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【いつでも戻れる故郷がある喜び 2023/12/23】

写真: ホテルでの夕食


私の故郷はどこかと聞かれたら、大阪だと答えるだろう

私の故郷はどこかと聞かれたら、いちばん住んでいる時間は短くても自分に合っていると思える大阪と答えると思う。大阪にいるといちばん自分が自分らしくいられる気がするし、便利だし、食べ物が大好きだし、安くて美味しい居酒屋文化があるし、街は活気に満ちているし、居心地は最高だ。関西弁もだいたい話せるようになったし、関西独特の言葉やイントネーションにも慣れてきた。

生まれた場所である岡山でのたったひとつの記憶

ただ、生まれた場所はと聞かれると、それは岡山になる。それはたとえ岡山で過ごした日々が私の記憶に一切なくても、そうなのだ。一切ないと書いたが、灰色の床で、シルバニアファミリーで遊んでいた記憶はある。灰色の床といっても、木目ではなく、冷たくないカーペットだ。カーペットのぬくもりというかあの冷たくない感じもなんとなく覚えている。家族に聞くと、それは岡山にあったテーマパークでの記憶らしい。

私の2番目に古い記憶

その次にある記憶は、ピンク色の床で、同じくシルバニアファミリーで遊んでいた記憶だ。この床は冷たくて、それで木目調だった。その家は東京からかなり上に行った場所にあるのだが、その家を私がすぐに出て、それからは別のひとが住んでいて、そのひとと私は同じ小学校の同級生だった。彼女に「ピンク色の床はあった?」と聞くと、そんなものはなかったと言われた。家族に聞くと、それはおそらくカーペットが木目調でピンク色だったのだろう、といったあいまいな返事だった。

こどものころの記憶の9割は床でできている

こどものころの記憶の9割は床でできている。私はシルバニアファミリーの屋根の色や細かいシルバニアファミリーのことは覚えていなくても、床の色や木目やカーペットの毛羽立ちといったことは、かなり詳細に覚えている。こどもはいつも横になって遊ぶ。少なくとも私はそうだったのだろう。だから、床ばかり見ていて、その冷たさやぬくもりや、そういったものをやけに詳細に覚えているのだろう。

私は本当に岡山で生きていたのだろうか

もちろん、戸籍なり母子手帳なりを見ると、岡山で過ごした日々のことが書いてある。ただ、だからといって、その記憶は私の脳内には一切ない。岡山で生まれたと知ったのは、その2番目の記憶がある家に引っ越してきたときに、「あなたの生い立ちをまとめてくださいね」といった学校の課題があって、そのときにはじめて知ったのだ。あの手の課題や2分の1成人式などは、被虐児童にとっては苦痛だろうし、片親の家庭だと困ることもあるだろうし、そんなことをしなくて良いと言われてしまえばそうなのだが、こうやって幼いころの記憶を手繰り寄せる貴重な機会にもなることもまた確かだ。

いつだって戻ってくればいいと言ってくれる故郷

岡山を旅行して、ここも案外住みよい場所だなあと直感で思った。街自体はコンパクトで、古くて、でもうまくまとまっていて、散歩していても心地よくて、駅前の静けさや賑わい具合も心地よくて、大阪とはまた違うエネルギーに満ち溢れた、それでも同じようなDNAで生きている人間たちの集合体だ。

大阪からさほど遠くなく、それは新幹線に乗っているとすごくよくわかる。広島はあんなに遠いのに、岡山はあっという間についてしまう。だから、もっと頻繁に行くことだってきっとできたはずだ。岡山で生きていた日々の記憶は、私の中にはないのだが、その街にはたしかに岡山で生きていた私がいた。住んでいた家、家族の当時の職場、私が生まれた病院、そういったものはすべてそのまま残っていたのだった。

いつだってここからまたはじめればいいんだよ。そんなことを語っていた岡山の土地に、いつか私はまた戻る。

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