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精神障害者の社会的偏見を取り除きたい

この頃はもっぱら朝活しか出来ませんが朝活も今の自分には負担でしかありません

自分の写真はフィルムがメインだと考えてますが今、デジタルカメラで撮影しているのはフィルム撮影に対しての試行錯誤ではあります

だいぶん何が写真なのかを掴み始めました

ただ状態は落ちていくばかりです

写真と状態

軽やかに撮影をしたいものではあります

常に重い荷物を背負ってやるのは苦しくて嫌になります

基本的に写真も脳をフル活動させます

このフル活動の自分の状態を表せばスーパーサイヤ人並でしょう

その集中力は半端ありません

これ程、集中できるなら苦痛という名の束縛が外れて集中してみたいものです

どれ程の集中力を発揮できるのかわかりゃしません

ただ苦痛の中での集中力の発揮です

撮影が終われば疲れて当然です

ボロボロになって帰って来て夕景撮影に出かけれる訳がありません

仕事しなくて時間があっていいねは違います

一応時間があるから写真や音楽をやってはいます

ただ時間があっていいねは違います

本当に芸術作業をやるだけでも精一杯なのです

状態は崩れ落ちてやれる範囲では本来ありません

でも自分が写真や音楽に集中しているの一つに状態から意識を逸らしている行動なのです

状態があまりにもきついからその時だけでも状態を逸らしているに過ぎないのです

でも時間があっていいねに反論しておきますが

自分は昔の友人にこう言われました

「博士は仕事をしてなくて時間があって自由だな」
自分はそうですねと言っておきました
その友人の返事は
「俺は仕事をしてて時間がないから不自由だと」
そうですか
自分は思いました
仕事を言い訳にしている
自分は時間がある事を知っていたので言い訳を作らなかった
病気の治療と並行してギターの練習もして来たしサックスがある時はサックスの練習もして来ました

読書も出来る限り読んで来ました

自分には友達は居ないと思っていたので出会いは小説でした

専門書を読むより小説を多く読んで来ました

小説の人物の心理を知る為です

心理を知る事こそ自分の病気への歩みよりでした

何一つ無駄なことなどしてこなかったと思います

自分に必要な情報は探して使う

それが自分の生き抜く秘訣でした

これからの多様化の時代に、この自分が学んだノウハウを活かす事が出来れば自分も生き残れるのでしょう

でも一つ思うには精神障害者だという差別的見識です

その差別的見識を如何に自分が打ち破るのかがフィルムフォトグラファーとしての自分の役目だと思います

状態は悪い
でも今しか生きれない

だったらやられたらやり返す

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