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食べることは情熱であり、私の人生そのもの。今日も美味しい食事が皆さんの上にありますように。

写真: メキシコ料理のレストランで食べたお通し

食べることは情熱であり人生だ

私はことし、スケジュール帳というものを買った。大学から勧められたからだ。スケジュール帳で予定管理をするのはもちろんだが、もうひとつ目的があった。それは、食べたものを管理して記録すること。スケジュール帳の下にある欄で、私はいつも毎食なにを食べたかを書いている。

食べるということは、単なる栄養補給のための方法ではない。食べることは生きること、そして情熱だ。そして、情熱をもって料理をつくり、情熱をもってそれを食べる。そうすると人生がはるかに豊かなものになるということは、私がイタリアに留学して肌で感じたことだ。

インスタは食べ物の日記であり、人生の日記でもある

私はインスタをやっている(@hono_ryugaku)のだが、そこは主に食べ物を使った日記というテイストで運営している。なにを食べたかというのは、そのままどんな人生を送ったかにつながると、私は強く考えている。どんなものを食べ、どうやって食べ、それが美味しかったという記憶になる。それはそのまま人生を反映している。たとえば、社交的なひとは、お友達を居酒屋に誘って飲み明かす。たとえば、悲しいことがあった日は、居酒屋に行ってひとりで晩酌する。そういったことの積み重ねが、まさに人生なのだ。

私があらゆる戦争に反対する理由

さて、戦争についての話をしようと思う。

私はたとえどんな理由があり、それが正当化されることができたとしても、あらゆる形での戦争に反対する。内戦や紛争ももちろん含む。少数民族の迫害なども含む。簡単なことだ。戦争が起きると、食べることにも苦労する。国の全ての力は武器をつくること、そしてその武器でひとを殺すことに使われる。「戦争」といえば聞こえは良いかもしれないが、実際にしていることは単なる人殺しであり、どんな理由があっても人殺しが正当化されることは決して許されない。もし人殺しが許されるのであれば、「私はあのひとの意見が嫌いだから、対話することなく、さっさとあのひとの家に核爆弾を落としてしまおう」といったことができてしまう。もしくは、「あのひとに酷いことをされたから、刃物をもって殺してしまおう」ということになるだろう。そうした先に待っているのは、自分もいつか殺されると怯えて暮らすことになる、純度100パーセントの地獄でしかない。そんな世界を望むひとが政治の頂点に立っていると、結局みんな苦労する。実際、ロシアでのウォッカの消費量は増えているし、ウクライナでは麻薬を簡単に手に入れることができる。

食べるという生存のために必須のことすら不自由する時代が戦時中というもの

そうして、食べることがないがしろになり、下手したら栄養失調でいのちを落とす。栄養失調になるということは当然、美味しいものなど期待できない。すこしでもおなかを満たすためにすべての労力が使われる。すこしでも空腹を忘れられるための食事は、単なる栄養補給でしかない。なんなら栄養などなおさら期待できないから、美味しいと思うだけのこころの余裕も、幸せだと思えるだけのメンタルヘルスも失われる。あしたの食卓になにが並ぶかさえ楽しみにはできず、むしろその食べ物を得るために何時間も探し回るか、貴重なお金や砂糖や着物といったもので物々交換するか、闇市に行くか、そういったことしかできなくなる。あしたの食べるものさえ用意できないか、用意できたとしても戦時中以外では絶対に食べないような粗末な食事になってしまう。

ソテツ地獄

ソテツという食べ物がある。奄美諸島などで、第二次世界大戦の戦時中などに、いのちをつなぐために役立っていたソテツだが、毒があり、毒抜きをしないと食べられない。その毒があり、下処理が非常に面倒なソテツを食べないと生きていけなかった、戦時中あるいは戦後の食糧難の時代を表す「ソテツ地獄」という言葉がある。現在はソテツ地獄とは無縁の暮らしができているが、それは平和だからだ。そして、豊かになったからだ。ソテツの毒抜きには時間がかかるが、それを待っていられないほど空腹は恐ろしいもので、毒入りのソテツを食べて亡くなったひとさえいる。

バッタを食べた親戚

私の親戚は、第二次世界大戦を生き抜いた。都市部に住んでいたため食糧難に遭い、空襲も酷く、それでもその大変な時代を生き抜いた。彼女はバッタを食べて飢えをしのいでいた。そのまま食べるとからだには便が残っているため、袋か何かに入れてしばらく放置し、排便させてから食べるのだそうだ。まあまあ美味しいらしいが、当然ながら、戦後の食糧難を乗り越えたら、彼女はバッタを食べないですむようになった。いまは、親戚中でいちばんおいしいオムライスを作ってくれる。

サツマイモを嫌いになった戦争サバイバー

戦時中の代用食といえば、サツマイモだ。サツマイモがたくさん入って、そこにわずかに白米が入っている、かさ増しされたごはんを食べ慣れていた、あるTwitterのお友達の祖母は、ご存命で、こんなに豊かな現代の食の喜びを享受しているが、どんな方法でどんなにおいしく調理されていたとしても、サツマイモだけは食べたくないと言っているそうだ。サツマイモはそのまま第二次世界大戦の記憶につながるからだ。

好き嫌いができるという贅沢

ちなみに私もジャガイモ以外の芋が嫌いだが、それは単なる好き嫌いだ。好き嫌いができるということは、ほんとうに贅沢なことだと思う。目の前にサツマイモしかなかったら、それを食べるしかない。「はだしのゲン」では、1つのサツマイモをめぐって兄弟が殴り合いの喧嘩をしたという記述がある。人間の飢えに対する生存本能は、ほんとうに怖いものがある。それでも、そうでもしないと生きていけなかったのだ。戦時中についての文学作品やエッセーやあらゆる形の文字となったものを見るたび、私が給食をたくさん残していたことを、あらためて贅沢なことだったと深く認識する。給食はかなり不味くて、味付けも好みじゃなかったが、たったそれだけの理由で給食を残し、おなかをすかせて家に帰り、そして家で4時ごろ昼食をとるという生活が、いかに特権的なものであるかを、ほんとうにこころから思う。

「ジャガイモ以外の芋が嫌い」という文章を正確に翻訳するには

ちなみに、英語では「ジャガイモ以外の芋が嫌い」という文章を正確に翻訳するのは難しい。なぜなら、ジャガイモも「芋」を総称する言葉もpotateなので、ためしにこれをGoogle翻訳にかけると、I don't like potatoes other than potatoes. という非常に意味のない文になる。ポテト以外のポテトが嫌い、という意味不明な文章になる。そこで、I like potatoes, but I don't like sweet potatoes, long potatoes, and taro. などと言わないといけない。「私はじゃがいもは好きだが、さつまいもやながいもやさといもが嫌いだ」という意味だ。こういった言い換えることを「パラフレーズ」と呼ぶ。スピーキングやライティングなど、限られた語彙で試験や対話などをしなければいけないときに非常に役立つ考え方だ。

ラーメンともつ鍋と鯛茶漬けのためだけに、3万円を使った

さあ、戦時中の重い話は終わりにしよう。

私は博多でとんこつラーメンと、もつ鍋と、鯛茶漬けを食べるために、家族で一泊二日の旅行をした。観光は一切しない。ただ食べて温泉に入って寝るだけの旅行だ。とっても楽しかったのだが、それだけのために往復3万円とホテル代を使った。最高においしかったし、最高に満足している。福岡は思ったよりも寂れているけれど、中心街にはうまく必要なものがまとまっていて、そしてたくさんの居酒屋やレストランがあった。ここでの生活も苦労しないだろうな、とくにこんなにおいしいラーメン屋さんがたくさんあるんだからなあ。そう私は強く思った。

留学先で食べ物をないがしろにすると、ホームシックになる

私はオーストラリアに語学留学したが、正直もうオーストラリアに行くことはないだろうと思っている。教育水準も高く、街も安全で、たくさんの便利なショッピングモールなどがあり、カフェ巡りは楽しく、ひとも優しい。ホームステイしたホストマザーとはたまに連絡を取り合い、また来てほしいと言われているが、残念ながら行くことはないだろう。

オーストラリアに語学留学をした私は、帰国する日を指折り数えて待っていた

それは日本やヨーロッパからオーストラリアが遠いからではなく、ほんとうに食事が合わなかったからだ。単調で、深みがなく、薄っぺらくて、シンプルといってしまえばそれまでなのかもしれないが、食事が楽しくない。それなのに値段が高い食事ばかりだった。物価が違うといわれてしまえばそれまでなのだが、観光客や留学生にぼったくりをしているというよりかは、単純に食事の質と値段が釣り合っていないのだ。これなら自炊したほうが美味しいと思い、自炊をしたくても、ホストファミリーのもとではスーパーマーケットは遠くて、車で行かないといけない距離だったから、結局食事は外食するか(ホストファミリーなどと一緒に)、ホストファミリーの作るものを食べるかだった。また、語学留学のため課題も忙しかったのもある。

ホストファミリーはほんとうに優しいひとたちだったし、オーストラリアの食事以外のすべてが好きだったのだが、食事があまりにも合わなかったせいで、帰国する日を指折り数えて待っていた。あと6日頑張れば美味しい日本食が待っている。寿司を食べたい。味噌汁も食べたい。しゃぶしゃぶも食べたい。キューピーのドレッシングでサラダを食べたい。豚肉の生姜焼きが食べたい。抹茶のお菓子も食べたい。あと5日。あと4日。ほんとうに毎日がそんな感じだった。ちなみにそのホストファミリーだけが食事を気にかけていなかったのではなく、もっと手を抜いたホストファミリーもたくさんいたとあとでいろいろな留学生から聞いた。そして私達留学生だけに「粗末な」食事を出したわけではなく、ホストファミリーたちも同じものを食べていたのだから、文句は言えない。

毎日の食事が至上の楽しみだったスペイン旅行

スペインに旅行したのは、そのオーストラリアへの語学留学よりも前だったのだが、とにかく対照的な経験だった。食事が最高の楽しみだったのだ。

添乗員さんに、毎日2回、だいたい10時ごろと16時ごろに、今日の昼食と夕食はなんですかと聞いて、その料理を知っていても知らなくても、とっても食事を楽しみにして観光できた。優しい添乗員さんは、その食事がなんであるかも説明してくれた。たとえば「いかをフライしたものだよ」といった感覚で。観光自体ももちろん最高だったのだが、それが100分の1くらいにかすんでしまうくらい、食事がとにかく最高だった。タパス、パエリア、ピザ、パスタ、リゾット、そういったスペインや地中海の料理を堪能した。毎食、どこで食べても、絶対に外さなかった。正直食事が美味しすぎて、ついついたくさん食べてしまって胃もたれするから、一度くらい不味い食事でお腹を空かせてリフレッシュしたいと思っていたくらいだが、幸か不幸か、そういった「不味い食事」は一切なかった!! 添乗員さんのセンスももちろんあるのだろうが、スペインの食事は最高だった。弊学からスペインに留学できないのがほんとうに悲しい。なんでよ。行かせてくれよ。もしスペインに行くことになったら、カタルーニャ語とその文化を学ぶという大義名分だってあるんだから、行かせてくれ頼む。

今日も美味しい食事が皆さんの上にありますように

「アッサラーム・アライクム(السلام عليكم)」というアラビア語のあいさつの意味は、「あなたたちの上に平安がありますように」という意味だ。

밥 먹었어?(パン モゴッソ)という韓国語でのあいさつは、主に在日同胞(在日コリアンの方)が発祥ともいわれる。第二次世界大戦のときに、食べることにも苦労した時代、「ごはんを食べた?」というのがそのままあいさつになるのだ。

これを組み合わせて、私は新しい挨拶を提案したい。「今日も美味しい食事が皆さんの上にありますように」といった挨拶が世界のどこかにあっても、すてきだと思う。

がんばった日の食事は最高に美味しいから、がんばる

美味しい食事を楽しみに、私は勉強し、私は働く。頑張った日は、食事が最高においしくなる。私が高校受験の時に、バスに乗って学習塾に通っていたのだが、勉強を頑張った日の夕焼けや、夜景は、とっても綺麗だった。食べていくことはなんとかできるくらいの稼ぎを仕事で得ていて、そしてその多くを食費に費やす。仕事が大変であればあるほど、居酒屋でいつも頼むカルパッチョが最高においしくなるのだ。そして、空腹も最大の調味料だ。空腹であれば、食事は最高においしくなる。いくら食事が好きでも、24時間食べ続けることはできない。その食事のために、食事をしない時間、つまり勉強や仕事の時間もまた頑張れるのだ。

日本国憲法第25条の「健康で文化的な最低限度の生活」

そして豊かな日本では、生存権を扱っている日本国憲法第25条より「健康で文化的な最低限度の生活」が保障されている。だから、現代の日本では飢える確率が減っている。ただ、もちろん福祉の網からはぐれてしまったひとや、福祉の支援の範囲に届かないひとや、申請主義の難しさと高い壁に立ち向かえなかったひとや、水際作戦で生活保護なり障害年金なりを受けられないひとや、親からの虐待やネグレクトで満足に食事がとれないひともいる。

ほんとうの世界平和が実現する日まで

そういった日本にいるひとにも、そして世界の戦時下にいるひとや貧困のもとにあるひとにも、この地球の上で生きる全員の食卓に、美味しい食事が置かれる日は、いつになるのだろうか。もしそれが実現でき、誰もが安心して幸せに食事をとることができ、それを美味しいと思い、明日の食料を心配しなくて良い日が来たら、それがほんとうの世界平和だとこころから思う。

留学資金などに使います。ご支援よろしくお願いします。 また、私が欲しい本を集めたほしいものリストも公開しています。 https://www.amazon.co.jp/hz/wishlist/ls/9WBR0K7KWYX8?ref_=wl_share/