいプーアル茶を飲んだろう。知らないうちに埋まっていた席の客たちも、みな酒のほかに茶も飲んでいるようだった。
 網の下で焔がとぐろを巻いているが炭はなくなる気配を見せない。新たな肉を注文し続けて、満腹で動けなくなるまで、炭は一度も足さなかった。炭を足さずに燃え続ける焔は、より盛んに拡張されていた。
 この焔の魔力の味わいが我々二人に歳相応のよろこびを授け続けますように、と彼女がルイボス茶をがぶ飲みした。


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