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困っている人の実情が通用しないのが精神障害者の現実

なぜ困っている精神障害者にインフルエンサー的な人が出て来ないかです

そこには複雑な事情があるのです

先ずは偏見と差別です

なぜ偏見と差別が出来上がったかですが猟奇犯罪が起きた時にマスコミは精神科通院や精神科入院の有無を確認して、そこから精神障害者は怖い異常と偏見と差別が出来上がったかです

精神病だからといって異常かといえばそう言う訳じゃありません

ただ私ごとで言えば異常であるかも知れません
何が異常であるのかは状態です
状態から通ずる事がただあります

だいたいは状態は自らを侵すのですが、一部の精神障害者にとっては外部に攻撃を仕掛けるのかも知れません

私の状態の攻撃性は自らを攻撃しています

ただその状態を見るだけでも健常からは異常と見えるのかも知れません

ただ外部への異常がある精神障害者とはマスコミが作った偏見かも知れません

私は自らを助けたいのです

私の現実は残酷、過ぎます

多分、多くの人は見て見ぬふりをしてます

精神障害者に関わるとロクな事がないという偏見です

精神障害者でなくても、自分が危機的状況になれば誰でも助けを求めたいはずです
多くは助けを求めているはずです
ですが精神障害者はそれを我慢する風潮があります
その理由はコミュニケーション不足です

精神障害者は以外に健常に恐れを抱いているのです
その理由が多くの精神障害者は人から傷付けられたからです

自殺や自死を選ぶ精神障害者や精神障害者でなくても私には気持ちがわかります

多くの人は助けの信号を発していたはず

でもそこをなかなか見破るのは難しい事かも知れません

ただ私は助けを訴える為に芸術の力を使おうと思っているのです

それはなぜなのか芸術家は努力なしには発信出来ないからです

だから私はそれに適しています
精神障害者で努力して、そして芸術家で努力して多くの人が共感すれば私は助かるのです

助けを求めてもいい
でもそこには自らの努力も必要だと思います

ただあるがままに助けられても生きていくのは本人なのです

だから自らにもある意味、律する力が必要です

後、助けを求めている人が居たら助けてあげて下さい
じゃないと人間ちゃ死ぬ時は死にますよ
それはストレスに耐えれないからです

私は常軌を逸した状況を生きて来ました
だから多くの人とは我慢も犠牲も経験してストレスに少しだけ慣れてます

ですが精神病末期であり死期もあるやもとは思っています

死期を想う事はあらゆる意味、病人のあらゆる意味のモチベーションの上げ方です
覚悟を持つ事が生死に繋がる事もあるからです

人を助けるとは自らの幸福度も得られる行為だと思っています

死なれて後悔するよりも助けてお互いの幸福度を得て下さい

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