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だから私はフージャース~23卒~ vol.14

こんにちは!
フージャース採用担当の松岡です。

今回の内定者紹介は阿久津くん(明治大学)です!
営業出身4年目の吉田さんがリクルーターでした。就活後には友人3人とシェアハウス暮らしをする程、友人とも打ち解けやすく親しみやすい性格ですが、実は人見知りという側面もある阿久津くん。ですがスイッチが入ると、スピーチもお手の物なのだとか。そんな阿久津くんをご紹介できればと思います!

・阿久津くんとは?

松岡:小さい頃はどんな子だった?

>阿久津くん
小さい頃は、プールサイドで鬼ごっこをしたりして先生によく怒られるようなtheやんちゃ少年でした。良く言えばムードメーカータイプですね(笑)。一人っ子なこともあり、割とわがままなタイプだったと思います。


右上の変顔をしているのが阿久津くん

松岡:中学生活はどうだった?

>阿久津くん
自分は中学受験をしました。人生で一番勉強をしたなと思う程、当時は大変でした。ですが、第一志望の学校には行けず、中高一貫の男子校に進学しました。
実は男子校に行きたいという想いが当時ありました。小学生の時は、女の子ともよくケンカをしていて、どうせ進学するなら男子だけの方がいいなと。ですが案の定、中学2年の時に後悔しました(笑)。

松岡:自分も中高一貫の男子校に進学したけど、来るよねそのタイミング(笑)

>阿久津くん
ですよね(笑)。文化祭含めて、男の子といる時は楽しかったのですが、やっぱり恋愛がしたい、青春を満喫したいなと。だいたいクラスで1人くらい彼女ができるのですが、話を聞いていて羨ましいなと…一度くらいは彼女と一緒に帰ったりしたかったです(笑)。

松岡:部活は何をやっていたの?

>阿久津くん
サッカー部に所属していました。サッカーは幼稚園の頃からやっていたので、迷うことなく決めました。
小学校の頃は地元のクラブチームでお遊び程度にやっていましたが、中学ではゴリゴリに本気でやっていました。走りのメニューが多く、練習はかなり辛かったです。新人戦はセンターバックとしてレギュラーでしたが、度重なる足の怪我でレギュラー外されては戻っての繰り返しで、結局最後まで不動のレギュラーにはなれませんでした。ですがチームとしては、最後の大会で都大会3位の結果を修めることができました。

松岡:高校でもサッカーを続けたの?

>阿久津くん
高校ではラグビー部に所属していました。大学受験に専念するために、練習の多いサッカー部に進む人が少なく、自分も同じ想いがあったのと、自分の高校のサッカー部は強豪には中々勝てない限界があり、勉強はやりつつも本気で全国を目指せる環境に行きたいという想いもありラグビー部に入りました。「お前と一緒に全国に行きたい」と友人や顧問から言われ、その熱さに惹かれ入部しました。
ですが、自分の高校は文武両道でバランスよくではなく、両方100%でやれという風潮だったので、ふたを開けてみると地獄の練習の毎日でした(笑)。痛いし、きついし、臭いし、辛いし…それでも、サッカー部を断り、親にも勉強を心配されながらも反対を押し切って来たからには辞めたくない、ここで辞めたらダサいと思い、必死に食らいついていました。
ポジションは4番でスクラムを組む人でした。本来は体格が大きい人がやりますが、自分は身長が小さい分、体重を増やしたり、ユーティリティープレイヤーとして戦術面で強みを持ったりと、個性を活かしてチームに貢献していました。
その練習の甲斐もあり、自分たちの代の最後の大会では、10年ぶりくらいにラグビー全国大会である「花園」に進み、自分もスタメンで出場し、東京都代表にも選ばれました。当時、肩を脱臼していましたが、痛みを押し殺して試合に出場していました。花園では一回戦で全国の強豪校とあたり、一瞬で負けてしまいましたが、花園という夢の舞台に立て、大阪まで応援に来てくれた人も多く、とても感動しました。東京都の決勝は、秩父宮ラグビー場でできたことも大きかったですね。



松岡:大学はどうやって決めたの?

>阿久津くん
明治大学に進学しました。本当は早慶に行きたかったのですが、短い勉強時間で間に合わず、浪人するかも迷いましたが、親に迷惑かけたくない想いや、明治は男臭いイメージがあり自分に合っているなと思い、進学を決めました。

松岡:大学でもラグビーは続けた?

>阿久津くん
明治大学のラグビー部にはスポーツ推薦でしか入れないのですが、セレクションを受ければ入れる状態でした。ですが、肩の怪我もあったのでこのまま続けるのは違うなと思い、お断りしました。その分、留学に行ったり、文化祭実行委員をやったりしていました。

松岡:留学か!どうして留学は行ったの?

>阿久津くん
大学1年の1月から2か月間、オーストラリアのブリズベンに行きました。本当は高校でカナダに行けるプログラムがあったのですが、部活で受けず、自分もいつか海外に行ってみたいなと思っていたので、留学に行きました。
エアーズロックの近くでキャンプをするなど、留学はとても有意義でしたが、一方で英語の勉強にはなりませんでした。留学に行って日本人といたらもったいないと思っていたはいいものの、第二言語がスペイン語だったこともありコロンビア人と意気投合してしまい、その友人と遊んでばかりいました(笑)。英語は伸びませんでしたが、自分からガツガツ色んな人に話しかけにいっていたため、シャイな性格は克服できたと思います。


松岡:趣味とか最近ハマっていることある?

>阿久津くん
一番の幸せは、お酒飲んでいる時です。ビールが特に好きで、時々海に行って、夕日を見ながらお酒を飲んだりしています。海を見るのは高3の時からで、見ていると心が落ち着きホッとするんですよ…勉強や部活が辛かった時によく豊洲に行って海を眺めていました。
今でもセブ島や沖縄、宮古島、湘南など、よく海に行っています。
最近だと麻雀にドハマりして、週5でいっていました。


・就活について

松岡:どんな就活をしてきた?

>阿久津くん
就活の始めたては、テレビ局にいきたいと漠然と思っていました。一人っ子でずっとテレビを見ていたので、あの華やかな舞台で働きたいなと。ですがある時、たまたま渋谷で飲んでいた時にめざましテレビのプロデューサーに話しかけられ、いただいた名刺を見て翌日連絡をしたところ、フジテレビに入れさせていただいて。そこで考えが変わりました。昔は好きな番組がありましたが、正直10年前のことで今の好きな番組は出てこないし、面白くないなと思ったのが理由です。
そこからどうしようと考えていましたが、父親が不動産のコンサル会社をやっており、インターンに参加した時にアセットマネージャーやデベロッパーの方達の会議に参加させてもらったことがきっかけで、デベロッパーに魅力を感じ始めました。
リアルに働いている姿を見た時に、肌で仕事を実感できたのと、街づくりのプロセスが知れて、土地を仕入れてそこに街を作ることはデベロッパーでしかできない唯一無二の仕事だと感じ、他の業界も見ましたがしっくりこず、心の底から掻き立てるものがあるデベロッパーを志望することに決めました。

松岡:なんでフージャース?一番の決め手は?

>阿久津くん
デベロッパーという狭い中ではありましたが、だいぶ受け、他社のデベロッパーからも内定をいただいていたので、正直悩みました。
決め手は、社長とも気軽に話せるような社内の関係性とフージャースの人柄でした。最終面接を受けた時に面接っぽくはなく、自分の話をすごく聞いてくれて、話しやすく、こういう人と仕事がしたいなと思いました。「●●不動産と悩んでいます」とずっと言ってきた中で、そこを納得してくれて、「なら気が済むまで●●を見て来い」と言われた時は、懐深いなと感じ、こういう会社で働きたいと心から思えました。
選考の前に北村さんという社員さんにお会いしたこともかなり印象的で、人情味が深く、こういう人と仕事がしたいと。就活でそう思うことはあまりなかったのですが、話していた2時間があっという間に終わって、北村さんの人柄もですが、こんな風にざっくばらんに色々な社員と話せる環境が新鮮で、惹かれました。

・将来の夢について

松岡:将来の夢はありますか?

>阿久津くん
まずは社会人として一人前になりたいです。起業や独立はまだ先の話ですが、まずは短期的にも長期的にも一人前になって、人に頼まれたこと以外でも自分の色を出しながら仕事ができるようになり、最終的には1人デベロッパーを目指したいと思っています。特に仕入れで頑張りたいです。

・就活生へのアドバイス

松岡:最後に就活生へのアドバイスをお願いします!

>阿久津くん
「会社に選ばれるではなく、自分で選べ」ということです。自分の軸をしっかり持った方がいいと思います。
自分は就活で演技は一切せず、素で話していました。それが良いか悪いかはわかりませんが、決めた会社には納得できると思います。自信を持って素を出して、そんな素の自分を選んでくれる会社に行った方がいいと思います。


以上、阿久津くんの紹介でした!
まだまだ内定者紹介は続きますので、楽しみにしていてください!

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